1919年のメジャーリーグベースボール以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1919年のできごとを記す。 1919年4月19日に開幕し10月9日に全日程を終え、ナショナルリーグはシンシナティ・レッズが1890年にナショナルリーグ加盟以来初のリーグ優勝を、そしてアメリカンリーグはシカゴ・ホワイトソックスが2年ぶり4度目のリーグ優勝を果たした。 ワールドシリーズはシンシナティ・レッズがシカゴ・ホワイトソックスを5勝3敗で制し、初めてシリーズ制覇となった。しかしこの年のワールドシリーズは選手の賭博行為と八百長試合が行われ、後にブラックソックス事件として騒がれてメジャーリーグに深い傷を残した。 1918年のメジャーリーグベースボール - 1919年のメジャーリーグベースボール - 1920年のメジャーリーグベースボール できごと前年11月に第一次世界大戦が終わって戦地に赴いた選手たちも戻ったが、例年の154試合ではなく140試合制として開幕した[1]。 アメリカン・リーグは、シカゴ・ホワイトソックスが6位に終わった前年から復活し、エディ・シーコット が29勝、レフティ・ウィリアムズが23勝を上げ、シューレス・ジョー・ジャクソンが打率.351で、エディ・コリンズ が.319で盗塁33で盗塁王となり、2年ぶりのリーグ優勝となった。 一方ナショナル・リーグは前年優勝のシカゴ・カブスがピート・アレクサンダー投手が16勝止まりで3位に落ち、ニューヨーク・ジャイアンツが2位で、シンシナティ・レッズはエド・ローシュ外野手が.321で2度目の首位打者を獲得し、初めてのリーグ優勝となった。
ワールドシリーズの疑惑ホワイトソックス対レッズとなったこの年のワールドシリーズの下馬評は圧倒的にホワイトソックスの優勢が伝えられていた。ところがすでにシリーズ前から八百長の噂が盛んに飛び交い、賭け率が初めは3対1でホワイトソックス有利であったのだが、直前には8対5でレッズに傾き、ホワイトソックスは負けるという噂が広まっていった。そして結果はレッズの5勝3敗でホワイトソックスは敗れた。第1戦と第2戦を落とした後にホワイトソックスのグリーソン監督はオーナーのコミスキーに報告し、その後アメリカン・リーグ会長のバン・ジョンソンに報告したが、ジョンソン会長は「ばかばかしい」と八百長疑惑を一蹴した。監督は第5戦で敗れた後に「優勝したチームと同じとは、とても思えない」と語っている。そして第8戦が終わってシリーズが終了した後にも監督は「シリーズでうちの選手は試合を投げていた」と語っている。 この年はこれで終わった。しばらくすると、次第に人々の記憶からも薄れ、忘れられたように日常に戻っていった。しかし翌年9月に八百長への関与が明らかになり法廷に持ち込まれたが、その1年後の1921年8月に無罪判決となった。しかし直後にランディス・コミッショナーの永久追放処分が発表されてこの事件は終幕となった。 最終成績レギュラーシーズン
ワールドシリーズ→詳細は「1919年のワールドシリーズ」を参照
個人タイトルアメリカンリーグ
ナショナルリーグ
脚注
出典
外部リンク |
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