藤田大清
藤田 大清(ふじた たいせい、2004年8月23日 - )は、長野県出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 経歴プロ入り前小学4年生から練馬区立関町北小学校を拠点とするエ-ス関北少年野球倶楽部で軟式野球を始める。中学では中野リトルシニアでプレー。東東京選抜(日台国際親善野球試合)にも参加[2]。 強豪校の花咲徳栄高等学校に進学。2年秋に「3番・右翼手」のレギュラーに定着し、公式戦出場。3年春の県大会の「3回戦・東農大三」との試合で、満塁本塁打を放ち、チームの勝利に貢献した[3][4]。夏の「2回戦・武蔵越生」ではチームが初戦で苦しむ中、3番で4打数3安打の猛打賞を記録し、6-4で勝利に大きく貢献した[5]。同大会は6試合で26打数12安打で、打率.462[4]を残すも、チームは準決勝で敗退で、3年間での甲子園出場はなかった[6]。 その後、プロ志望届を提出し、2022年NPBドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから育成ドラフト1位で指名された。また、同校出身の藤井がドラフトされたことで、高校史上初の8年連続ドラフト輩出となった[7][8][9]。契約金300万円、年俸260万円、背番号「125」で契約した[10]。 日本ハム時代2023年は高校時代から抱えていた腰痛に苦しんだ。本人曰くケガは高2の冬から患っており、高校時代は(痛み止めの)注射を打ち、無理に試合に出場していたという。1年目は腰の状態を見ながら、体づくりや技術練習に取り組み、試合出場までには至らなかった[11]。 2024年2月20日に実戦デビューを果たした[11]。イースタン・リーグには41試合に出場して打率.185、7打点という成績であった[12]。 人物ニックネームは「タイボー」[13]。父は「やまびこ打線」で知られる徳島県の池田高等学校出身で、91年夏に主将として甲子園に出場し、ベスト16に進んだ実績を持つ[6]。その父の影響で野球を始めたという[13]。また、高校卒業時に入団した日本ハムには同校出身の野村佑希がおり、指名挨拶時には弟子入りを志願した[14][15]。日本ハムの新入団選手発表会では、「ファイターズ日本一に貢献できる選手、ファンの方々から愛される選手になりたい。」を目標にし、支配下登録でチーム不動の3番打者になりたいことを希望した[16][17]。 趣味はサッカー。プロ野球選手になっていなかったらサッカー選手になっていたと語っている[13]。 選手としての特徴高校通算11本塁打[18]。バットコントロールに定評があり、長打力も兼ね備えているうえ、レベルスイングでライナー性の鋭い打球も飛ばす[2]。身長187cmと大型ながら脚力がある[19]。 詳細情報背番号
脚注出典
関連項目外部リンク
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