オメガトライブ (OMEGA TRIBE)は、1980年代 前半から1990年代 前半にかけて日本で活動したバンドであり、プロデューサー藤田浩一 の総合指揮の下、作曲家林哲司 並びに和泉常寛 、アレンジャー新川博 らの制作陣を中心としたプロジェクトの総称。
ボーカル は杉山清貴 、カルロス・トシキ 、新井正人 と変遷した。
「オメガトライブ」とは実質的にプロデューサー「藤田浩一」そのものであり、その指揮の下、制作陣から生み出された楽曲を藤田が最終カスタマイズし、杉山、カルロス、新井の3名のボーカルが歌う方式でCDが作られている。
一般的にはサザンオールスターズ やTUBE と並んで「夏 バンド」のイメージが強い。
概要
夏・海・リゾートをテーマとした彼らの作品の数々は、『サザンオールスターズ 』や『TUBE 』[ 注 1] と共に日本のサマー・ソング のヒット曲として知られている。
杉山清貴をボーカルとするアマチュアバンド「きゅうてぃぱんちょす」は1980年「第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト (通称:ポプコン)」入賞後、メジャーデビューのオファーを受けながらもオリジナル楽曲の完成度に納得できず、誘いを断っていた。プロデューサー・藤田浩一はポプコン入賞以降同バンドに注目しており、デビュー条件としてプロによる提供楽曲の演奏を提示。バンドはこれを受け、「杉山清貴&オメガトライブ 」と名を変え、1983年4月にレコードデビューした[ 1] 。
藤田は、1980年代に角松敏生 やオメガトライブ、菊池桃子 を擁した芸能事務所トライアングル・プロダクション の代表。藤田が関わる業務は、作詞家や作曲家、アレンジャーとのプリプロダクションからレコーディング・スタジオでのミュージシャンへの指示やエンジニアへの注文、レコード・ジャケットの決定からマーケット戦略まで多岐に亘っており、全ての最終決定権は藤田にあった[ 注 2] [ 注 3] 。
バンド名称の名付け親は、藤田と親しいハワイのカリスマDJのカマサミ・コング 。
メンバーは候補に挙がった中の「タイクス」という名前を気に入っていたが、藤田が「オメガトライブ」に決めた。「オメガトライブ」とは、「オメガ 」(Ω, ω)=ギリシャアルファベット の最後の文字(「最後」を意味する)と、「トライブ」=種族を合わせ「最後の種族 」という意味がある[ 注 4] 。詳細は後述。
「オメガトライブ」というプロジェクト
杉山清貴&オメガトライブのメンバーは、後日「”オメガトライブ”は、バンドでは無く、プロジェクトであり、自分達はその一員であった。」と答えている[ 3] [ 4] [ 5] 。
藤田が考えるオメガトライブというプロジェクトを、林哲司主導の下で楽曲制作を行う。またレコーディングではプロデューサーである藤田浩一 の製作に対する要求が高い為に[ 5] 、バックコーラスも含めプロのスタジオ・ミュージシャンが演奏したため、ボーカルの杉山以外のメンバーはレコーディングに関わっておらず、アマチュアバンド「きゅうてぃぱんちょす」のメンバーは、バンド名や制作した楽曲を全て封印し[ 注 5] 、「オメガトライブ」を演じるバンドになった[ 4] 。
バンドは名付けられ、オリジナル作品は制作出来ず[ 4] 、作品は準備され[ 注 6] 、演奏はスタジオ・ミュージシャンの演奏をなぞる[ 注 7] 。ビジュアル・イメージは絶えず「海」「夏」「リゾート」がつきまとう[ 6] 。
そのため、メンバーは「楽曲を与えてもらって、それを売らなきゃいけない使命感が物凄くあって、その使命感の中で疲れ果てて」しまい、また「いつか売れたら、自分たちで曲を作り、演奏もしたい。そこで挫折したら自分たちの責任だし納得もする。ところが、売れたらますますその願いは叶わず、いつしか与えられるだけで、なにも制作に関与しない[ 5] 」と言う状況が続いた。またデビュー後の楽曲は他人から作ってもらっていたため、俯瞰の目で自分たちを見ながら、曲が売れても他人事のような感覚だった為、『このまま俺たちやってて、どうするんだろう?』と思い、「自分たちで楽曲作ってないし、アルバムではちょっと作ってるが、メインではない。楽曲から見放されたら自分たちに何にも残らない」と思った時に、メンバー同士でツアー中の飲みの席で『じゃあ今売れてる内に解散しようぜ!』と杉山より解散を切り出し、「年内(1985年)一杯で解散すること」をメンバーだけで決意、その意思をプロデューサーかつ社長である藤田に報告、吉田が一足先に脱退後、1985年12月24日で解散となった[ 7]
[ 8] 。解散を切り出したのは杉山、解散に賛成は廣石と大島と吉田、反対は高島と西原であったが、最終的に満場一致での解散となった。その後、杉山はソロ活動を開始し、高島と西原の活動継続の意向を尊重した藤田の意向があり、新たに加入したカルロス・トシキ、黒川照家と共に「1986オメガトライブ」の一員となった。また大島・廣石・吉田は藤田のもとを離れてそれぞれの活動を開始した。
杉山清貴&オメガトライブ
メンバー
名前
プロフィール
担当
メンバーカラー
備考
杉山清貴 (すぎやま きよたか)
(1959-07-17 ) 1959年 7月17日 (66歳)神奈川県 横浜市 磯子区 出身 AB型
ボーカル
黄
髙島信二 (たかしま しんじ)
(1960-10-23 ) 1960年 10月23日 (64歳) 神奈川県横浜市出身 O型
ギター
赤
西原俊次 (にしはら としつぐ)
(1960-04-26 ) 1960年 4月26日 (65歳)東京都 品川区 出身 AB型
