| この記事には 複数の問題があります。 改善やノートページでの議論にご協力ください。
|
東京学芸大学附属高等学校(とうきょうがくげいだいがくふぞくこうとうがっこう、英: Tokyo Gakugei University Senior High School)は、東京都世田谷区下馬に所在する国立高等学校。略称は「学附」[要出典]であるが、関係者の間では「附高」[1]と呼ばれる。
概要
1954年に「東京学芸大学教育学部附属高等学校」として開校。
外部から志望する受験生には首都圏の国立高校で唯一学区制限がない[2]。帰国子女を15名程度受け入れている。男女同数を原則としている[2]。
年に3回・計8週間、東京学芸大学の教育実習を受け入れている。
1975年にタイ王国からの留学生の受け入れ、翌1976年に帰国子女の受け入れを開始した。
1995年よりコンピュータ教育を開始している[3]。
2012年度より文部科学省からスーパーサイエンスハイスクール (SSH)、2014年度よりSGHアソシエイトに選定されている。
沿革
- 1954年(昭和29年)
- 4月 - 東京学芸大学附属高等学校が開校。(生徒数 208名(男女ほぼ同数))
- 5月29日 - 開校式を挙行。
- 本部を世田谷区下馬に置き、校舎は竹早校舎(文京区竹早)と世田谷校舎(世田谷区深沢)の2校舎制とする。各校舎2学級とする。
- 1955年(昭和30年)- 制服・制帽を制定。
- 1958年(昭和33年)- 校旗・校歌を制定。
- 1960年(昭和35年)- 東京学芸大学の建物を利用し、下馬校舎を設置。
- 1961年(昭和36年)- 大学の移転に伴い、竹早校舎と世田谷校舎を廃止し、下馬校舎に統合。1学年6学級とする。
- 1967年(昭和42年)- プールが完成。学級数が現在の1学年8学級になる。
- 1969年(昭和44年)- 10月13日に一部生徒が、管理的教育方針の是正、反戦映画上映許可等を求めて校舎をバリケード封鎖[4]。これに対し学校側は、機動隊導入・首謀生徒の退学処分など強硬手段で紛争を収束させた。男子の制帽は自由化。
- 1975年(昭和50年)- タイ国留学生の受け入れを開始。(以降、毎年、数人が共に日本語で学習)
- 1976年(昭和51年)- 海外在学経験者(定員15名)を特別枠で受け入れ開始。
- 1978年(昭和53年)- 大体育館が完成。
- 1979年(昭和54年)- 図書館が開館。
- 1981年(昭和56年)- 別館が完成。
- 1985年(昭和60年)- 西館が完成。
- 1995年(平成7年) - マルチメディア学校教育利用実験開始
- 2004年(平成16年)4月 - 組織改編。大学が国立大学法人化される。校名から教育学部が除かれ、「東京学芸大学附属高等学校」(現校名)に改称。
- 2012年(平成24年)- スーパーサイエンスハイスクールに認定される。それに伴い、校内の合併教室を改修し、In-cafe を設置。
- 2015年(平成27年)- スーパーグローバルハイスクールアソシエイト校に認定される。それをきっかけに[要出典]、In-cafe 内にグローバルカフェが設立される。
- 2023年(令和5年)- 工学院大学と教育連携に関する協定を締結[5]。
教育課程
- 授業の内容は学習指導要領に沿ってはいるが、多くの教科では教科書の水準を質量共に上回る発展的な授業を展開する[要出典]。
- 「探求授業」が特色で、地理や地学ではフィールドワークが行われ、レポートの課題がしばしば出題される。受験知識を詰め込むより、大学生を先取りしたように自ら探求する姿勢が生徒に求められている。
- 1995年に、校内組織「教育工学委員会」が独自のネットワークをAppleのMacintoshにより手作りで構築し[6]、これが情報教育の先駆けとなる。
- 1999年[3][6]に科目「情報」を第1学年の必修科目として導入したが、これは2003年導入の科目「情報」を先駆けたものとなっている[7][8][9]。
