小林司 (編集者)
小林 司(こばやし つかさ、6月27日生[1])は、日本の雑誌・書籍編集者。2019年現在、講談社フライデーデジタルチーム所属[2]からアーティスト企画部へ異動、その後2024年9月クリエイターズラボへ異動。ミスiD実行委員長・選考委員。別名「妄撮P」。 経歴講談社入社後、「FRaU」、「VoCE」と女性誌の編集に携わる[3]。1998年、「VoCE」誌上で連載されていた『美人画報』(安野モヨコ)の初代担当編集者であった[4]。連載は後に単行本化されている。 その後、副編集長として男性誌「KING」創刊に携わる[3][5]。2006年、NY帰りの写真家・Tommyとのコンビで、グラビア「妄撮」の連載を開始。雑誌自体は2年余りで休刊となるが、2008年に連載をまとめた写真集「妄撮 モーサツ」がヒットしシリーズ化する。さらに、スマートフォンアプリや「an・an」(マガジンハウス)の「妄撮男子」[6]、夢眠ねむを被写体とした「アキバ妄撮」(FREECELL特別号、角川グループパブリッシング)など、他社とコラボレートした企画にも編集、プロデューサーとして携わっている。コラボにとどまらずイベントやグッズ化にも取り組み、2013年には「an・an」で「美女の法則」というコラムを講談社社員でありながら半年間連載している。 2012年、「“新しいタイプの女の子”を発掘し、育てるオーディション企画」として、ミスiD(アイドル)を立ち上げる[5][7]。当時はAKB48グループ等による“アイドル戦国時代”の影響で新人グラドルが全国区になる機会に恵まれず[7][5]、東日本大震災が発生した2011年のミスマガジンにおいては最終入賞者が例年よりも1名減の4名に留まった。そうした状況に加え、TwitterやFacebookといったSNSの発達もあり、「グラビアやモデルといったカテゴリに収拾されない、雑誌も買わないいまの子たちに届くようなオーディションをやりたい」と企画したのがミスiDである[7][5]。 →「ミスマガジン § 一時中断と復活」も参照
ミスiDはまだ多様性という言葉がほぼ存在しない時代から多様性を前面に押し出した女の子オーディションで、初代グランプリの玉城ティナ(ミスiD2013グランプリ)、2代目の蒼波純(ミスiD2014グランプリ)をはじめ、chelmicoのレイチェル、金子理江、水野しず、黒宮れい、穂志もえか、菅本裕子、中井友望、ろるらり、新倉のあ、戦慄かなの、頓知気さきな、嵐莉菜、水曜日のカンパネラの詩羽、瞳水ひまり、などジャンルを超えた様々な女の子の世に出るきっかけになっている。2014年10月、『アイドリング!!!』(フジテレビONE・フジテレビ地上波)に出演した際は「アイドル界の目利き」と紹介された[8]。2013年6月に『FRIDAY』副編集長に就任[9]したが、2015年に第一事業局第一戦略部に異動、ミスiDを専任で担当することになった[10]。アーティスト企画部を経て、2024年9月にクリエイターズラボへ異動。 書籍妄撮シリーズ
その他
イベントトークライブ「俺の愛する女たち〜本人降臨しまくりスペシャル 」、「愛すべき女・女(めめ)たち」を開催している。
備考「女子力」は、安野モヨコが「VoCE」2000年10月号掲載の『美人画報スペシャル』[17]で使用したのが最初とされている[18]が、この言葉の誕生に小林が関与している。小林夫妻は安野の広島県への取材旅行に同行していたが、小林の妻の行動に対して、「かわいすぎるぜ!!嫁に欲しい!!どうだ俺の嫁にならないか。もう、完全にこっちが男に変わってしまうほどの女子力です。」と書いている。 脚注・出典
外部リンク
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