桐生朝日自動車
![]() (日野・レインボーRJ) (日野・ポンチョ) 桐生朝日自動車株式会社(きりゅうあさひじどうしゃ)は、群馬県桐生市に本社を置くタクシー・バス事業者[1]。群馬県バス協会会員[1]。朝日自動車グループに属し、朝日自動車の子会社である。 概要バス事業は、桐生市内で東武バスの廃止代替路線として、桐生市から委託を受け、コミュニティバス「おりひめバス」を運行している[4]。 →詳細は「おりひめバス」を参照
タクシー事業は、グループ統括事業者の朝日自動車と同じブランド名「朝日タクシー」を用い、車両デザインも朝日自動車のタクシー車両のデザインと類似する。主に平成の大合併以前の旧桐生市域を営業区域とする。 2022年8月現在、会社公式ウェブサイトは公開されていない[5]。 事業所歴史東武バスの撤退群馬県は、東武鉄道が1933年(昭和8年)に傍系会社の毛武自動車を設立し初めてバス事業を開始した、東武グループのバス事業の原点とも言える地であった[2]。毛武自動車の営業エリアはその後、両毛地区以外にも拡大したことから東武自動車へ社名変更した[2]。東武自動車は桐生地区では、1937年(昭和12年)1月に桐生市街自動車を買収し路線網を拡大している[2]。 戦時統合下において東武自動車は、1938年(昭和13年)の陸上交通事業調整法で東京周辺北東ブロックの統合主体となり[2]、1942年(昭和17年)の陸運統制令では群馬県の東毛・北毛地区の統合主体となった[2]。また1941年(昭和16年)1月には、朝日自動車が茨城県土浦市で設立されている[2]。 こうした歴史的経緯から、群馬県の路線バス網は東武鉄道により運営され、桐生市内でも多くの路線が運行されてきた[2]。しかし1970年代以降のモータリゼーションの進展により乗客が著しく減少し、特に北関東は急速にモータリゼーションが進行した地域であったことから、1980年代から東武鉄道は北関東でのバス事業から急速に撤退していく[2]。そのため東武バスのルーツであった群馬・栃木の両県(両毛地区)においては、東武鉄道1社が路線網をほぼ独占していたことから、他の地域では例を見ないないほど短期間かつ急激に路線バス網が縮小されていくこととなった[2]。 →「東武バス § 路線撤退と移管」も参照
桐生朝日自動車の設立1990年代に東武鉄道直営の東武バス路線の各地域での子会社への継承が完了し、東武バス株式会社の分社化(2002年設立)が決まると、東武グループ内のバス・タクシー事業者の再編・整理統合が行われ、朝日自動車を中心とする朝日自動車グループへまとめられることとなった[2]。タクシー事業者は1980年代から整理統合が始まり、バス事業者は1990年代から再編が進められた[2]。 →「東武バス § 廃止営業所」も参照
そうした一連の動きの中で、桐生ハイヤーセンターは1999年1月に分社化により桐生朝日自動車を設立[2]、桐生ハイヤーセンターが桐生市から運行を受託していた廃止代替コミュニティバス(現:おりひめバス)も桐生朝日自動車へ移管された[2]。なお、桐生ハイヤーセンターでは貸切バス事業による運行として受託していた[2]。 →「朝日自動車グループ § 沿革」、および「朝日自動車 § 沿革」も参照
桐生ハイヤーセンターが桐生朝日自動車へバス事業を分社化した背景には、東武グループ内のタクシー事業再編により、当時の同社は桐生市内のみならず太田市などを含む広いエリアを営業区域としていたが、本業のタクシー事業が桐生地区で、競合他社との価格競争のため低迷していたという事情もあった[2]。 その後、2000年3月31日付で桐生朝日自動車が桐生ハイヤーセンターを吸収合併し、桐生ハイヤーセンターは消滅した。 年表→「東武バス § 年表」も参照
受託路線コミュニティバス不祥事
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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