鮮魚列車(2007年8月8日 松阪駅付近) 鮮魚列車(せんぎょれっしゃ)とは、近畿日本鉄道(近鉄)が運行していた行商のための団体専用列車(行商専用列車)。1963年から2020年まで57年にわたって運行され[1][2]、伊勢湾の海産物を都市に届ける役割を果たした[3]。 本項目では、その後継として2020年(令和2年)3月16日より運行を開始した行商専用列車「伊勢志摩お魚図鑑」についてもあわせて記述する。 概要1950年代後半より、三重県から魚類・米・伊勢たくあんなどを背負って近鉄に乗り、大阪で売りさばいた後、別の物資を仕入れて帰る行商人が出現した[4]。1960年代になると、大阪へ向かう魚の行商人はますます増加し[4]、近鉄では、魚介類を一般列車に持ち込むと魚臭など他の客の迷惑になる[注 1]ため、「伊勢志摩魚行商組合連合会」[6]のための専用列車を仕立てることになり[7]、1963年9月21日のダイヤ変更より「鮮魚列車」として鮮魚行商のための団体専用列車の運行を開始した[6](駅ホームの案内や車両の表示は「鮮魚」「貸切」)[7]。 伊勢志摩魚行商組合連合会は鮮魚列車が運行を開始した1963年に結成されたもので[6]、会員は入会金・会費を払って入会した[7]。鮮魚列車利用時には乗車券(定期券)と共に近鉄から承認された会員証を所持し、鮮魚を運ぶための手回り品切符も必要であった[7]。会員は津市(香良洲)、松阪市(猟師、松ヶ崎)、伊勢市(村松、有滝)、鳥羽市(鳥羽)に分布し、猟師支部の会員が8 - 9割に上った[4]。 連合会の会員以外の一般旅客は乗車できず[7]、時刻表にも掲載されていないことから「幻の電車」とも呼ばれた[8]。車内には伊勢志摩の新鮮な魚介類が入った発泡スチロールや段ボールの箱などが積み込まれる。連合会の規約では、車内や座席を汚損しないように、魚介は「カン」と呼ばれるブリキの箱に入れることになっていたが、末期には発泡スチロールが使われるようになった[9]。 早朝に宇治山田駅を出発し、およそ2時間半をかけて大阪へと向かい、夕方は大阪から松阪駅まで向かっていた[8]。なお、早朝には鮮魚列車より早い時間に運行される始発列車を乗り継いで伊勢地方から大阪へ向かう会員もいたが、この場合も指定された列車・車両に乗車していた[10]。 前述の通り一般旅客は乗車できないが、鮮魚列車の運休日となる日曜日・祝日には貸切ツアー列車が時折運行されていた。2014年11月22日・23日の両日には、鮮魚列車の珍しさに注目した伊勢市・鳥羽市・志摩市の合同企画として大阪上本町駅に停車した列車内で伊勢志摩の特産品を販売する「伊勢・鳥羽・志摩うまいもん列車」という物産展が開かれた[11](ただし、このイベントで用いられた列車は4両編成の通常の通勤形車両のため、鮮魚列車の専用車両ではない[11])。 2014年8月27日には、大阪上本町行きの鮮魚列車が伊賀神戸駅付近の踏切で乗用車と衝突する事故が発生した[12]。当該列車が同駅に停車するために速度を落としていたこともあり、乗客らにけがはなく、名張駅まで走行したのち運転打ち切りとなった[12]。 停車駅![]() 宇治山田駅 - 伊勢市駅 - 松阪駅 - 伊勢中川駅 - 榊原温泉口駅 - 伊賀神戸駅 - 桔梗が丘駅 - 名張駅 - 榛原駅 - 桜井駅 - 大和八木駅 - 大和高田駅 - 布施駅[注 2] - 鶴橋駅 - 大阪上本町駅[13] 1976年3月18日のダイヤ変更以前の急行停車駅と同一であった。車両基地については大阪では高安検車区(車両の所属も当区[14])、三重では明星検車区で待機していた[15]。 会員の8 - 9割が松阪市猟師町と町平尾町の住民であったことから、松阪駅で乗降する行商人が大半を占めていた[16]。