早稲田夕季
早稲田 夕季(わせだ ゆき、1958年〈昭和33年〉12月6日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(3期)、立憲民主党ネクスト厚生労働大臣。神奈川県議会議員(2期)、鎌倉市議会議員(2期)を歴任。衆議院議員としての名前は早稲田ゆき。 経歴東京都渋谷区生まれ[1]。旧姓は四谷[2]。白百合学園小学校、白百合学園中学校・高等学校、早稲田大学法学部卒業[3]。大学卒業後、1981年に日本輸出入銀行入行。1982年に大学時代の同級生と結婚し退職[3][2]。子育て中は自宅で家庭教師をやっていた[2]。2003年、地元ミニコミ誌の記者を務めていた[3]。 2005年、民主党参議院議員の大石尚子の勧めを受け、鎌倉市議会議員選挙に出馬し、当選した。2011年まで2期6年務め、総務常任委員長や決算等審査特別委員長を歴任した[3]。2011年、鎌倉市議を2期目の任期途中で辞職し、民主党公認で神奈川県議会議員選挙に鎌倉市選挙区から出馬して当選[3]。2015年に再選され、2期目の任期中に民進党神奈川県第4区総支部長に就任し、次期衆議院議員総選挙での神奈川4区の公認を受けた[3][4]。 2017年9月17日未明、NHKが「9月28日召集の臨時国会の冒頭で衆議院解散の見通し」と報道。関係者への取材により、内閣総理大臣の安倍晋三が公明党代表の山口那津男にその旨を伝えたことが明らかとなった[5]。9月25日付で神奈川県議会議員を辞職[6][7]。 同年9月28日、前原誠司民進党代表が党を事実上解党し、希望の党からの立候補を容認する方針を表明[8]。希望の党への合流については当初「党の決定なので従う」としていたが、10月2日に枝野幸男が新党「立憲民主党」の結党を表明すると[9]、同日、取材に対し、立憲民主党に参加する意向を示した[10]。10月3日午前、立憲民主党の設立届が受理される。同日午後、希望の党は衆院選の第1次公認192人を発表。同党が神奈川4区に元金融庁職員の風間法子を擁立したことが明らかとなった[11][12]。 同年10月10日、第48回衆議院議員総選挙が公示。神奈川4区は立憲民主党公認の早稲田、自民党公認の山本朋広、選挙の直前に自由民主党に入党しながら無所属で立候補した前職の浅尾慶一郎、希望の党公認の風間の4人が立候補。街頭演説では「憲法を守る姿勢はぶれない。リベラルの火は消さない」と訴えた[13]。選挙戦終盤では、浅尾、早稲田の接戦が報じられる[14]。10月22日に投開票が行われ、初当選した(次点の山本は比例復活)[15]。11月1日に初登院し、「(立憲民主)党と一緒に私も育っていきたい」と述べた[16]。 2018年2月7日、立憲民主党子ども・子育てPT事務局長に就任[17]。 2018年3月20日、立憲民主党UR住宅居住者を支援する議員連盟事務局長に就任[18]。 2020年1月30日、立憲民主党障がい・難病PT事務局長に就任[19]。 2021年6月8日、第201,202,203回国会の三ツ星議員を受賞[20]。 2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で立候補し、無所属の浅尾慶一郎、自民党公認の山本朋広、日本維新の会公認の元逗子市議の高谷清彦、無所属の大西恒樹を破り再選[21]。枝野幸男代表の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では西村智奈美の推薦人に名を連ねた[22]。 2022年9月13日、立憲民主党の次の内閣でネクスト厚生労働大臣に就任した。 2024年10月15日、第50回衆議院議員総選挙が公示され、神奈川4区からは早稲田、自民党現職の山本、日本維新の会新人の加藤千華、参政党新人の津野照久の計4人が立候補した[23]。自民党は裏金問題や統一教会問題、10月23日に発覚した非公認候補への2000万円支給問題などで逆風が吹き荒れた[24][25][26][27]。10月27日、総選挙執行。投票締め切りの20時直後に日本経済新聞は早稲田の当選確実を報じ[28]、早稲田は3期目の当選を果たした。山本は比例復活もかなわず、議席を失った[29][30]。 政策・主張憲法外交・安全保障
ジェンダー
その他
役職衆議院事務局によれば、2021年9月14日現在での委員歴は以下の通り。
議員連盟
人物選挙歴
脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia