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この項目では、1989年生のサッカー選手について説明しています。1990年生の女性歌手については「金輔炅」をご覧ください。 |
カーディフ・シティFCの金甫炅(2013年)
金 甫炅(キム・ボギョン、1989年10月6日 - ) は、大韓民国・全羅南道求礼郡出身のプロサッカー選手[1]。Kリーグ1・FC安養所属。元韓国代表。ポジションはミッドフィールダー(インサイドハーフ、アウトサイドハーフ、攻撃的ミッドフィールダー)。
2019年のKリーグ最優秀選手賞受賞者である。
クラブ経歴
大分トリニータ
ソウルで小学生時代を過ごし、中学と高校時代を龍仁市サッカーセンターで過ごした。その後、弘益大学校に進学するも中退してプロ入りを目指したが、ドラフト制度のためにKリーグのクラブに入団することはできず[2]、2009年12月29日にJリーグのセレッソ大阪と3年契約を結ぶことをメディアに明かした[3]。しかし、当時はセレッソのA契約外国人枠(アジア枠含む)が全て埋まっていたために、セレッソと契約を交わした上で当時J2の大分トリニータに期限付き移籍した[4]。
プロ選手としてのキャリアをスタートさせた大分では背番号10を背負い、開幕後5試合で6得点をあげるなど序盤戦において前評判通りの活躍を見せる。同年6月に2010 FIFAワールドカップメンバーに選出。W杯からチームに復帰して以降は2ゴール(うちPKでの得点が1つ)に終わりやや不本意な結果となった。
セレッソ大阪
2011年より、期限付き移籍を満了してセレッソ大阪に復帰。以後、清武弘嗣、乾貴士、倉田秋らと共に中心選手として活躍した。
2012年シーズンにはロンドンオリンピック参加によりチームを離れる7月までに15試合7得点を記録し、得点ランキングの上位にも名を連ねた。
カーディフ・シティ
2012年7月27日、イングランド・フットボールリーグ・チャンピオンシップに参戦しているウェールズのカーディフ・シティFCに3年契約で完全移籍することが発表された[5][6]。関係者が語ったところによれば移籍金は250万ポンド、年俸は120万ポンドだとスポーツ報知は報じている[7]。サポーターへの挨拶をするために大阪に帰り、大勢のサポーター一人一人への握手会、さらに集合写真、キムボギョンからのプレゼント争奪ジャンケン大会を経て、最後はサポーターに胴上げされた。胴上げ回数は背番号にちなんで7回だった[8]。
2012-13シーズン、移籍後1年目からレギュラーを掴みプレミアリーグ昇格に貢献。カーディフが1992年創設のプレミアリーグに昇格するのは初、1部リーグ復帰は1961-62年シーズン以来実に51年ぶりとなる一方で、自身はプレミアリーグでプレーする12人目の韓国人選手となった[9]。
2013-14シーズン、プレミアリーグで28試合に出場したものの、クラブはリーグで苦戦し1年でチャンピオンシップに再び降格となった。
2014-15シーズンは前半戦でチャンピオンシップ2試合のみと出場機会を大幅に減らし、2015年1月24日に双方合意のもとでカーディフとの契約を解除した[10]。
ウィガン・アスレティック
2015年2月6日、フットボールリーグ・チャンピオンシップのウィガン・アスレティックFCと2014-15シーズン終了(2015年6月30日)までの契約を結んだ[11]。当時のウィガンの監督はカーディフ時代の恩師であるマーキー・マッケイ(英語版)だった。ウィガンではリーグ戦18試合に出場して1ゴールを記録したものの、クラブは23位で終えてフットボールリーグ1降格となった。
リーグ戦終了後、韓国代表の試合と基礎軍事訓練に加えて水原三星ブルーウィングスの練習に参加。Kリーグ未経験の金甫炅は一度はKリーグでプレーしたい意向は示したものの、予算を減らしている水原三星とは条件面で大きく隔たりがあるとスポーツソウルは報じた[12]。7月に入ってブラックバーン・ローヴァーズFCへの移籍に迫っていたものの、就労ビザが下りなかったため破談になったことが2015年7月31日にBBCが報じている[13]。
松本山雅
イングランドでのプレーを断念した後、2015年8月にオランダのPSVアイントホーフェンから招待されてトライアルを受けたものの、最終的に契約には至らず、ヨーロッパでのプレーを断念してJ1リーグの松本山雅FCと契約して3年ぶりにJリーグに復帰することが8月25日に朝鮮日報によって報じられた[14]。9月9日、松本山雅から正式に完全移籍加入が発表された[15]。チームはJ1リーグを16位で終えてJ2リーグへの降格が決まってしまい、12月8日に契約満了で退団する旨が発表された[16]。
全北現代1期
2016年、Kリーグクラシック王者の全北現代モータースへ完全移籍[17]。プロ入り以来初の母国リーグでのプレーとなった。