- 古くから国際化への取り組みに積極的であり、2014年にSGHアソシエイトに選定された。SGHAの活動として、日中ティーンエイジアンバサダーやチュラポーン高校(タイ王国)との交流事業、生徒主体の校内団体であるIn-cafeやglobal-cafeでイベントを展開し、異文化交流を通じて生徒たちに新たな学びの場を提供している。
- 2012年にSSHに選定され、SSHの活動として、ICT等を利用した授業などを展開し、希望する生徒の探究心をサポートする体制となっている。
- 文理の教科選択は3年次からであり、2年次までは文理を問わず地歴公民科や理科を幅広く履修する。
- 3年次でも、(理系志望者が文系科目を履修する)等、文系理系の枠にとらわれない教科目選択を行うこともできる。
課業
編成
- 1クラス概ね40名程度の編成で、A組からH組までの8クラス×3学年の24クラスで推移している。
- 1クラスには前述した3つの附属中学校からの内部進学者と外部進学者、さらには帰国子女(一学年に15名程度)とタイからの留学生(一学年に2名程度)を混合し構成される(2021年現在は0人)。
学校行事
(月別行事表)
1年時に参加必須の林間学校(妙高山登山)、冬のスキー教室(希望制)は妙高寮にて行われる。また実習や劇鑑賞のほとんどにレポートが課されている。
所在地・交通アクセス
〒154-0002 東京都世田谷区下馬4-1-5
学校生活
制服着用
- 同校では、制服着用義務が生徒に課せられている。
- 冬服は、制定されてから70年近くの間、ほとんど不変の伝統あるデザインとなっている[10]。
- 2023年から制服のジェンダーフリー化が行われ、男子・女子生徒共に、下記「男子」「女子」と書いてある制服のどちらを着用してもよいことになった。それゆえ、下記の「男子」「女子」とは実際に多くの男子・女子生徒が着用している型の制服という意味に過ぎない。現実に、詰襟学生服にズボンという服装で通学している女子生徒もいる。
- 男子の上着はスクールカラーである紺色の学生服に銀色のボタン、詰襟の左襟(自分から見て)には泰山木の花をかたどった大きい銀の校章バッジを付ける。2022年度からは、プラスチック製カラーが首に痛く窮屈との意見を取り入れてカラーを廃止、縁にカラーを模した白線を入れる柔らかい襟にモデルチェンジした。
- ただしモデルチェンジ後も詰襟の型自体は伝統を堅持しており、百貨店製は特にハイカラーで襟元を留めるホックが他校の多くと異なり2個ついている。
- 女子の上着は身頃・襟とも紺のセーラー服に紺色の3本ラインとなっており、襟には男子と同じデザインの校章バッジと胸当て(制服制定当初にはなかったが、後に装着を規定)を付ける。胸には青いスカーフを結ぶか、最近[いつ?]指定された青い成型済みリボンを付ける。附高結びのスカーフが正装とされているが、普段の学校生活では成形済みリボンを付ける生徒が多数である。
- スカートは、24本ヒダのプリーツスカートである。ただし、女子には女子向け特注スラックスの着用も認められている。
- ズボンとスカートは、共布の紺色である。なお、両端にプリーツを折ってから結ぶ、スカーフの「附高結び」(蛾結び)[11]は、1960年代に女子生徒たちが自主的に開発した着こなしで、今では附高の伝統として認知されている[誰によって?]。
- 6月~9月は夏服着用が義務付けられる。5月および10月は移行期間であり、夏冬どちらの制服を着用してもよいことになっている。
- 男子夏服の上は、胸ポケットに紺色のアイロンプリントで校章を表示した白ワイシャツ。ズボンは1964年から霜降りに変更された。
- 女子夏服は、校章バッジを付けた紺の襟に白い身頃、紺の3本ラインのセーラー服であるが、胸当てはない。スカートは冬と同じ紺色。
