第1次森内閣
第1次森内閣(だいいちじもりないかく)は、元文部大臣の森喜朗が第85代内閣総理大臣に任命され、2000年(平成12年)4月5日から同年7月4日まで続いた日本の内閣。 2000年(平成12年)4月2日、前任の小渕恵三首相が脳梗塞で倒れ緊急入院し、職務執行不能となったため、前内閣の小渕第2次改造内閣を急遽そのまま引き継ぐ形で発足した。 概要小渕前内閣に引き続き、自由民主党、公明党、および保守党による自公保連立政権であった。 小渕首相の発症・入院が急であり重篤と伝えられ、五人組による不透明が問題視された内閣となった。内閣官房長官を含めて全て前内閣からの再任者となる居抜き内閣でスピード組閣された。 また、第42回衆議院議員総選挙を想定しての選挙管理内閣の性格が強かった。同選挙では玉澤徳一郎農相と深谷隆司通産相は落選した[1]。 内閣総理大臣としての人事権により森首相が独自に組閣するのは同年7月4日の第2次森内閣からであった。 長野県出身者が首相を務めた羽田内閣以来の中日本出身首相による内閣である。 国務大臣所属政党・出身: 自由民主党(森派) 自由民主党(旧小渕派) 自由民主党(加藤派) 自由民主党(旧河本派) 自由民主党(河野G) 自由民主党(江藤・亀井派) 自由民主党(山崎派) 自由民主党(無派閥) 公明党 保守党 中央省庁・民間
内閣官房副長官・内閣法制局長官
内閣総理大臣補佐官
政務次官組閣同日に発足。 ※1999年(平成11年)9月20日、将来の副大臣制度を見据えた政務次官の権限強化に関する法改正があり、同日以降は「○○総括政務次官」(1省庁に複数置かれる場合は筆頭者のみ)と呼称することとなった。この改正では権限部分のみで官職名までは改められず、閣議での申し合わせという形での「総括」呼称導入であったため、法的根拠を要する任命辞令には「総括」を含まない正式官職名が使用される。
脚注
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