影の軍団 服部半蔵
『影の軍団 服部半蔵』(かげのぐんだん はっとりはんぞう)は、1980年の日本映画。徳川治世に暗躍する忍者を描いた時代劇である。 あらすじ慶安4年(1651年)、徳川三代将軍家光の死去に伴い、家光の弟である会津藩主・保科正之が幼い世継ぎ・家綱の補佐役となった。これに対し、筆頭老中・松平伊豆守信綱は権力維持のための策略を練っており、そこには甲賀忍者の頭目・甲賀四郎兵衛の影があった。 一方、伊賀忍者の服部家には上下二家があり、上(かみ)の服部家は正体を隠して常に世人に交わり、下(しも)の服部家は草に生きて機に応じて現れる習わしだった。そして、上の半蔵は正之に接近することで服部家の「お家再興」を目論んでいたが、下の半蔵は大名屋敷を狙う盗賊の頭となっていた。対照的な2人の服部半蔵は、それぞれ別の理由から伊豆守の陰謀を阻もうと協力することになる。
スタッフ
特撮スタッフ その他 出演者
特技JAC 製作1978年の『柳生一族の陰謀』は映画公開後にテレビドラマが放送され、本作も同様に連動予定であった[2]。田中角栄が率いる“鉄の田中軍団”をヒントに、陰で策謀を張り巡らせながら時代を動かす忍者軍団の物語にしようと、東映京都撮影所の製作部長である翁長孝雄が企画した[3]。 キャスティングは千葉真一が服部半蔵役で主演し[2][4]、脚本も高田宏治がそのような内容にしていた[2][3]。しかし監督の工藤栄一は思いつきで「二人半蔵」という設定を加え、高田の脚本を変えてしまう[2][3]。これに千葉が納得せず[2]、プロデューサーの日下部五朗が間に入るものの[3]、本作から降板してしまった[2][3]。 工藤は伊賀と甲賀の忍者軍団が戦闘するシーンでも「アメリカンフットボールを取り入れた殺陣にする」とし、殺陣師の菅原俊夫に「アメフトを勉強しておいてくれ」と指示していた[5]。菅原はアメフトを取り入れた殺陣には、工藤が何らかのアイデアを想定していると思っていたが、工藤の演出はアメフトの試合そのままを伊賀と甲賀に行わせただけであった[6]。 テレビ時代劇のヒットメーカーとして東映京都に凱旋してきた工藤によるアイデア乱発の変更は[3]、「本作の躓きとなり[3]、二人半蔵もアメフトも劇中で何の効果をもたらすことはなかった[6]」と、時代劇研究家の春日太一は評している。 関連項目脚注参考文献
外部リンク |
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