- 創立当初、男子は制帽(黒色学生帽)着用も義務であり、着帽してこない生徒は「無帽通学」として厳しい指導対象となったが、1969年度から制帽は自由化された。その後、生徒は引き続き制服自由化を要求したものの、激しい高校紛争とその直後に新聞部を中心に提唱された制服廃止要求にもかかわらず、学校側は、制服の同一性が「共に学び共に語る友情の絆、高校集団としての意識の形成」に資するとして積極的意義を唱え、制服そのものは廃止されなかった。ただし、1970年代から、紛争で勝ち取った自由の象徴として普段の学校生活では襟ホックを外したままにする自主的着こなしが生徒の間で一般化した。
- 1990年代半ばに「制撤会」が制服自由化運動を展開したことがあったが、全校生徒の間に廃止の機運は盛り上がらず、立ち消えとなった。その後今日まで、独特の型の制服はむしろ附高愛の象徴として生徒に認知され、積極的に着用されている。このため組織だった制服自由化運動は生徒の間に起こっていない。
通学路
- 最寄り駅は、東急東横線学芸大学駅。道順は複雑であり、そのためか[要出典]、駅前の交番には同校までの地図が常備されている[要出典]。
- 田園都市線三軒茶屋駅からも歩けるが、渋谷駅での乗り換えの便などから田園都市線・半蔵門線沿線在住の生徒以外は殆どが学芸大学駅から通学している[要出典]。
- 渋谷駅南口から学芸大学附属高校の前まで東急バス(野沢龍雲寺循環)が出ている。
- 東急バスの学芸大学附属高校という名前のバス停は大きく二つに分かれており、どちらも学校正門の近くである。バス路線は、渋谷駅、中目黒駅、三軒茶屋駅、祐天寺駅などから頻発しており利用可能である。なお東急バスの東急バスIC定期券は東急バス全線で利用可能であるので、バス利用の場合、多方面への移動が容易である。
辛夷祭
- クラスごとに出し物を決めて参加するが、毎年1年生は娯楽、2年生は食品販売・模擬店(運動部も食品関係の模擬店を出店)、3年生は演劇となっている[12]。
- 特に3年生の演劇はキャストだけでなく、戯曲準備、演出、衣裳、小道具、大道具から、予算管理や著作権処理等の制作などのスタッフワークを全て生徒が行う[13]。
- その他にも音楽部や演劇部、合唱部、ダンス部、中庭ステージ(通称「中ステ」)でのライブなど出し物も行われる。
- また、辛夷祭で発行された文藝部の部誌の掲載作品の一部は『凱風電子版』というサイトで読むことができる。
- タイ王国からの留学生によって毎年タイ風喫茶店が出店される。
- 一部保護者より、3年次の夏休みを辛夷祭のクラス演劇に費やすことが大学受験の障害になるのではないかという指摘がなされ、辛夷祭そのものが7月に開催されたこともあった[いつ?]が、現在では9月初旬~中旬の開催に戻っている。
クラブ活動
- クイズ研究
- オーケストラ
- 美術
- 軽音楽
- 演劇
- モダンジャズ研究
- ESS
- 囲碁
- 家庭科
- 書道
- かるた
- 合唱
- 天文
- 文藝
- 落語研究同好会
- 数学研究同好会
- 写真同好会
- 新聞同好会
- ソフトテニス
- 卓球
- ホッケー
- 野球
- 水泳
- サッカー
- ハンドボール
- 男子バスケット
- 女子バスケット
- 男子バレー
- 女子バレー
- 陸上競技
- 男子硬式テニス
- 女子硬式テニス
- 柔道
- 剣道
- 弓道
- 山岳
- バドミントン
- ダンス
入試
- 附属中学生
- 東京学芸大学附属の中学校は世田谷、竹早、小金井の3校があるが、中高一貫ではない。これらからの附属高校の入学は「附属中学校枠」で入学できるものの、その割合は学年の約 2/3である。内部進学の入学試験に合格しなければならない。いずれも定員があり、入試は1月にある[14]。なお、下記の一般入試は受験できない。
- 2016年(平成28年)入学生までは、下記の一般入試と入試日、入試問題が共通であった。
- 附属中以外の一般の中学生・帰国生
