市郡 |
町村 |
市町村章 |
由来 |
制定日 |
廃止日 |
備考
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西彼杵郡 |
高島町 |
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三つの小さな輪は高島町・鉱業所・労働者を表し、それらを囲む輪は平和と家族の円満を意味したもの[22] |
1969年10月[22][23] |
1996年12月2日 |
初代の町章である 鉱業所が閉されたことで町章として相応しくない為に変更された[22][24]
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壱岐郡 |
郷ノ浦町 |
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「ゴ」・郷ノ浦港を円形に図案化したもの[25][26] |
1955年12月[26] |
2004年3月1日 |
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勝本町 |
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「か」を左右の翼の形に図案化したもの[27][26] |
1973年9月[26] |
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芦辺町 |
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三つの「ア」を図案化したもの[26] |
1961年9月[26][28] |
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石田町 |
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「イシ田」を組み合わせ、意匠化したもの[26] |
1967年[26] |
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下県郡 |
厳原町 |
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「イヅハラ」を図案化したもの[29] |
1967年3月30日[30][31] |
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美津島町 |
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「つ」の組み合わせにより全体が出来、中側に浅野湾を頂いたもの[32][33] |
1964年4月[34] |
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豊玉町 |
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全体は「と」を図案化し、「▼」は末広がり・「C」は玉を表したもの[35] |
1970年9月10日[36] |
1970年3月10日に公表され、同年9月10日に制定される[36] 豊玉村章として制定され、町制施行後に継承された
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上県郡 |
峰町 |
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「ミ」を図案化し、山を象る三角形を表したもの[37] |
1971年3月24日[38] |
峰村章として制定され、町制施行後に継承された
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上県町 |
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「カミ」を結んで図案化し、大きく広げた姿を翼で表したもの[39][40] |
1967年4月[40] |
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上対馬町 |
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「カミ」を鳩の形に意匠化したもの[41] |
1966年11月4日[42] |
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福江市 |
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「フク」を翼上に図案化したもの[43] |
1954年6月10日[43] |
2004年8月1日 |
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南松浦郡 |
富江町 |
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三つ組み合わせた「と」円やかな三つの曲線にして、それでサンゴを想像してから、そして、「とみ」を意味し、それらを意匠化したもの[44][45][46] |
1922年9月1日[44] |
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玉之浦町 |
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「玉」を異形にし、波で囲むのを象徴し、意匠化したもの[47][48] |
1980年[48] |
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三井楽町 |
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三つの「い」をアレンジして配置し、中央の円は「楽」を表したもの[49] |
1978年10月2日[50] |
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岐宿町 |
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「き」を円形に図案化し、中央の空白は町のポイントとして「和」を表したもの[51][52] |
1971年[53] |
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奈留町 |
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全体は宝船であり、七つの「ル」で「ナル」を表したもの[54] |
不明 |
1973年以前には制定されていた[55]
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若松町 |
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「ワ」を便化し、波頭で納めて表したもの[56] |
1966年9月25日[56] |
1966年9月10日に公表され、同年9月25日に制定された[56]
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上五島町 |
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「カミ」を結んで図案化し、外側の円・内側の円は海を表したもの[57] |
1966年10月1日[58] |
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新魚目町 |
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上側は「ウ」を配し、両翼は「シン」を図案化し、更に下側の円は融和・平和・団結を表したもの[59] |
1969年9月20日[60][61] |
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有川町 |
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全体は太陽であり、「ア」を右に、「リ」を左に、外側の丸の上下を合わせて「川」を中心にいれたものである[62][63] |
1961年10月17日[62] |
色は地色はコバルト色であり、紋章は白色が指定されている[62]
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奈良尾町 |
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「な」を魚型に図案化したもの[64][65] |
1961年11月[65] |
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西彼杵郡 |
香焼町 |
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長崎港を表す鶴の港の中に折り鶴の形にして「こ」を図案化したもの[66] |
1962年3月25日[67] |
2005年1月4日 |
色は青色が指定されている[66] 当時、在職していた香焼町立香焼中学校の教師の作品である[68]
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伊王島町 |