2016シーズンは公式戦43試合に出場して7ゴールを記録。Kリーグクラシックでは2位に終わって3連覇は逃したものの、AFCチャンピオンズリーグ2016では13試合出場3ゴールを記録して10年ぶり2回目の優勝に貢献した。
2017シーズン前半も16試合3ゴール2アシストを記録した。
柏レイソル
2017年6月22日、J1リーグ・柏レイソルへの移籍加入で合意に達し、7月21日に選手登録が行われた[18]。2017年シーズンではJ1リーグ4位とAFCチャンピオンズリーグ2018出場権獲得に貢献したものの、2018年シーズンは一転してチームが不振に陥り、リーグ戦を17位で終えてJ2リーグ降格となってしまった。
蔚山現代
2019年1月3日、Kリーグ1の蔚山現代FCに期限付き移籍で加入[19][20]。リーグ戦35試合に出場し13ゴールを記録。文宣民、セシーニャ、ヴァンデルソンを抑えて2019年シーズンのKリーグ年間MVPに輝いた[21]。
全北現代2期
2020年1月5日、全北現代モータースへ完全移籍で復帰[22][23]。在籍3シーズンで公式戦112試合11ゴールを記録し、Kリーグ1の2連覇と韓国FAカップ優勝に貢献。特に2021年シーズンはKリーグ1で10アシストを記録してアシスト王になった。
水原三星ブルーウィングス
2023年1月17日、2年契約で水原三星ブルーウィングスに移籍[24]。しかし、2023年シーズンはKリーグ1最下位でクラブ初のKリーグ2降格となってしまい、続く2024年シーズンもKリーグ1昇格プレーオフに進めないなど、苦しい時期をともに過ごすことになってしまった。
2024年12月31日、契約満了で退団する旨が発表された[25]。
FC安養
2025年1月23日、Kリーグ1に初昇格したFC安養に加入[26][27]。
代表経歴
2007年から世代別代表に選ばれている。U-20韓国代表ではAFC U-19選手権2008に出場してチームのベスト4入りに寄与し、出場権を得た2009 FIFA U-20ワールドカップ本大会でも2ゴールを挙げた。U-23韓国代表では2010年アジア競技大会と2012年ロンドンオリンピックの銅メダル獲得に貢献。
2010年1月9日、ザンビア代表との国際親善試合で韓国代表デビュー。同年6月から7月まで南アフリカ共和国で開催された2010 FIFAワールドカップ本大会の登録メンバーに選出された。23人中最年少での選出で当時在籍していた大分からのクラブ史上初のW杯登録選手となったが、試合に出場する事はなかった。
2011年1月のAFCアジアカップ2011でも登録メンバー入りはしたものの出場なしに終わった。しかし、以後も継続して招集され続け、2012年6月12日の2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選・レバノン代表戦では国際Aマッチ初ゴールを含む2ゴールをあげて勝利に貢献。
2014年6月から7月までブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップ本大会の韓国代表に選ばれ[28]、2試合に途中出場したものの、グループステージで敗退となった。
その後はしばらく代表から遠ざかっていたが、2016年11月11日に行われたカナダ代表との国際親善試合で10分に先制ゴールを記録するなど、2-0の勝利に貢献した[29]。
2019年に自国で開催されたEAFF E-1サッカー選手権2019では背番号10番をつけて出場しチームの優勝に貢献した。
人物
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2010 |
大分 |
10 |
J2 |
27 |
8 |
- |
1 |
0 |
28 |
8
|
2011 |
C大阪 |
16 |
J1 |
26 |
8 |
0 |
0 |
3 |
1 |
29 |
9
|
2012 |
7 |
15 |
7 |
3 |
2 |
- |
18 |
9
|
イングランド
| リーグ戦 |
FLカップ | FAカップ
|
期間通算
|
2012-13 |
カーディフ |
13 |
FLC |
28 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
28 |
2
|
2013-14 |
プレミア |
28 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
31 |
1
|
2014-15 |
FLC |
2 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
5 |
0
|
ウィガン |
16 |
18 |
