1928年のメジャーリーグベースボール以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1928年のできごとを記す。 1928年4月10日に開幕し10月9日に全日程を終え、ナショナルリーグはセントルイス・カージナルスが2年ぶりに2度目のリーグ優勝で、アメリカンリーグはニューヨーク・ヤンキースが3年連続で6度目のリーグ優勝を果たした。 ワールドシリーズはニューヨーク・ヤンキースが前年と同じく4勝0敗でセントルイス・カージナルスを破り3度目のシリーズ制覇となった。 1927年のメジャーリーグベースボール - 1928年のメジャーリーグベースボール - 1929年のメジャーリーグベースボール できごとアメリカンリーグはニューヨーク・ヤンキースが101勝でリーグ優勝した。しかしチームは後半に故障者が続出し一時2位のチームに13ゲーム差あったのがアスレチックスの快進撃で逆転を許したが結局アスレチックスに2.5ゲーム差で逃げ切り、前年と違い圧倒的な優勝ではなかった。アスレチックスの投手レフティ・グローブは24勝を上げて奪三振183を記録し、翌年からのアスレチックスの快進撃につなげた。 ナショナルリーグはセントルイス・カージナルスが前年1927年にロジャース・ホーンスビーとニューヨーク・ジャイアンツのフランキー・フリッシュらと交換トレードをして、そのフリッシュは前年に打率.337・208安打・48盗塁を記録し、ホーンスビーの穴を埋める活躍をみせた。そして翌1928年にカージナルスは2年前のパイレーツ優勝監督のビル・マケシュニーを新監督に迎えて、フリッシュ、ボトムリー、モランビル、ヘイフィーらが活躍してジャイアンツとカブスとの熾烈な首位争いを繰り広げた結果、ジャイアンツに2ゲーム差で2度目のリーグ優勝を果たした。 そしてワールドシリーズは、大方の予想通り圧倒的に強いヤンキースがカージナルスに雪辱を果たし、カージナルスは1勝も出来ず敗退した。しかしヤンキースの黄金時代はひとまずここで終わった。
最優秀選手の選考投票この年のアメリカンリーグMVP(最優秀選手)は優勝チームではない2位アスレチックスのそれも無冠だった ミッキー・カクレーン が獲得した。この時期の最優秀選手は各チームから1名のみ投票権を持つ代表選手が選考投票して決めていた。しかし一度受賞した選手はこの年まで対象外であったため当該年に特に活躍した選手に贈られる賞ではなかった。前年ベーブ・ルースが打撃成績ではルー・ゲーリッグよりも上回っていたにもかかわらず、MVPに選ばれなかったのはそれ以前の1923年に受賞していたために選考の対象外であったためである。しかも必ずしも同一リーグの選手を選ぶ規定は無く、別のリーグの選手に投票することも可能であった。この翌年に受賞経験者も対象に入ることに変更すると、今度はロジャース・ホーンスビー(1925年に既に受賞している)にアメリカンリーグ側からも票が集まり、彼だけが受賞する事態になって、このMVP制度は翌年に終了した。 記録
最終成績レギュラーシーズン
ワールドシリーズ→詳細は「1928年のワールドシリーズ」を参照
個人タイトルアメリカンリーグ
ナショナルリーグ
表彰
出典
外部リンク |
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