独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)独立自動車化狙撃旅団(どくりつじどうしゃかそげきりょだん、отдельная мотострелковая бригада;略称омсбр)は、ロシア陸軍の基本的な展開部隊である。自動車化狙撃兵(機械化歩兵)を3個大隊、自走榴弾砲大隊を2個大隊、戦車大隊を1個大隊、その他いくつかの戦闘支援/後方支援部隊(大隊から小隊規模)を保有する諸兵科連合部隊であり、兵力は約4,000人。通常、指揮官は少将である。 概要ソビエト連邦の崩壊後のロシア陸軍も基本的にソ連陸軍の編制を踏襲していたが、2007年にアナトーリー・セルジュコフが国防相に就任すると、即応性の改善と組織・人員の合理化などを主眼とする大規模な改編が行われた[1]。この一環として基本作戦単位が師団から旅団に変更されることになり、2009年中に、千島列島に駐屯する第18機関銃・砲兵師団を除く全ての師団が解体された[1][2]。 従来の師団編制では連隊戦闘団や大隊戦闘団などを編成して戦闘に臨むことが想定されていたが、南オセチア紛争やチェチェン紛争の経験から、当時のロシア陸軍師団では、実際には各連隊で1個の大隊戦闘団を編成するのがせいぜいであることが判明していた[2]。このことから、規模は連隊並みだが完結した戦闘団として機能する旅団を基本作戦単位とすることで、実質的な戦闘能力は維持しつつ組織の合理化を図るものであった[2]。定数約4,000名の新型旅団84個が編成されたが、このうち装甲部隊を中心とする戦車旅団(重旅団)は4個のみで、装輪装甲車で移動する自動車化狙撃旅団(中旅団)や軽装備の山岳旅団(軽旅団)が主体となっており、大規模戦争型から小規模紛争対処型へのシフトが鮮明となった[2]。 ただし師団から旅団への改編によって大きく兵力を減じたにもかかわらず、担当すべき戦線の幅は師団時代と変わらず20キロメートルとされており、戦力不足が指摘されていた[2]。また旅団化による戦略機動力の向上が期待されていたが、実際には重装備は鉄道で輸送しなければならないため師団時代と大差がなく、またアメリカ陸軍の旅団戦闘団の高い機動力の背景にあるような強力な兵站支援能力も欠いていることも指摘されるなど、旅団化改編には多くの問題が指摘されていた[2]。このため、2012年にセルジュコフ国防相が更迭されると、2013年に第2親衛自動車化狙撃師団および第4親衛戦車師団が復活したのを端緒として、一部で師団編制も復活した[2]。 編制2008年12月にロシア連邦軍参謀総長により承認された定員表では、輸送手段に応じて、以下の3タイプの自動車化狙撃旅団が規定された。 組織構成
人員
装備以下は、MT-LBV型大隊の装備。 主要装備
自動車装備
動物
部隊一覧→「ロシア陸軍の師団・旅団等一覧#自動車化狙撃旅団」も参照
脚注注釈出典参考文献
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia