秋野央樹
秋野 央樹(あきの ひろき、1994年10月8日 - )は、千葉県印西市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アビスパ福岡所属。ポジションはミッドフィールダー、 ディフェンダー。 来歴プロ入り前9歳から柏レイソルのアカデミーに所属。小学校6年時の2006年、日本代表としてダノンネーションズカップに出場した[1][2]。中学時代より各世代の年代別日本代表に名を連ね、AFC U-16選手権2010準々決勝・イラク戦では、チームをFIFA U-17ワールドカップ出場へ導く決勝ゴールを挙げた[3]。本大会でも計4試合に出場し、グループリーグ突破の懸かったアルゼンチン戦で得点を挙げるなど[4]、自国開催だった1993年大会以来18年ぶりのベスト8進出に貢献した。2012年8月3日、同期の小林祐介、木村裕と共に、トップチームに2種登録された[5]。同年は柏レイソルU-18の主将を務め、第36回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会でクラブ史上初の優勝を達成し、自身も大会MVPに選出。千葉県予選を勝ち抜いて出場した第92回天皇杯では、1回戦ヴェルフェたかはら那須戦に勝利し、2回戦で天皇杯史上初となるトップチームと下部組織の「兄弟対決」を実現させた[6]。 柏レイソル2013年、小林、木村、中村航輔と共にトップチームへ昇格[7]。J1第3節ベガルタ仙台戦で公式戦初出場を果たした。プロ2年目の2014年は、リーグ戦7試合に出場。同年8月のスルガ銀行チャンピオンシップ・CAラヌース戦では左センターバックとして先発出場し、勝利に貢献した[8]。9月に開催されたアジア競技大会では、山中亮輔の負傷により3試合で左サイドバックを務めた[9][10]。アカデミー時代の恩師である吉田達磨が監督に就任した2015年は、4-1-4-1システムのアンカーとして茨田陽生とレギュラーを争い[11][12]、リーグ戦16試合に出場した。2016年ではアカデミーで同期の中川寛斗、小林祐介と3ボランチを形成してレギュラーに定着した。また、大谷秀和不在時のキャプテンも務めた。 湘南ベルマーレ2017年、湘南ベルマーレに期限付き移籍で加入[13]。2017年7月16日、第13節の東京ヴェルディ1969戦では今季初得点を決めて勝利に貢献した。2018年も期限付き移籍期間を延長した後[14]、2019年に湘南に完全移籍した[15]。 V·ファーレン長崎2019年7月23日、V・ファーレン長崎へ期限付き移籍[16]。2019年シーズン終了後、完全移籍に移行することが発表された[17]。 2021年に足首を痛め、以後約2年間ほとんど試合に出られない状態が続いたこともあり、2023年11月に契約満了が発表された[18]。しかし、2024年1月16日に長崎との再契約を発表[19]。本人がのちに語ったところによれば、一時はトライアウトを経て他チームへの移籍話が進んだものの、秋野を戦力外としたファビオ・カリーレ監督が辞任し、後任に柏ユース時代に指導を受けた下平隆宏が就くことが濃厚となったため、代理人を通じ再契約を打診したところスムーズに話が進んだという[20]。 アビスパ福岡プレースタイル精度の高い左足のキックと、的確な状況判断能力が持ち味のゲームメーカー[12]。本職はボランチだが、センターバックや左サイドバックもこなせるユーティリティプレーヤーである[22]。 所属クラブ
個人成績
出場歴
タイトルクラブ
個人
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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