2 |
- |
- |
18 |
2
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2015 |
松本 |
26 |
J1 |
6 |
0 |
- |
0 |
0 |
6 |
0
|
韓国
| リーグ戦 |
リーグ杯 | FA杯
|
期間通算
|
2016 |
全北現代 |
13 |
Kクラシック |
29 |
4 |
- |
1 |
0 |
30 |
4
|
2017 |
15 |
3 |
- |
1 |
0 |
16 |
3
|
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2017 |
柏 |
15 |
J1 |
13 |
0 |
- |
2 |
0 |
15 |
0
|
2018 |
23 |
2 |
2 |
0 |
2 |
0 |
27 |
2
|
通算 |
日本 |
J1
|
83 |
17 |
5 |
2 |
7 |
1 |
95 |
20
|
日本 |
J2
|
27 |
8 |
- |
1 |
0 |
28 |
8
|
イングランド |
プレミア
|
28 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
31 |
1
|
イングランド |
EFLC
|
48 |
4 |
3 |
0 |
0 |
0 |
51 |
4
|
韓国 |
K1
|
44 |
7 |
- |
2 |
0 |
46 |
7
|
総通算
|
230 |
37 |
8 |
2 |
13 |
1 |
251 |
40
|
- その他の国際公式戦
出場歴
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 38試合 4得点(2010年-2019年)[32]
韓国代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
2010 |
8 |
0
|
2011 |
3 |
0
|
2012 |
5 |
2
|
2013 |
9 |
1
|
2014 |
5 |
0
|
2015 |
2 |
0
|
2016 |
3 |
1
|
2017 |
1 |
0
|
2018 |
0 |
0
|
2019 |
2 |
0
|
通算 |
38 |
4
|
タイトル
クラブ
- カーディフ・シティFC
- 全北現代モータース
代表
個人
脚注
- ^ “축구선수 김보경, 구례 저소득 가정 위해 3100만원 기탁” (韓国語). 남도방송 (2019年12月10日). 2022年11月13日閲覧。
- ^ a b c イ・ヨンミ (2012年6月25日). “‘포스트 박지성’ 김보경, “지성 형이 보낸 메시지의 놀라운 힘”” (韓国語). 2025年2月9日閲覧。
- ^ “キム・ボギョン、Jリーグ・セレッソ大阪に入団へ”. 聯合ニュース via WoW!Korea (2009年12月30日). 2025年2月9日閲覧。
- ^ 『title=キム ボギョン選手加入および期限付き移籍のお知らせ』(プレスリリース)セレッソ大阪、2010年1月28日。https://www.cerezo.jp/news/2010-01-28-2/。2025年2月9日閲覧。
- ^ 『KIM BO-KYUNG CITY DEAL CONFIRMED』(プレスリリース)カーディフ・シティFC、2012年7月27日。https://www.cardiffcityfc.co.uk/news/2012/july/kim-bo-kyung-city-deal-confirmed。2025年2月9日閲覧。
- ^ 『【12/07/27】キム ボギョン選手の移籍について』(プレスリリース)セレッソ大阪、2012年7月27日。オリジナルの2013年10月19日時点におけるアーカイブ。https://web.archive.org/web/20131019003725/http://www.cerezo.co.jp/news_detail.asp?c_idx=10008346&contents_code=100100100。2012年7月27日閲覧。
- ^ “キム、イングランド2部・カーディフ移籍…C大阪”. スポーツ報知 (2012年7月12日). 2012年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月12日閲覧。
- ^ 『キム ボギョン選手 壮行セレモニーを開催しました』(プレスリリース)セレッソ大阪、2012年8月17日。https://www.cerezo.jp/news/2012-08-17-6/。2025年2月9日閲覧。