会員の多くは終点の大阪上本町駅まで利用していたが、大和八木駅で乗り換えて近鉄奈良駅や京都駅方面へ行く者[17]や、鶴橋駅で下車し、鶴橋の魚市場で他産地の魚介類を仕入れる者もいた[2]。行商人は大阪市内の商店街に店舗を構え、魚介類を販売する[18]。 なお、特急や快速急行などの通過待避のため[6]、東青山駅や河内国分駅などの待避可能な駅に停車することがあった。また、五位堂駅などに臨時停車する場合もあったが、運転停車扱いでドアは開かなかった[13]。 車両変遷![]() 初期には2200系や初代1400系など、一般車両もしくはそれらを用途変更・改番した荷物電車が使用されていた[19][6]。1970年代後半から下記の初代車両が使用されるようになり、1983年に専用車両として改番された。 1481系までは「鮮魚列車」と行先を記載した行先標[注 3]を用いていたが[19]、2680系は方向幕を装備し、表示は単に「鮮魚」となっていた[19][20]。また、同車の定期検査中は座席にビニールシートで養生を施した2610系のロングシート車が代走することもあった[6]。この場合は行先標を用いていた[21]。さらに、末期にはク2782の方向幕が破損したため、2019年9月24日より代走列車で使用していた行先板を掲出するようになっていた[22]。
運転終了までの経緯地方私鉄や国鉄で運行されていた行商専用列車は行商人の減少で廃止が相次ぎ[2]、2013年3月29日には京成電鉄で運行されていた「なっぱ電車」が廃止[8]されたことにより、日本国内で行商専用列車を運行する鉄道事業者は近鉄が唯一となった[1]。 全盛期は200人を超える行商人が利用[24]し、車内は荷物であふれ返り、荷物棚に寝転がらなければならない行商人が出るほどであったという[5]。しかし、自動車の普及や行商人の高齢化(後継者不足)などにより、利用者は2008年時点で50名ほど[24]、2014年に20名[12]、廃止直前には数名にまで減少していた[2]。「伊勢志摩魚行商組合連合会」の会員数も2009年現在115名で、2000年の239名に比べて半減した[25]。 2015年時点のダイヤでは上りが宇治山田駅6時9分発大阪上本町駅8時57分着、下りが大阪上本町駅17時15分発松阪駅19時33分着[20]で、2020年3月13日の運行終了直前のダイヤでは上りが宇治山田駅6時1分発大阪上本町駅8時58分着[3]であった。 2014年時点では近鉄の広報担当者は鮮魚列車について「社会貢献として走らせ続けたい」とコメントしていた[8]が、利用者の減少や専用列車の老朽化のため、2020年3月13日をもって運転を終了した[1]。鮮魚列車の運転終了により、行商専用列車は日本国内から姿を消した[1]。 鮮魚運搬の役割は定期列車に併結される伊勢志摩お魚図鑑(後述)が当該列車の後継となる。 2680系は当該列車の運転終了後も明星検車区に留置されていたが、2020年5月16日に廃車のため、高安検車区へ回送された[26]。
伊勢志摩お魚図鑑![]() 自動車輸送への転換などによる行商人の減少や2020年3月14日のダイヤ変更による鮮魚列車の運転終了を皮切りに、伊勢志摩の魚介類を車体に描いた当該列車を導入し、3月16日から平日の朝に松阪駅から大阪上本町駅への一般列車の最後部および大阪上本町駅から松阪駅への一般列車の最前部に当該列車を1両つなぎ、鮮魚運搬専用列車として運行を開始した[27][28]。今後当該列車を活用したツアーやターミナルでの海の幸の直販を企画していく見込み。
関連項目脚注
参考文献
関連文献外部リンク
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