筑波大学附属中学校・高等学校
筑波大学附属中学校・高等学校[注釈 1](つくばだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Junior and Senior High School at Otsuka, University of Tsukuba)は、東京都文京区大塚に所在する国立中学校・高等学校。 通称は「筑附(つくふ)」、「附属(ふぞく)[注釈 2]」。 概要1888年(明治21年)に高等師範学校の尋常中学科として昌平坂学問所跡に設立された。第二次世界大戦中には、当時の文部省の指定に基づき、特別科学学級が設置された[1]。 1950年(昭和25年)より男女共学となり、中学、高校ともに外部からの入学者を受け入れている。 中学には制服があり、男子は海軍兵学校学生服型(ネイビーブルー。セーラー服同様に着丈が短く、詰襟で前合わせもホック留め、前合わせ・襟・袖に黒の蛇腹リボン装飾の上着。昔の海軍士官型でもある。日本海海戦の写真参照。)、女子はセーラー服である。 高校もかつては中学と同じ制服を使用したが、1970年(昭和45年)2月に生徒自治会および教員委員会の決定によって服装既定が廃止され、現在は私服である。 中学は「強く、正しく、朗らかに」を、高校は「自主・自律・自由」をそれぞれモットーとしている。 教員勤務時間中学校は午前8時20分から午後4時50分、高等学校は午前8時10分から午後4時40分[2]。 沿革![]() →「東京高等師範学校 § 附属学校」も参照
教育方針中学校育てたい資質として次の7つを挙げている。
高等学校
学校行事中学校
高等学校
院戦(対学習院総合定期戦)筑波大学附属高校と学習院高等科、学習院女子高等科との間でスポーツの定期戦が毎年6月に行われている。 1896年(明治29年)、旧制学習院中等科(現:学習院高等科)との間で、柔道部と野球部の対抗戦が始まった[3]。当時の附属中学と学習院中等科はどちらも官立(今でいう国立)学校だったからである。(附属中は文部省、学習院は宮内省の管轄だった。)その後、1904年から1940年の間に端艇部、陸上競技部、射撃部、水泳部が順次参加することとなった。1944年に戦況悪化のため中止後、1947年に再開された。1948年に剣道、庭球、卓球が参加して、1951年に男子の定期戦総合化(この回を第1回としている)、1952年に女子の定期戦開始(排球、籠球、庭球、卓球)、1956年にすべての種目において男女合同化し、1966年(昭和41年)、全員参加のスポーツ大会となった。当時の種目は、男子が野球、柔道、籠球、排球、蹴球、卓球、硬式庭球、陸上、水泳、馬術、女子は籠球、排球、卓球、硬式庭球であった[4]。 現在は正式種目として、男女陸上、男女籠球、男女水泳、男女硬式庭球、男女排球、野球、蹴球、男女剣道、柔道、女子バドミントン、卓球、馬術、ボートがあり、その他に一般種目として年度によって、フットサル、ドッジボール、大縄や他競技のエキシビションマッチが行われることもある。 この6月のスポーツの定期戦は、筑波大学附属高校では「院戦」、学習院では「附属戦」の名で親しまれている[5](ただしボート競技は毎年4月に行われる[6]。)。 開成レース筑波大学附属高校と開成高校とのボート部定期戦(通称「開成レース」)が毎年4月に戸田漕艇場で行われている。1920年から[3]実施されており、日本で最も歴史を持つ[7]学校間定期戦である(2025年現在、48勝48敗[8])。 湘南戦筑波大学附属高校と神奈川県立湘南高校とのサッカー部定期戦(通称「湘南戦」)が、1947年から行われている[9][10]。 文化祭文化祭は「桐陰祭」と呼ばれ、毎年9月に2日間に渡り開催されている。 交換留学中華人民共和国の北京師範大学第二附属中学やシンガポールのホワチョン(華中)高校との間で短期交換留学が毎年行われている。 象徴校章1888年(明治21年)11月に五三の桐の校章が制定された。その桐章は、明治天皇の行幸の際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となった[11]。 校歌1902年(明治35年)、卒業生の穂積重遠(10回:1901年卒)による提唱で、山根磐と宮島秀夫(共に12回:1903年卒)が作詞し、鈴木米次郎(本校の教官)が作曲した「桐陰会会歌」が、校歌に当たるものとして制定され、現在に至るまで「桐陰会歌」の名で歌い継がれている[12]。 部活動中学校
高等学校
関係者→「筑波大学附属中学校・高等学校の人物一覧」を参照
同窓会卒業生の集まりとして、旧制中学時代の1890年(明治23年)に設立された校友会「桐陰会」に名前の由来を持つ「桐陰同窓会」がある。 施設![]()
最寄駅提携校進学制度お茶の水女子大学附属中学校との提携校進学制度があり、2017年度の導入以来、毎年度若干名の利用実績がある。2022年度入試で悠仁親王がこの制度を利用して入学することになった。2022年度が同制度の期限であったが、さらに5年間延長することが永田恭介筑波大学学長によって発表された[15]。 関連校脚注注釈
出典
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