- ^ “카디프, EPL 승격…김보경 12번째 프리미어리거 ” (韓国語). 毎日経済新聞 (2013年4月17日). 2025年2月9日閲覧。
- ^ 『CLUB STATEMENT: KIM BO-KYUNG』(プレスリリース)カーディフ・シティFC、2014年1月24日。https://www.cardiffcityfc.co.uk/news/2015/january/club-statement-kim-bo-kyung。2025年2月9日閲覧。
- ^ “Kim Bo-kyung: Wigan Athletic sign former Cardiff midfielder”. BBC (2015年2月6日). 2025年2月9日閲覧。
- ^ “김보경, 수원에서 훈련 중…K리그 진출 가능성은?” (韓国語). スポーツソウル (2015年6月23日). 2025年2月9日閲覧。
- ^ “Kim Bo-kyung: Blackburn Rovers fail to sign midfielder”. BBC (2015年7月31日). 2025年2月9日閲覧。
- ^ キム・ジンフェ (2015年8月25日). “[단독김보경 J리그 유턴, 유럽 돌아 행선지는 마쓰모토]” (韓国語). 朝鮮日報. 2025年2月9日閲覧。
- ^ 『キム ボギョン選手 ウィガン アスレチックより完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)松本山雅FC、2015年9月9日。https://www.yamaga-fc.com/archives/38450。2025年2月9日閲覧。
- ^ 『契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)松本山雅FC、2015年12月8日。https://www.yamaga-fc.com/archives/43030。2025年2月9日閲覧。
- ^ “松本退団の韓国代表MFキム・ボギョン、Kリーグ王者・全北現代へ完全移籍”. サッカーキング (2016年1月3日). 2025年2月9日閲覧。
- ^ 『キム ボギョン選手 移籍加入に合意』(プレスリリース)柏レイソル、2017年6月22日。https://www.reysol.co.jp/news/topteam/030848.html。2025年2月9日閲覧。
- ^ (韓国語)『울산현대, 김보경 임대 영입… “우승하기 위해 왔다!”』(プレスリリース)蔚山HD FC、2019年1月3日。https://www.uhdfc.com/board/board_view.php?page=47&no_seq=50879&buid=news_g&s_field=bd_title&s_value=。2025年2月9日閲覧。
- ^ 『キム ボギョン選手 蔚山現代FCに期限付き移籍』(プレスリリース)柏レイソル、2019年1月3日。https://www.reysol.co.jp/news/topteam/001544.html。2025年2月9日閲覧。
- ^ イ・サンチョル (2019年12月2日). “‘왕별’이 된 김보경 “MVP는 행운…동료의 희생 덕분” [현장인터뷰]” (韓国語). 毎日経済新聞. 2025年2月9日閲覧。
- ^ (韓国語)『김보경, 전북의 재입단... "아시아 최고 자리 올랐던 영광 되찾겠다"』(プレスリリース)全北現代モータース、2020年1月5日。https://hyundai-motorsfc.com/media/news/7642。2025年2月9日閲覧。
- ^ 『キム ボギョン選手 全北現代モータースに移籍』(プレスリリース)柏レイソル、2020年1月8日。https://www.reysol.co.jp/news/topteam/032923.html。2025年2月9日閲覧。
- ^ “김보경, 수원삼성과 2년 계약... "팀이 더 강해지도록"[공식발표]” (韓国語). 朝鮮日報 (2023年1月17日). 2025年2月9日閲覧。
- ^ 水原三星ブルーウィングス [@suwonsamsungfc]「뮬리치, 김보경 선수가 계약 만료로 팀을 떠납니다.」2024年12月31日。Instagramより2025年2月9日閲覧。
- ^ 『FC안양, 프리미어리그, 월드컵 경험 보유 베테랑 김보경 영입!』(プレスリリース)FC安養、2025年1月23日。https://fc-anyang.com/news/newsDetail.asp?menu=TNews&seq=984。2025年2月9日閲覧。
- ^ FC安養 [@fc_anyang]「FC안양, 국가대표 출신 베테랑 김보경 영입!」2025年1月23日。Instagramより2025年2月9日閲覧。