- 帰国入試については、国立の高校ではめずらしく英国数で受験できる[15]。また、2023年度からグループディスカッションがなくなった[16]。
- 入試に合格した場合、入学するには入学確約書の提出を義務としている。ただし法的拘束力はない[17]。
- 2018年まで、都立・県立の公立高校合格発表を待ってから入学手続きを行うことができた。
進路
卒業生のほとんどは四年制大学に進学している[18]。
各年度の大学合格者数 (浪人含む)
|
東京大学
|
国公立大学医学部医学科 (防衛医科大学校を除く)
|
慶應義塾大学
|
早稲田大学
|
2018年度 |
49名(49名進学) |
30名(30名進学) |
114名(40名進学) |
155名(35名進学)
|
2019年度 |
45名(45名進学) |
20名(20名進学) |
119名(48名進学) |
136名(31名進学)
|
2020年度 |
28名(28名進学) |
24名(24名進学) |
102名(42名進学) |
123名(42名進学)
|
2021年度 |
30名(30名進学) |
26名(23名進学) |
93名(33名進学) |
100名(33名進学)
|
2022年度 |
27名(27名進学) |
25名(21名進学) |
117名(48名進学) |
134名(36名進学)
|
2023年度 |
14名(14名進学) |
24名(22名進学) |
114名(38名進学) |
119名(40名進学)
|
2024年度 |
21名(21名進学) |
18名(15名進学) |
86名(39名進学) |
97名(32名進学)
|
設備
- 1936年(昭和11年)、現在の高校の建物は、東急電鉄総帥・五島慶太の誘致によって赤坂区青山北町(当時)から移転した東京府青山師範学校の校舎として建設された。
- この建物は、関東大震災の教訓から極めて頑丈な設計であり、デザインは、当時世界的に流行していたアールデコ様式やアールヌボー様式の折衷となっていて、建築遺産として興味深い。このため、取り壊しや改築の予定は全く無い。テレビドラマや映画の撮影に使用されたこともある[要出典]。
- 1961年(昭和36年)以降は、東京学芸大学の小金井キャンパスの移転に伴って空いた、敷地の一部[19]と建物をそのまま東京学芸大学附属高等学校の設備として利用している。このため高校の校内は非常に広く[要出典]、大きなグラウンドが2つ(大グラウンド・芝グラウンド※現在は芝はない)と体育館が3つ(大体育館・小体育館・第一体育館)、柔道場、さらにはそれらとは別に講堂、西館、別館がある。
- 正門から昇降口までは見事な銀杏並木が並んでいる。季節を通して美しい並木の様子から「ロマンス街道」と生徒の間で呼ばれている[20]。
妙高教育研究所
〒949-2235 新潟県妙高市大字関山6392-5
通称「妙高寮」とも呼ばれる[21][22]校外施設で、約110名が宿泊できる。1967年10月落成[23]、泰山会[24]により運営されている。体育館(1978年竣工)、弓道場(「弓道泰山館」、1974年竣工)などを併設している。体育館はバスケットボール・バレーボールコート1面、バドミントンコート4面などの利用が可能である。
現在は1年次の林間学校、スキー教室、部活動の合宿などで利用されている。また、保護者、在校生、卒業生のほか一般の個人利用もできる。
かつては坪岳スキー場を運営していた。
著名な出身者
政治
行政
法曹
経済
医療
学術
芸術
文学
マスコミ
放送
新聞
芸能
その他
関連校
脚注
- ^ 辛夷会 | 東京学芸大学附属高等学校 同窓会
- ^ a b R5募集要項(一般)確定版20220930 - d23-1.pdf (PDF)
- ^ a b 新教科「情報」の現状と課題を考える 東京学芸大学教育学部附属高校の実践(1) VIEW21[高校版]2000.12
- ^ 「高校紛争全国に広がる 2ヵ月間で49校も」『朝日新聞』昭和44年(1969年)10月28日朝刊、12版、15面
