室屋成
室屋 成(むろや せい、1994年4月5日 - )は、大阪府泉南郡熊取町出身のプロサッカー選手[2][3]。Jリーグ・FC東京所属。ポジションはディフェンダー(サイドバック)[4]。元日本代表。 来歴プロ入り前5歳の時に兄の影響でサッカーを始め[5][6]、同学年の南野拓実とともに地元・大阪府熊取町の「ゼッセル熊取FC」に所属[6][1]。得点に貪欲な南野に対し、室屋は気の利いた動きやアシストでサポート[7]。お互いに刺激を受ける存在だった[8]。 2010年、青森山田高等学校監督の黒田剛の勧誘を受け[注 1]、同校へ進学。2年時にサイドバックへと転向[11][12]。第91回全国高等学校サッカー選手権大会ではベスト16に終わるも、優秀選手に選出。同賞受賞選手から構成された日本高校選抜にも参加し、デュッセルドルフ国際ユースサッカー大会で初優勝を果たした[13][14]。高校での同期に山田将之[15]、2学年先輩に柴崎岳がいる[16]。 清水エスパルスからのオファーを受けていたが「長友選手を輩出して、サイドバック育成が上手い」(室屋談)明治大学への進学を選び[17][18][12][2][19]、2013年より同大学サッカー部に所属[5]。同年6月にはFC東京のキャンプに帯同し、ランコ・ポポヴィッチ監督から「最大のサプライズ」「今すぐ来てくれ」と絶賛されたが、部との掛け持ちが難しく辞退[3]。 2015年4月、FC東京に特別指定選手として選手登録[4][20]。関東大学リーグを欠場することになった反面、厳しい競争の中で得たものは大きく[21][19]、クロス精度や危機管理能力を向上させた[22]。 FC東京(第1次)2016年2月、明治大学サッカー部を退部。在学のままFC東京に加入した(後述)[23]。同月練習に合流するも、第5中足骨骨折の重傷を負った[24][25]。約4か月の離脱を経てU-23チームで復帰。同年6月12日のJ3第12節・藤枝MYFC戦で復帰後かつプロ入り後初の公式戦出場を果たした[26][27]。翌月からはトップチームに合流し、7月9日のJ1第2ステージ第2節・ヴァンフォーレ甲府戦でJ1初出場[28]。攻守に落ち着いたプレーで同節以降は右サイドバックで先発出場を続けた[29]。11月9日、第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会4回戦のHonda FC戦では鮮やかなループシュートで決勝点となるプロ初ゴールを挙げた[30]。 2017年は鹿島アントラーズとの開幕戦でフル出場。一時は徳永悠平とのポジション争いで劣勢に立たされたが主力として定着し[31][32]、3バック採用時にはウイングバック(WB)でプレー[注 2]。より攻撃参加と運動量が求められる同ポジションでの起用は当たり[33][34]、ルヴァンカップ・プレーオフ第2戦のサンフレッチェ広島戦ではミドルシュートを決め、これが決勝点となった[35]。8月のドイツ遠征後はチームが3バックを基本とし、レギュラーとして得点にも絡んでいたが浦和レッズ戦で負傷離脱。その後はJ3で調整を行い、9月30日の第28節・ジュビロ磐田戦で復帰を果たした[36]。2018年4月11日の第7節・鹿島アントラーズ戦でJ1リーグ初得点を決めた[37]。2019年にはベストイレブンに選出された[38][39]。 ハノーファー2020年8月14日、ドイツブンデスリーガ2部のハノーファー96への完全移籍が発表された[40][41]。9月14日、DFBポカールの1回戦で移籍後初出場を果たした[42]。 2022年8月20日の1.FCマクデブルク戦でドイツ初ゴールを記録した。 FC東京(第2次)2025年5月23日、古巣であるFC東京に完全移籍加入することが発表された[43]。 日本代表高い持久力を武器に[2]、U-17日本代表の左SBとして2011 FIFA U-17ワールドカップの4試合に出場し、チームの8強入りに貢献した[18]。 推進力・運動量・両サイドをこなす器用さを評価され[11][44]、リオデジャネイロオリンピックを目指す日本代表メンバーとしてもプレーを続けた。2016年1月にはAFC U-23選手権2016に唯一の大学生プレーヤーとして出場した[45]。持ち前の運動量と攻守に身体を張るハードワークで、チームの主軸として奮戦[21]。大会を通じて安定した出来を見せ、準々決勝のU-23イラン代表戦では左足から鋭いクロスを放ち[46]、豊川雄太の決勝点をアシスト[47][45]。オリンピック出場権獲得及び大会優勝に貢献した。 負傷明けのため、オリンピック本大会メンバー選考では当落選上にいたが[26]、最終選考の場となったキリンチャレンジカップ・U-23南アフリカ代表戦では果敢な攻め上がりから矢島慎也の得点をアシストし、左右両サイドでのユーティリティー性も発揮[48][49][48]。実戦復帰後初のフル出場ではあったが[49]、上々のプレーでオリンピック本大会のメンバーに選出された[50]。同大会では初戦ナイジェリア代表戦こそ失点に絡む不安定なプレーを見せたが、2戦目以降は積極性を取り戻し[51]、グループリーグ敗退のチームにあって全3試合にフル出場した。 2017年12月5日、EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017に向けた日本代表に追加招集され、これがA代表初選出となった。12月9日、北朝鮮戦で代表初先発で代表デビューを果たした[52]。 2019年1月、AFCアジアカップ2019のメンバーに選出された。グループリーグ第3戦のウズベキスタン戦では先発出場し、武藤嘉紀の得点をアシストした[53]。 人物
所属クラブ
個人成績
タイトルチーム
代表個人
代表歴出場大会
試合数
出場
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク
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