末長 (川崎市)
末長(すえなが)は、神奈川県川崎市高津区の地名。現行行政地名は末長1丁目から末長4丁目。住居表示実施済区域[5]。面積は1.29 km²である[2]。 地理高津区の中央部にあり、北西では下末吉台地[6]に谷戸が入り込んでおり、南東が低地となっている[7]。低地部には富士通ゼネラルの本社があり、周辺も宅地となっている[8]。 東急田園都市線・第三京浜道路・南武線などの交通路が末長を通過し、梶が谷駅や京浜川崎インターチェンジなどが所在する。また、二ヶ領用水の分流である根方堀が台地と低地の境を流れている[9]。 末長は北端で下作延・久本・坂戸と、東端で中原区上新城と、南西端で新作・高津区梶ケ谷と接している(特記のない町域は高津区)。 地価住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、末長1丁目13-7の地点で34万3000円/m²[10]、末長1丁目31-7の地点で29万4000円/m²[11]、末長2丁目33-11の地点は休止[12]、末長4丁目22-39の地点で40万1000円/m²[13]となっている。 歴史古代・中世当地からは縄文・弥生時代の遺跡が発掘されている[6]。また、田地の地割りが条里制の遺構だと考えられているほか、延喜式の「小高駅」に関係すると思われる「小高谷戸」の地名が付いていたなど[9]、古代からの歴史がうかがえるが、「末長」の名の初出は「小田原衆所領役帳」に、「稲毛末長」として残る[7]。 近世江戸時代を通して、当地は旗本の国領氏・浅井氏・松波氏による三給の地であった[7]。「新編武蔵風土記稿」では民家71軒[14]。農地は畑より水田が多く[6]、村高は、正保年間の「武蔵田園簿」や「元禄郷帳」では508石あまり、「天保郷帳」では585石あまり、幕末の「旧高旧領取調帳」では587石あまりというように推移していた[6]。水利として、二ヶ領用水からの分流である根方堀のほか、「池の谷」と呼ばれた現在の梶が谷駅あたりに溜池を設けていた[9]。賦役として、溝口宿・品川宿の半高助郷を務めた。品川宿の助郷は負担が重く、何度も免除の嘆願を行なっているが、これが容れられることはなかった[15]。 近代・現代明治以降、当地は橘村の一部となり、のちに川崎市へ合併した。当地では明治頃から養蚕が行われたり、大正末期からは養蚕に変わり野菜栽培が始まるなど、農村として推移していた[8]。しかし、1940年(昭和15年)に日本光学(現・ニコン)が水田を埋め立て当地に工場を設置し、海軍の光学兵器の生産を始めた[8]。その結果、1945年(昭和20年)には空襲を受けることとなり、工場が壊滅したのみならず周囲にも被害が出たが、日本光学は丘陵に地下壕を作り生産を続けたという[8]。 戦後の1955年(昭和30年)には日本光学の跡地に八欧電機(現:富士通ゼネラル)が進出し、周囲に社宅が建つなど、宅地化が進行していった[16]。 地名の由来地名の由来ははっきりしていない[9]。ただし、いくつかの説が提起されている。 なお、源義家が後三年の役からの帰途に、当地の奇妙な石を見つけて、弓矢を納めて武運を祈り、この地の民が末永く栄えるように願ったという伝承が、「新編武蔵風土記稿」にも残っている[7][14]。 沿革
町域の新旧対照末長のうち住居表示が施行された区域について、施行前の字は以下のようになっていた。
小字住居表示施行前の末長には、姿見台・久保台・向台・富士見台・中原・大谷(おおやと)・宗田町・中の町・高の面という小字が存在した[27]。 世帯数と人口2025年(令和7年)3月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年3月時点)[34][35]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[36]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通鉄道当地を通る路線は東急田園都市線と南武線の2路線がある。東急田園都市線は当地で丘陵地を通り、梶が谷駅が設置されている。南武線は当地の低地を通るが、駅は設置されていない(南方の武蔵新城駅が利用可能である)。 路線バス当地で路線バスを運行しているのは東急バスと川崎市交通局の2事業者であるが、両者とも梶が谷駅を拠点として丘陵上を結ぶバスと、溝の口駅を拠点として平地を結ぶバスを運行しており、末長の丘陵地と平地を直接結ぶようなバスはない。 道路![]() 施設![]() 教育施設その他日本郵便警察町内の警察の管轄区域は以下の通りである[39]。
脚注
参考文献
関連項目
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