箕田和男
箕田 和男(みのだ かずお、1953年9月26日 - )は、フリーアナウンサー、飲食店経営者。元琉球放送(RBC)アナウンサー。東京都田無市(現西東京市)出身。東京都立久留米高等学校、國學院大學卒業。愛称はみのかずで自身も本名よりこちらで挨拶するほうが多い。 経歴1978年、琉球放送に入社。 「ナイトヤングメイツ」や「ラジオジャック」などのパーソナリティーを務めたほか、「ザ・ベストテン」や「ビッグモーニング」などのTBSテレビ系列全国ネット番組の沖縄担当リポーターを務め、沖縄県の顔となるアナウンサーとなった。 2013年に定年を迎え、キャリアスタッフ(契約社員)として、引き続き主に日曜日から火曜日にアナウンサーとして勤務していた。2018年9月の誕生日をもって契約期間が終了し、それ以降はフリーアナウンサーとして活動している。 1960年代から80年代の洋楽一般に加え、ソウルミュージックやブラックミュージック、ディスコミュージックには詳しく、自身のラジオ番組では「ゲラッパ・ミノカズ」を名乗り、「パパイヤ鈴木には負けません」と自称したことがあるという。他にも戦国武将を中心とした歴史にも詳しい。酒が好物で詳しく、同局主催のイベントでバーテンダーをしたこともあった。 フリーアナウンサーとなったと同時に、那覇市安里(栄町エリア)に、自身の酒好きと洋楽知識を生かしバーを開業した。箕田自らが接客しているため、ファンが集う場所にもなっている。また、箕田と洋楽番組スポンサーのディスコやホテルと組み、年に数回のディスコイベントをホテルで開催している。 RBC在職中の1981年には「ピエロの恋」で歌手デビューを果たし、1992年に同曲の5代目バージョンまでいくつかの曲を歌っており、中には同僚アナウンサーや、民謡歌手前川守賢(げんちゃん)とのデュエットもある。しかしレコードやCD化された曲は少なく、ほとんどが自身が出演したRBCの主にラジオ番組で流す程度である。 自身のラジオ番組では、くだらないダジャレ(オヤジギャグ)や下ネタを言ったり、ニュースを読む際には感想やコメントを挟むことがある。「ラジオジャック」ではウルトラマンのテーマソングにのせて、「仮面お代官ミノダー」のパロディードラマをやっていたことからウルトラマンになりきったり(動物にたとえると「虫」と言われたこともあるという)、怪傑黒頭巾のパロディーで「怪傑白頭巾」をしていたころは白頭巾姿の格好(相方の白丸ならぬ「クロマル」もいた)でテレビのリポーターをしていた。 リクエストのときに、蓑田和男と間違えて投稿する人がたまにいる。その時箕田は、たけかんむりの箕田ですと訂正する。また、和夫と間違えられることもあり、正確にフルネームを書いた人を褒めることがある。 若いころはやせていたが、1980年代末期から小太り気味となった。入社20年後の1998年に沖縄県出身の妻と45歳で結婚し、東京都出身のウチナーンチュとなった。結婚前後に自身が担当していた夕方のワイド番組を休み、代理のアナウンサーが結婚を伝えた。膵臓がんを患った事もあるが、初期だったため無事回復し、再発する事もなく酒を愛している。 2007年にテレビでは他系列の朝日放送(ABC)「探偵!ナイトスクープ」に、女性依頼人の思い出のラジオDJとして出演した。調査人の北野誠が「団塊花盛り!」放送中のRBCiラジオスタジオに乗り込み、北野がマイクを預かる間、箕田は依頼人が少女時代に唄った「ナイトヤングメイツ」のジングルを探し出した。なお、沖縄県で本番組はRBC本社社屋(琉球放送会館)に入居している琉球朝日放送で放送した。 主な担当番組現在RBCiラジオで番組を担当
過去全て琉球放送テレビ・ラジオの番組に出演、但し書きのないものはラジオ
楽曲
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