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「い」を円形化て、同時に左右は伊王島・沖之島を表したもの[69][70] |
1962年5月20日[67] |
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高島町 |
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全体は「T」を表し、青色(町民の和を表す)の両手(町民を表す)で赤丸を差し伸べたもの[24] |
1996年12月2日[67] |
1996年12月2日に制定され、1997年4月1日に使用される[67][24] 色は赤色と青色が指定されている[24] 2代目の町章である
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野母崎町 |
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「の」を逞しく描き、中心部は野母崎を表したもの[71][72][73] |
1956年1月1日[67] |
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三和町 |
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三つの「ワ」を放射線状に組み合わせ、「○」を表したもの[74] |
1969年2月11日[75][67] |
当時、在籍していた長崎県立長崎南高等学校の2年生の男子生徒の作品である[75]
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外海町 |
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「外」を波上にして意匠化したもの[76] |
1975年12月20日[67] |
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諫早市 |
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「イ」を三つ外向きに配置し、全体を早の字に形どり、「イ三早」としたもの[77] |
1940年10月28日[77] |
2005年3月31日 |
初代の市章である
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西彼杵郡 |
多良見町 |
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「た」を翼上に意匠化したもの[78] |
1971年[78] |
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北高来郡 |
森山町 |
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「森」を図案化し、三方に広がる「木」を表したもの[79] |
1969年4月1日[79] |
色は緑色が指定されている[79]
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飯盛町 |
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「い」を図案化し、二人の人間が手を取り合った姿を図案化した円は「輪(和)」を表したもの[80][81] |
1965年4月1日[82] |
色は円の部分は赤色が指定されている[81] 当時の1955年3月31日から1961年7月1日まで・1964年1月25日から1966年7月21日までの飯盛町助役の山口惣右エ門の作品である[82][80] 飯盛村章(制定日不明[82])と制定され、町制施行後に継承された
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高来町 |
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円の上半分は「タ」・下半分は「カ」・中心部で「キ」を表したもの[83] |
1974年12月[84] |
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小長井町 |
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「小長井」を図案化したもの[85] |
1956年11月[86] |
小長井村章として制定され、町制施行後に継承された
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西彼杵郡 |
西彼町 |
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「S」を取り、西海橋に形容し、真珠を真円に描いたものを図案化したもの[87] |
1965年6月1日[87] |
2005年4月1日 |
西彼村章として制定されたものを町制施行後に継承された
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西海町 |
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「サ」を図案化し、三角形を虚空蔵山として中心に描き、円は大村湾(内海)五島灘(縁海)に面する地勢と町民の融和を示したもの[88][89] |
1975年1月1日[90] |
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大島町 |
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「大シマ」を波しぶきにし、円形に図案化したもの[91][92] |
1959年4月[92] |
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崎戸町 |
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三つの線で「サキト」を図案化したもの[93] |
1938年12月[93] |
旧・崎戸町制時に制定され、新町制時に継承された 1938年10月に公表され、同年12月に制定される[94]
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大瀬戸町 |
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右の半月は、町の東に位置する多以良・瀬戸・雪浦の陸地を、左の円は松島を形どったもの[95] |
1965年5月1日[95] |
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北松浦郡 |
吉井町 |
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「吉井」を組み合わせたもの[96][97] |
1951年12月1日[96][97] |
吉井村制時の1932年に吉井村立吉井小学校の新校舎の落成を記念して、校章を制定したものを1951年12月1日の町制施行時に吉井町章として採用された[96][97]
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世知原町 |
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外枠は「茶の実」を形どり、中心に「セ」を配している[98] |
1960年11月3日[98] |
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平戸市 |
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円内の文字は、南蛮貿易の時に渡航目的に使用された南蛮船と飛ぶ鳥を図案化し、「平」を表したもの[99] |
1955年1月1日[100] |
2005年10月1日 |
1955年12月20日に再制定された[99] 初代の市章である
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北松浦郡 |
田平町 |
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「田平」を重ねて翼の形に図案化したもの[99] |
1960年5月[99] |
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生月町 |
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「生月」を意匠化したもので「生」を中心に輪郭に「月」を図案化したもの[99] |
1966年2月24日[99] |
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大島村 |
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「大」を図案化し、下部を円形にしたもの[99] |
1977年2月8日[99] |
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南高来郡 |
国見町 |
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「クニミ」を図案化したもので、「ミ」の広がりは、羽ばたく翼を形どったもの[101] |
