2023年スーダンでの戦闘
2023年スーダンでの戦闘(2023ねんスーダンでのせんとう)は、2023年4月15日からスーダンで継続中のスーダン軍と準軍事組織である即応支援部隊(RSF)との間の戦闘。 背景スーダンでは2021年、クーデターで軍が統治の実権を握り民政移管に向けて協議が進められていたが、RSFと国軍との統合について両者が対立していた[10]。 RSFはダルフール紛争で黒人を虐殺するなどしたアラブ系遊牧民の民兵組織、ジャンジャウィードが2013年に改編されて成立したとされ、兵員は10万人規模と推定されている[10]。 推移戦闘の勃発4月15日、RSFの兵士らがスーダン各地で攻撃を行い、ハルツーム国際空港や大統領官邸を占拠したと発表した。またメロウェの空軍基地でエジプト空軍の兵士がRSFに降伏し、Mig-29戦闘機1機が鹵獲された。国軍司令部は声明で、空軍の戦闘機がRSFの徹底捜索作戦を実施すると予告した[16]。戦闘のきっかけについて、RSF側はハルツーム郊外にある部隊の基地が国軍に攻撃されたことへの反撃だと主張している。一方で国軍側も国際空港や大統領官邸を支配していると訴え、RSFがハルツーム南部で国軍に対して攻撃をしかけようとしたと主張した[17]。 4月18日、24時間の人道的停戦が午後6時から予定されていたがこの日の夜も戦闘が続き[18]、国軍とRSF双方は相手側が停戦を破ったと非難した[19]。 4月25日、スーダン軍とRSFは、現地時間午前0時(日本時間午前7時)から72時間の停戦で合意した。 また、WHOはハルツームにある国立研究所が占拠されたと発表した。 停戦の試みと戦闘の継続
5月8日、スーダン軍とRSFの代表者はサウジアラビアのジッダで協議を行い、人道支援の受け入れの際の安全の確保や、民間人の保護などについて意見を交わした[20]。 5月20日、アメリカ合衆国とサウジアラビアは、スーダン軍とRSFが現地時間の22日夜からの7日間の停戦に合意したと発表した。双方は、現地での人道支援活動にも合意した[21]。5月29日には5日間の停戦の延長についても合意したが、6月1日、スーダン軍はRSFとの停戦協議を一時停止すると発表した[22]。 6月8日、スーダンの外務省は国連でスーダンを担当するヴォルカー・ペルテス事務総長特別代表をペルソナ・ノン・グラータに指定したと発表した[23]。 2025年1月7日、アメリカ合衆国はRSFのジェノサイドを認定した[24]。 1月12日、スーダン軍は2023年12月以来RSFが支配していたジャジーラ州の州都ワドメダニを奪還した[25]。その後もスーダン軍の進軍は続き、ハルツームの北にあるアル・ハルツーム・バフリの製油所を奪還し、1月27日にRSFに包囲されていた陸軍司令部を解放した[26]。2月8日にはスーダン軍がアル・ハルツーム・バフリ全域の制圧を発表した[27]。ハルツーム奪還が現実的になったことで、2月9日にブルハーンはハルツーム奪還後に軍主体の暫定政府を樹立すると述べ[28]、3月26日には政府軍がハルツーム奪還を宣言した[29]。 一方、RSFとスーダン人民解放運動-北(アル・ヒル)は2025年2月23日に実効支配地域を統治する平和統一政府の憲章に署名[30][31]、同年4月15日にはRSF指導者のモハメド・ハムダン・ダガロが平和統一政府を樹立すると宣言。15人から成る大統領評議会を設置し、独自の通貨発行や行政サービス提供を行うと発表した。これによりスーダンは国内が分裂状態に陥る危険性が高まった[32][33]。 →「スーダン内戦のタイムライン (2025)」も参照
海外の反応
脚注注釈出典
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