松戸サンリオ劇場
松戸サンリオ劇場(まつどサンリオげきじょう)は、かつて存在した日本の映画館である[1][2][3]。1980年(昭和55年)10月、千葉県松戸市に開館[1]。 1993年(平成5年)に移転して松戸サンリオシアター(まつどサンリオシアター)と改称の上、スクリーンを増やして3スクリーン(のちに4スクリーン)となる[4]。2006年(平成18年)3月31日閉館、翌日から松戸シネマサンシャイン(のちのシネマサンシャイン松戸)となった[5]。 概要1980年(昭和55年)10月、国鉄(現在のJR東日本)常磐線および新京成電鉄新京成線(現在の京成電鉄松戸線)の松戸駅西口近くの千葉県松戸市根本14番地2号に「アーバンヒル松戸」が竣工し、同ビル内の1階に松戸サンリオ劇場として開館した[1][6]。同ビルは黒川紀章建築都市設計事務所の設計、間組の施工によるもので、廃業した松戸ボウルの跡地に建てられた[6]。同館はサンリオの直営館であり、初代支配人を柳沢定が務めた[1]。 当時同市内の映画館には、戦前からあった同市内最古の映画館である松戸常盤館[7](本町16番地4号)、戦後に建てられた輝竜会館[8](のちの輝竜会館シネマ1、松戸1823番地)、パンビ劇場(のちの輝竜会館シネマ2、同)、および成人映画館の松戸京葉劇場・松戸弁天劇場(根本461番地)の5館が存在した[1]。松戸市出身のアートディレクター・増田セバスチャン(1970年 - )は開業当初に『くるみ割り人形』(1979年制作、中村武雄監督)を観て以来の常連で[9]、中でも小学6年だった頃の1982年(昭和57年)12月4日に日本公開した『E.T.』(スティーヴン・スピルバーグ監督)を8回も観たという[10]。 1988年(昭和63年)、同ビル内の1階にてサンリオが直営していたレストラン「ナットクラッカー」の跡地を改装して松戸サンリオ劇場2を開館、従来館を松戸サンリオ劇場1とする[2][3]。当時小学3年だった松戸市議会議員・山中啓之(1979年5月28日 - )は、同年4月に封切られた高畑勲監督作『火垂るの墓』をサンリオ劇場で観たという[11]。 1993年(平成5年)、近隣の本町21番地2号に竣工した「都市綜合開発第三ビル」に移転して松戸サンリオシアターと改称、スクリーンが1つ増えて3スクリーンとになる[4]。のちに4スクリーンになるが、2006年(平成18年)3月31日にサンリオの直営館としては閉館。同館の4スクリーンは、同ビルの3階に入居していた松戸シネマサンシャイン(3スクリーン、経営・佐々木興業)が継承、合計7スクリーンとした[5]。 →「シネマサンシャイン」を参照
松戸サンリオ劇場がかつて入居した「アーバンヒル松戸」は取り壊され、2001年(平成13年)11月、跡地に地上22階建の高層マンション「パークスカイタワー松戸」が建った[12]。同館を継承したシネマサンシャイン松戸は、2013年(平成25年)1月31日をもって、全館閉館して撤退[13][14]。これにより、同市内から常設型映画館がすべて消滅したが、2019年(令和元年)10月25日、テラスモール松戸内に「ユナイテッド・シネマ テラスモール松戸」がグランドオープンし、実質6年10ヵ月ぶりに松戸市内に映画の灯がともった[11][注 1]。 沿革
データ松戸サンリオ劇場
松戸サンリオシアター
関連施設脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク
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