戸田漕艇場
![]() 戸田漕艇場(とだそうていじょう)は、埼玉県戸田市の戸田公園内にあるローイング競技(ボート競技)コースである。別名「戸田ボートコース」。ナショナルトレーニングセンターボート強化拠点施設に指定されている。 2014年度(平成26年度)の有料施設(漕艇場・会議室・宿泊所)の利用者数は8万0739人/年度、利用料収入は452万0450円/年度だった[1]。 東西約2500mの水路の内、戸田公園大橋から西端までの500mは戸田競艇場(ボートレース戸田)としても利用されている。 歴史1935年(昭和10年)、内務省が荒川改修に伴う付帯工事として排水路の掘削を開始[2]。1937年(昭和12年)、東京オリンピック(1940年)のボート競技会場に選ばれ、ボートコースおよび治水対策のために建設が進められた[3]。しかし、日中戦争(支那事変)の激化を理由に同オリンピックの開催権を日本が返上したため、同オリンピックでの使用はなくなった[3]。ただし治水対策の面もあったため、建設工事は規模を縮小しながらも続けられ、1940年(昭和15年)に完成した[3]。 オリンピックが中止となったため管理の担い手が宙に浮いた。財政面から埼玉県が管理者となることを拒否したため、一度は東京市が管理者となることが決まったが、1941年度より厚生省が管理費を計上、ボートコース周囲約三十万坪の敷地を含め国立綜合国民体育道場として開発することとなった[4]。 1964年(昭和39年)開催の東京オリンピック(1964年)の会場となったため、拡幅工事や周辺整備をした[1]。隣接する道路にはオリンピック通りという名前がつけられている。 年表
施設水は当初はコース西端の笹目川から引いたものであるが、そのための水門は1964年の東京オリンピック以後開いたことはない。したがって、現在は雨水と湧水でできている。水面長は2.5 kmに及ぶ長大なものである。500m地点には歩行者専用のつり橋である戸田公園大橋が架かり、橋から西側の水域は競艇場としても利用される。 コース北側から1 - 6レーン、回漕レーンと並んでいる。通常時は1 - 3レーンが往路、4 - 6レーンおよび回漕レーンが復路となり、内側のレーンを速い艇が、外側のレーンを遅い艇が航行する。レース開催時は回漕レーンが往路、1 - 6レーンが復路(レースコース)となる。1999年頃までは回漕レーンの隣が1レーンであったが、現在は6レーンとなっている。
道路500m地点からコース東端までの南縁、および東岸に道路が整備されており、ローイング関係者が伴走するほか市民がジョギングする姿も見られる。また、各大学・実業団チームの自動車が通行する。 艇庫などコース北岸・南岸を中心に、大学漕艇部や実業団チームが所有する艇庫が数多く立ち並ぶ[8]。 コース南岸(西→東の順に記載) 釣り現在は全面的に釣り禁止となっているが、ボートコースはかつて釣りのメッカとしても有名であった(競艇場エリアは以前より釣り禁止)。昭和50年代にはテナガエビやハゼ等が豊富で休日にはボートコース沿いや東端の桟橋周辺は大勢の釣り人やファミリーでにぎわっていた。当時一般的になりつつあったルアーに興じる小中学生も多かった。 今は釣りが禁止されているのにもかかわらず釣りをする人も多く、問題になっている。 所在地管理事務所の所在地(国営のため、所管は文部科学省) 埼玉県戸田市戸田公園5-27 アクセス主な大会毎年、全日本選手権や学生選手権をはじめ、市民大会や大学内での大会 (学内レガッタ)、オール三菱レガッタ等が行われている。1920年(大正9年)に始まり、日本で最も長い歴史を誇る対校競漕大会である、開成高校対筑波大学附属高等学校の試合もここで数十年行われ続けている。テレビ朝日系列で放送していたドラマ「レガッタ〜君といた永遠〜」の舞台はここ戸田漕艇場であり、連日撮影に使用された。 国体・オリンピックなど
全日本選手権
脚注
外部リンク |
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