鶴瓶・新野のぬかるみの世界
「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」(つるべ・しんののぬかるみのせかい)は、ラジオ大阪で1978年4月9日[1]から1989年10月1日まで放送された深夜番組。 放送時間
概要笑福亭鶴瓶と新野新がパーソナリティを務めた。ディレクターは岩本重義。二人から「ガンさん」または「ガンちゃん」と呼ばれた[2]。岩本が鶴瓶のパーソナリティを活かした番組を、と企画したもので、岩本は最初「若い息子と母親がうだうだしゃべる番組」として[注釈 1]、海原小浜を母親役として想定[4]。この旨を鶴瓶に伝えたところ、鶴瓶は「新野先生をパートナーにしてくれるなら」と言う条件で承諾。新野も快諾してスタートに至った[5]。番組タイトルは「ぬかるみは、はまり込んだら抜けられない」という意味があることが由来の一つとされている[6]。 日曜深夜という時間帯ゆえ、当初はスポンサーが付かず、鶴瓶・新野のうだ話がコマーシャルなしで延々と放送された。スポンサーがないことを逆手にとり、二人はいわゆる世間話をエンターテインメントの域にまで高める。リスナーはぬかる民(ぬかるみん)と呼ばれた[7]。ぬかる民の中には、後のニッポン放送アナウンサーの上柳昌彦も居り、上柳はニッポン放送入社後に本番組に電話出演したこともあった[8]。元関西テレビアナウンサーの山本浩之もぬかる民の一人で、第1回放送を聴いていたという[9]。番組表では2時30分終了とあったが、その日の気分で番組が延長することも時々あり、『全国縦断ぬかるみ電話』を行った時には3時、4時まで番組が延長することもあった[8]。封書は週に500通ほど届き、これを読むのに3日かかるほどだった[4]。放送ではがき、封書を読む時に流すBGMは鶴瓶の選曲によるもので、鶴瓶のレコードコレクションの中から選び、どうしても見つからない時はラジオ大阪のレコード室を利用した[10]。 「びめこ」(美しいおめこの事)、「ぶめこ」(ブサイクなおめこの事)。関西では女性器を「おめこ」と呼ぶ事から、美人がいるように「おめこ」にも美しさがあるという議論が起こった。美人でも「ぶめこ」な人とか、ブサイクでも「びめこ」な人がいる。美人女優やブサイクなお笑い芸人を話題に、あの女優は、ぶめこっぽいとか・・・論議した[11]。「おじん」(男女の性別を問わず、寡黙な性格を持つ人)、「おばん」(同じく男女の性別を問わず、陽気な下町的な性格を持つ人)、「レンコン」(不特定多数の男性と経験のある女性のこと)、「べにもいるのよ」(儲けていても、結構出て行くお金が多いこと。桂文珍が語源者と言われる)など様々な流行語を生みだし(この他は#主なぬかるみ語の節を参照)、放送で呼びかけて催された新世界ツアー(1980年5月10日)には5000人以上が集まり、後に新世界パニックと呼ばれる事件になった。しかし新野は「パニックよー」などと喜んでいた節がある[12][13]。 番組内で新野が使っていた「ありぃの」「しいぃの」と言う口癖は、東京へ進出し始めていた吉本興業のお笑いタレントらがタモリの番組などで使い、全国ネットで放送され、日本中で認知されるに至った。 「日曜深夜の時間帯を開拓した」という功績が評価され、1981年にギャラクシー賞を受賞[12]。 当番組終了後、1989年10月から1991年まで、新野一人による同様のうだ話番組『新野新のうだのウダ』が同じくラジオ大阪で放送された。 番組終了から12年後の2001年、インターネットにおいて「鶴瓶・新野のぬかるみドットコム」と題して会員制で放送が復活されたが、新野の体調不良など諸般の都合から2004年5月で一時休止した。 千房
主な企画
主な出来事・事件など
主なぬかるみ語(出典:[35][20])
書籍
オープニング・エンディング曲
脚注注釈出典
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