1968年2月[101] |
2005年10月11日 |
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瑞穂町 |
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「瑞」の周りに三つの「ホ」を配したもの[102] |
1969年4月1日[102] |
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吾妻町 |
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「ア」を三本組み合わせて果実を表し、「ア」の三本の縦棒は山を表したもの[103] |
1974年4月1日[103] |
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愛野町 |
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「ア」を変形したもの[104] |
1969年1月3日[104] |
1969年10月7日に1回目の公表、同年10月18日に2回目の公表、同年11月3日に制定される[105]
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千々石町 |
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左右の千千の二字で「○(和)」を形成し、相互調和の形での組合せにより、端的に表したもの[106] |
1962年12月24日[106] |
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小浜町 |
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国見岳・妙見岳・普賢岳の山群で「小」を形づくり、波の形は橘湾を表したもの[107][108] |
1970年1月1日[108] |
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南串山町 |
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「串山」を力強く形どり、山の中心線を下部へ指して「南」を表現したもの[109] |
1963年10月1日[109] |
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南高来郡 |
有明町 |
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「A」を図案化したもの[110] |
1966年3月[110] |
2006年1月1日 |
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松浦市 |
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「ま」を図案化したもの[100] |
1955年12月26日[100] |
色は群青色が指定されている[111] 初代の市章である
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北松浦郡 |
福島町 |
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町の花であるツバキを形どり、花弁で「ふ」を表したもの[112][113] |
1966年5月27日[113][114][112] |
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鷹島町 |
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「タカ」を波頭と羽ばたく翼を想像し、意匠化したもの[115][113] |
1978年6月1日[115][113] |
2代目の町章である
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西彼杵郡 |
琴海町 |
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「琴」を飛躍の鳥に象ったもの[116] |
1966年11月[116] |
2006年1月4日 |
琴海村章として制定されたものを町制施行後に継承された
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南高来郡 |
加津佐町 |
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「加」を中心に「ツサ」で丸く囲み鼎の型で安定させたもの[117] |
1961年6月1日[117] |
2006年3月31日 |
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口之津町 |
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「口」を図案化し、口之津港を表したもの[118] |
1889年4月1日[119] (推定日[119]) |
口之津村章として制定され、町制施行後に継承される[119] 1889年4月1日の町村制施行頃に制定されたもので明確な日付は不明である[119]
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南有馬町 |
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「ミナミ」を左がきに三組に読めるように円形に描き、「十」は原城の十字架を表したもの[120][121][122] |
1960年前後 |
1964年以前に制定されていた (公募で制定された)
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北有馬町 |
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「北」を表したもの[117] |
1966年6月[117] |
北有馬村章として制定されたものを町制施行後に継承された
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西有家町 |
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二個の「ア」で「西」の形に構成し、中央は「エ」を配し、波頭を表したもの[117] |
1962年4月19日[123][117] |
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有家町 |
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「あ」を図案化したもの[117] |
1965年9月30日[124][117] |
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布津町 |
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「ふ」を円形に図案化し、全体は地形を表したもの[117][125] |
1980年1月31日[125] |
1980年4月1日に再制定された[117]
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深江町 |
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「深」を図案化したもの[117] |
1967年8月11日[117][126] |
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北松浦郡 |
宇久町 |
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「う」を円形に図案化したもの[127] |
1955年[128] |
1977年1月に再制定された[129]
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小佐々町 |
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「小」を三重の円で中央に置き、「ササ」を図案化したもの[130][131] |
1950年[131] |
当時の日鉄矢岳炭鉱の社員の作品である[132]
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北松浦郡 |
江迎町 |
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「エムカエ」を表し、「カ」は町の活力・両方の「エ」は翼の形を表している[133][3] |
1965年4月1日[3] |
2010年3月31日 |
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鹿町町 |
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「シカ」を組み合わせて円に纏め、図案化したもの[134][3] |
1967年10月1日[3] |
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