- ^ 工学院大学と東京学芸大附属高校、教育連携協定 | 教育業界ニュース「ReseEd(リシード)」 2023.3.30
- ^ a b “情報教育”. 東京学芸大学附属高等学校. 2023年7月27日閲覧。
- ^ 東京学芸大学付属高等学校事例_aruba_0519 - CS_GakugeiHS.pdf
- ^ 東京学芸大学附属高校、アルバネットワークスをパートナーに全校無線LANインフラ基盤を構築 | アルバネットワークス株式会社
- ^ 東京学芸大学附属高等学校|導入事例|株式会社電算システム
- ^ 「制服:着こなしの変遷60年」『泰山木』(東京学芸大学附属高等学校同窓会報)33号、2016年。
- ^ 高山佳奈子のブログ「附高結びの方法」[1]
- ^ 速報!東大合格者数上位校の知られざる素顔 名門校ほど「ガリ勉」「スパルタ」ではない | 学校・受験 | 東洋経済オンライン 2015/03/26 5:00
- ^ “授業に役立つ学校図書館活用データベース - 授業に役立つ学校図書館活用データベース”. www2.u-gakugei.ac.jp. 2025年1月7日閲覧。
- ^ 学校説明会2023年7月1日
- ^ 【帰国高校受験】東京学芸大学附属高校ってどんな学校?卒業生にインタビューしてみました!|海外子女向けオンライン家庭教師のEDUBAL
- ^ 東京学芸大学附属高校では、2023年度帰国子女枠入試からグループディスカッションがなくなります。| 帰国子女枠入試を合格させるための自己PR添削と面接練習対策
- ^ 受験生に「入学確約書」要求、学芸大附属高に「圧力」指摘 学校側は反論「あくまでもお願いです」 J-CAST ニュース【全文表示】 2021年01月18日08時00分
- ^ 2023web公開版0421 - 20230422results.pdf
- ^ 敷地の南西側は東京学芸大学附属世田谷小学校 (1936-1957) → 図書館短期大学 (1964-1981) → 放送大学東京世田谷学習センター (1985-2012) → 建物解体、世田谷区立下馬中央公園
- ^ “東京学芸大学附属高等学校同窓会創立50周年”. 日本郵趣協会. 2023年7月27日閲覧。
- ^ フォトコレクション | 東京学芸大学附属高校
- ^ 松本至巨, 祖慶良謙, 森棟隆一, 日渡正行, 佐藤亮太, 花園隼人「校外施設の活用に関する研究(5)(個人研究・共同研究)」『東京学芸大学附属学校研究紀要』第39巻、東京学芸大学附属学校研究会、2012年8月、118-124頁、CRID 1050288469018193664、hdl:2309/130856、ISSN 0285-4309、NAID 110009445790。
- ^ 岩藤英司, 坂井英夫, 松本至巨, 祖慶良謙, 安井崇, 佐藤健太「校外施設の活用に関する研究(1)(個人研究・共同研究)」『東京学芸大学附属学校研究紀要』第34巻、東京学芸大学附属学校研究会、2007年5月、183-193頁、CRID 1050851418971766912、hdl:2309/68343、ISSN 0285-4309、NAID 110006439286。
- ^ 2 つの泰山会についてのご説明 65期会長 染谷泰寿
- ^ 『週刊ダイヤモンド』2018年6月9日号、46頁
- ^ “毎日フォーラム・霞が関人物録 島根県”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2022年4月8日). https://mainichi.jp/articles/20220407/org/00m/010/011000d 2024年6月28日閲覧。
- ^ 東京学芸大学附属高等学校同窓会会報『泰山木』32号 (PDF) p.18
- ^ 彦根建築設計事務所 - PROFILE
関連項目
外部リンク