金融再生委員会委員長
金融再生委員会委員長(きんゆうさいせいいいんかいいいんちょう、英語:Chairman of the Financial Reconstruction Commission)は、日本の廃止された国務大臣。金融再生委員会を代表する。 概要![]() 日本の金融再生委員会に置かれた国務大臣であるが[1]、主任の大臣ではない。主として金融行政を所管する国務大臣であった。金融再生委員会は、金融破綻処理制度、および、金融危機管理についての、調査、企画、立案を所管した[2]。具体的には、金融機能の安定と再生を目的に、金融機関破綻時に必要な処置を講じた[2]。また、銀行業、保険業、証券業、その他の金融業の適切な運営や経営の健全性を確保するため免許、検査、監督を行うとともに、証券取引の公正さを確保するため監視を行った[2]。金融再生委員会委員長は、金融再生委員会のこれらの会務を総理するとともに、金融再生委員会を代表した[3]。 金融再生委員会にて金融行政を司る組織としては、金融再生委員会の内部部局である事務局、金融再生委員会に設置される株価算定委員会、金融再生委員会の下部組織である金融監督庁や金融庁などが挙げられる[4][5][6][7]。金融再生委員会委員長は、これらの組織を担当する。 金融再生委員会は金融再生委員会委員長、および、委員4名で構成されており、委員会の会議は金融再生委員会委員長により招集された[8][9]。このとき、金融再生委員会委員長、および、2名以上の委員が出席しない場合は、金融再生委員会としての会議を開き、議決をすることができなかった[10]。また、金融再生委員会の議事の採決にて可否同数となった場合は、金融再生委員会委員長の決するところに従うことになっていた[11]。また、金融再生委員会委員長に事故があるときに備え、金融再生委員会委員のうち1名が金融再生委員会委員長代理に指名された[12]。 沿革![]() 1998年に開かれた第143回国会にて、金融再生委員会設置法案、金融機能の再生のための緊急措置に関する法律案、金融機能の早期健全化のための緊急措置に関する法律案、といった金融に関係する法案が相次いで可決成立した。これを受け、小渕内閣では金融再生委員会の設置を見据え、「金融機能の再生及び早期健全化のための施策等を円滑に推進し金融再生委員会の設立準備に資するための行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣として金融再生担当大臣を設置することになった。それにともない、国土庁長官として入閣していた柳澤伯夫が、国土庁長官を退任して金融再生担当大臣となり「金融機能の再生及び早期健全化のための施策等を円滑に推進し金融再生委員会の設立準備に資するための行政各部の所管する事務の調整」を担当することになった[13]。 1998年12月15日に金融再生委員会が発足すると、柳澤伯夫は金融再生担当大臣の任を解かれるとともに、金融再生委員会の初代委員長に就任した[13]。以来、7代5名が委員長に就任している。2001年1月6日、中央省庁再編により金融再生委員会は廃止され、金融再生委員会の業務の大半は金融庁に引き継がれた[14]。それにともない、金融再生委員会委員長の職も2001年1月5日付で廃止された。 金融再生委員会委員長の職が設置されていたのは、1998年12月から2001年1月での約2年間である。柳澤伯夫の委員長在任期間は通算で約1年に達しており、委員長設置期間中のおよそ半分は柳澤の在任期間だったことになる。柳澤以外の委員長は、在任期間が短い者が多かった。小渕第2次改造内閣で第2代委員長を務めた越智通雄は、金融検査についての発言が波紋を呼び、在任4か月強で辞任した。また、第2次森内閣で第5代委員長を務めた久世公堯は、参議院比例区の比例名簿掲載順位を上げるため党員を集めた際、その党費を民間企業に肩代わりさせていたことが発覚し、在任1か月弱で辞任している[15]。 名称「委員会委員長」と重畳したものが正式職名である(委員の職名も同様)。新聞などの報道では、簡略化して「金融再生委員長」「金融委員長」と表記されることも多い。英語での呼称については「Chairman of the Financial Reconstruction Commission」[16]とされている。 歴代委員長
註釈脚注
関連項目外部リンク
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