- ^ “Jリーグから4名選出…韓国代表がブラジルW杯メンバー23名発表”. サッカーキング (2014年5月8日). 2025年2月9日閲覧。
- ^ “South Korea 2-0 Canada (11 Nov, 2016) Final Score”. ESPN. 2025年2月9日閲覧。
- ^ “韓国紙「パク・チソンの後継者はキム・ボギョン」…香川に次ぐタレントと報道”. サッカーキング (2012年6月22日). 2012年8月18日閲覧。
- ^ 慎武宏 (2016年12月11日). “クラブW杯アジア代表の元Jリーガーが語った「日本と韓国の違い」”. Yahoo!エキスパート. 2022年8月22日閲覧。
- ^ 金甫炅 - National-Football-Teams.com
関連項目
外部リンク
韓国代表 - 出場大会 |
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(*1 張賢秀 *2 韓国栄に替わって予備メンバーから選出)
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タイトル・受賞歴 |
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1980年代 |
- 83: 趙廣來, 朴昌善
- 84: 朴昌善, 許丁茂, 趙榮增
- 85: 朴商寅, 李興實, 朴垣緒
- 86: 曺敏國, 李興實, 尹星孝
- 87: 金三洙, 魯壽珍, 李興實
- 88: 崔震澣, 金相鎬, 皇甫官
- 89: 李興實, 趙徳濟, 姜才淳
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1990年代 |
- 90: 崔震澣, 李興實, 崔大植
- 91: 金鉉錫, 李永鎮, 金鋳城, 崔康熙, 李相潤
- 92: 辛弘基, 金鉉錫, 申台龍, 朴泰夏, 申東喆
- 93: 金判根, 申台龍, 金東海, 李相潤, 金奉吉
- 94: 申台龍, 高正云, 皇甫官
- 95: 申台龍, 高正云, 金鉉錫, 金判根, アミル
- 96: 申台龍, バデア, 洪明甫, 河錫舟, 金鉉錫
- 97: 金鉉錫, 申晉遠, 金仁完, 李晉行, 鄭在權
- 98: 高宗秀, 柳想鐵, 白承哲, 安貞桓, 鄭正洙
- 99: 徐正源, 高宗秀, デニス, 高正云
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2000年代 |
- 00: アンドレ, 申台龍, 全慶埈, デニス
- 01: 申台龍, 徐正源, 宋鐘國, 南基一
- 02: 申台龍, 李天秀, アンドレ, 徐正源
- 03: 申台龍, 李城南, 李官雨, 金南一
- 04: 金東進, タバレジュ, 金斗炫, 金大儀
- 05: 李天秀, 李浩, 金斗炫, 趙源熙
- 06: 金斗炫, 李官雨, 白智勳, ポポ
- 07: タバレジュ, 李官雨, 金基東, 金斗炫
- 08: 金炯氾, 趙源熙, 奇誠庸, 李菁龍
- 09: 崔兌旭, 奇誠庸, 金正友, エニーニョ
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2000年代 |
- 10: モリーナ, 尹ビッカラム, 具滋哲, エニーニョ
- 11: 廉基勳, 尹ビッカラム, 河大成, エニーニョ
- 12: モリーナ, 河大成, 黄辰成, 李根鎬
- 13: 高武烈, 李明周, 河大成, レオナルド
- 14: 林相協, 高明振, 李承琪, 韓敎元
- 15: 廉基勳, 李在成, 権昶勲, 宋珍炯
- 16: ロペジュ, 権昶勲, 李在成, レオナルド
- 17: 廉基勳, 李在成, 李昌敏, 李承琪
- 18: ネゲバ, 崔榮峻, アギラール, ロペジュ
- 19: 文宣民, 金甫炅, セジーニャ, ワンデルソン
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2020年代 |
- 20: 韓敎元, 孫準浩, セジーニャ, パロセヴィッチ
- 21: 林相協, ヴァコ, セジーニャ, 李東俊
- 22: 金大元, 申塡灝, セジーニャ, 李青龍
- 23: ジェルソ, オベルダン, 李淳敏, 嚴元相
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MVP - 得点王 - アシスト王 - 若手選手賞 - ベスト11(GK - DF - MF - FW) |
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