蒲郡クラシックホテル (がまごおりクラシックホテル)は、愛知県 蒲郡市 にある三河湾国定公園 内の景勝地「竹島 」の対岸、海沿いの標高30mほどの高台(鵜殿氏 が築いた不相城址 )に建つ、戦前に建てられたホテル である。
2017年 (平成 29年)に設立された「日本クラシックホテルの会 」に加盟する九つのクラシックホテル の内の一つ。
概要
海から見た蒲郡クラシックホテル。下方の建物は旧本館「常磐館」の趣を再現した海辺の文学記念館 。
1912年 (明治 45年)創業の料理旅館「常磐館」 の別館として、1934年 (昭和 9年)に建てられた「蒲郡ホテル」 が前身である。
蒲郡ホテルは、鉄道省 に設置された国際観光局 が国際観光ホテル建設計画を発表した際に[ 1] 、全国から名乗りをあげた40の候補地の中から、第一号として選ばれた。他の申請者からはどうして蒲郡なのかと不思議がられた[ 2] 。
建設が決定されたのは、国際観光局内に「ホテル調査会」が発足する直前のことであり、同会委員長に就任した伯爵柳沢保恵 は反対派だったため、「僕を調査会の委員長にしておいて、僕に相談しないで決めるといふことは何だ[ 3] 」と激怒したという。男爵藤村義朗 も反対で、病床にある時に見舞いに来た高久甚之助 に「蒲郡のホテルを建てるには誰が賛成して居るか[ 3] 」と尋ねたという。
蒲郡の町からホテル建設の申出のあつたとき、自分は地図を開いて蒲郡を探した。恐らく同じ様な人が他にもあつたと思ふ。蒲郡と観光ホテルのコンビネーションは当時吾々の常識にはなかつた筈だ。処が他の名立つ観光地をしりへに堂々とホテルを建てたではないか。事のこゝまで到るには蒲郡町の人々の涙ぐましい努力があり熱心があつた
[ 4] 。
— 斎藤正男(※国際観光局 職員)
外観は破風 造りを有する日本建築 風であるが、内部は鉄筋コンクリート 造の洋風で、一般客室33室、貴賓室、サンルーム、ダンスホール 、展望室などの施設を有していた[ 5] 。
ホテル本館が、経済産業省 が認定する近代化産業遺産 に認定、蒲郡市の景観重要建造物 に指定されている。現在も敷地内に常磐館時代の建物が点在し、聚美堂(しゅうびどう、現在の六角堂)、梅別館(旧 料亭竹島、現 THE COVE)、茶寮 鶯宿亭にホテル本館を含めた4棟が国の登録有形文化財(建築物) に登録されている。
登録有形文化財 プレート
景観重要構造物・近代産業化遺産 プレート
毎年4月の「つつじまつり」
庭園は、つつじの名所としても知られ、4月には「つつじまつり」が開かれる。春先の梅 ・河津桜 に始まりソメイヨシノ ・ツツジ ・サツキ と順に花が咲き、秋にはモミジ の紅葉を見ることができる。
歴史
前史
「蒲郡ホテル」時代
「つつじまつり」の時期の蒲郡クラシックホテル本館。昭和初期、当ホテルの建築は驚きを以て受け止められた。 まだ東京 にも大阪 にも名古屋 にも見られない、とても想像以上のものである。誰が何んといつても土地不相応なホテルである。 ――下村海南 『本卦かへり』(四条書房、昭和10年)172頁。
草創期の蒲郡ホテルを特によく利用した皇族・伏見宮博恭王 。 父宮殿下は長良川ホテル と蒲郡ホテルが御気に召してゐらせられ、これ等のホテルを私や光子 に見せて喜ぶのを御覧になられて、御自分様も大変御満足でゐらせられました。 ――昭和22(1947)年5月9日、義娘・博義王妃朝子 の追想。
展望室(※非公開)から見た竹島 。
改称後
館内設備・サービス
主な施設
ホテル本館(宿泊棟) - 常磐館時代の「蒲郡ホテル」を利用(1934年 (昭和9年)建築)
客室:2・3階(27室:ツイン・スイート・ロイヤルスイート ルーム)
メインダイニングルーム:2階(レストラン フランス料理)
アゼリア:2階(ティー・バー ラウンジ)
桜の間:1階(宴会場・会議室)
松の間:地下1階(宴会場・会議室)
梅の間:1階(宴会場・会議室)
フロント・ロビー:1階
売店:1階
ルームサービス
マッサージサービス
モーニングコール
宅配便
ホテル本館 宿泊・レストラン
宴会場「桜の間」
フランス料理 メインダイニングルーム
ラウンジ「アゼリア」
ラウンジ「アゼリア」テラス席
ホテル別館 バンケットホール(宴会場)
クラブクラシック:2階(宴会場・会議室)
四季の間:1階(宴会場・会議室)
ブライダルサロン:1階
モードマリエ:1階(婚礼貸衣装)
ホテル別館 バンケットホール(宴会場)
ホテル別館 バンケットホール「クラブクラシック」
敷地内の別棟の施設
ステーキ&シーフード 六角堂(レストラン ・鉄板焼) 常磐館時代の「聚美堂」を利用(1936年 (昭和11年)建築)
神殿 杜と海の社(結婚式場・神前式)
チャペル カレイド(結婚式場・チャペル)
THE COVE(ザ・コーヴ) 常磐館時代の「梅別館」を利用(1916年 (大正 5年)建築といわれている)、2024年9月17日をもってレストラン営業(料亭「竹島」)を終了し、2025年に離れの宿泊施設としてオープン。
茶寮 鶯宿亭(離れ客室・茶室) - 常磐館時代の建物を利用(1916年 (大正5年)建築といわれている)、2025年に離れの宿泊施設としてオープン。
旧「聚美堂」(ステーキ&シーフード 六角堂)
神殿 杜と海の社
チャペル カレイド
旧・料亭「竹島」(THE COVE)
茶寮 鶯宿亭
評価
地理学者・子爵田中阿歌麿 。 広濶な渥美湾 頭、古くは島であつたらしい海浜の弧丘上に我等を迎ふるが如く海面に浮べる二、三の青螺と共に神都 を拝し得る好適の位置を占むる処、蒲郡ホテルの一夜は私に取つて無上の快感を與へたのであつた[ 31] 。
建設決定時には激しく反対した伯爵柳沢保恵 も、「竣功後はその風光と施設を愛するのあまり、郷里郡山 に往復の都度投宿してゐる[ 32] 」と語っている。
知多 ・
渥美 両半島にいだかれたこの内海の風光は、
河合教授 の最も愛したものの一つであった。ホテルの楽な椅子に坐して鏡のような海面に光る陽ざしや、刻々移りかわる島々の色を眺めていると、ともすれば「凡て世はこともなし」の感に捉えられるのであった
[ 34] 。
— 経済学者 木村健康
交通アクセス
脚注
参考文献
御傳記編纂會「博恭王殿下を偲び奉りて」、御傳記編纂會、1948年。
関連項目
外部リンク