キーボード
青
廣石惠一 (ひろいし けいいち)
1960年11月15日-2025年3月16日(64歳没) 神奈川県横浜市出身 A型
ドラムス
解散前の旧芸名は「広石恵一」。クレイジーケンバンド のメンバーとしても活躍していた(2023年に脱退)。杉山と同様に、解散後も音楽活動を継続していた。2025年3月に脳出血で死去、享年64歳[ 9] 。
大島孝夫 (おおしま たかお)
(1960-12-08 ) 1960年 12月8日 (64歳) A型
ベース
緑
解散後はバンドNO-SIDEに参加し、アルバム1枚発表するも、その後脱退。脱退後は音楽業界から離れたが[ 注 8] 、2004年の再集結後はオメガトライブの活動の他に、吉田のバンドへの参加等、音楽活動を継続中。
吉田健二 (よしだ けんじ)
(1960-08-10 ) 1960年 8月10日 (64歳) O型
ギター
オレンジ
解散前である1985年4月に脱退、2004年の再集結ライブより再合流。別名:吉田健太。愛称は「ケンタ」。現在は川瀬ゆう子 と音楽ユニット「NightOwl 」を結成し、活動中。
サポートメンバー
大阪哲也(キーボード)…ライブCD『The open air live "High & High 2018" Complete』より、オリジナルメンバーと共にメインビジュアルに登場している。メンバーカラーは、 ピンク
Juny-a(パーカッション、サックス)…本名、旧芸名は、近藤淳也。2024年のライブツアー『~FIRST FINALE TOUR 2024~ “LIVE EMOTION”』より参加。メンバーカラーは、 紫
小川幸夫(ドラムス)…通称 GAAA(ガー)、2024年のライブツアー『~FIRST FINALE TOUR 2024~ “LIVE EMOTION”』より廣石の代役で参加して以来、現在も参加している。メンバーカラーは、 白
略歴
1978年12月結成。この時期は現在芸術音楽の作曲家である千住明 や後にSugar を結成する長沢久美子(クミ)と毛利公子(モーリ)も在籍していた。
1980年5月に前身となるバンド「きゅうてぃぱんちょす」にて第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト に入賞。同年10月第20回ポプコンでは落選するが、プロデューサー藤田浩一の目に止まることとなった。キーボード の千住はプロへ直結するポプコン優勝を逃したことから、在籍していた慶応義塾大学 から東京芸術大学 への受験により音楽家になることを希望し、グループを離れる[ 10] 。キーボード担当は西原俊次が新たに加わり、グループとしてプロデビューを目指した。
1983年4月、藤田の第1弾プロジェクト『杉山清貴&オメガトライブ』としてレコードデビューする。
なお、「オメガトライブ」という名前は「バンド名の候補でも一番下にあった名前」であった(後に杉山自身が公言している)。1985年12月、プロデューサーとメンバーとの方向性の違いにより、横浜文化体育館 のライブを最後に解散。
代表曲としては、1983年4月「SUMMER SUSPICION 」、1984年1月「君のハートはマリンブルー 」、1985年3月「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER- 」(最大のヒット曲)など。
2004年2月、杉山の呼びかけにより、杉山清貴&オメガトライブを再集結し(前座:きゅうてぃぱんちょす)、2月11日NHKホール 、2月14日愛知厚生年金会館 、2月15日大阪厚生年金会館 に於いて、『First Finale2 〜オメガとライブ〜』と題したコンサートを行う[ 11] 。
2018年5月5日、日比谷野外大音楽堂 での杉山の野外ライブ「The open air live "High & High 2018"」を、デビュー35周年記念として杉山清貴&オメガトライブ名義にて行なう[ 12] 。
2019年5月5日、前年同様日比谷野外大音楽堂でライブを開催[ 13] 。
2019年には12会場13公演に及ぶ全国ツアーを開催。
2024年に結成40周年を迎えるに当たり、2021年9月29日発売の『AQUA CITY REMIX』を皮切りに、『40周年シリーズ』の企画をスタート[ 14] 。2023年までに発売されるCDに付随している帯を集めると、40周年を迎える2023年に行われる企画に参加出来るようになっている[ 15] 。
2024年3月9日よりライブツアー「杉⼭清貴&オメガトライブ〜FIRST FINALE TOUR 2024〜“LIVE EMOTION”」を開催した。
2024年5月9日に40年ぶりに「杉⼭清貴&オメガトライブ」名義でテレビ出演することが発表された[ 16] 。
2025年3月16日、ドラムの廣石恵一が脳出血で死去、享年64歳[ 9] 。
2004年以降、再形成ライブや、何らかの形でのメンバーの共演を行なったりはしているが、「オメガトライブ」名義での新作は製作しないことを公言している。杉山は「オメガトライブというのは、2年8ヶ月の中で作品は完結しており、藤田(プロデューサー)が作った世界なので、藤田がいなければオメガトライブは引き継げない。林哲司や自分達が作ったら、それはオメガトライブじゃなくなる。プロデューサーの思いがすべて集結したものなので、藤田が亡くなってしまった今は、新作はありえない」とインタビューで答えている[ 17] 。こうした経緯もあり、デビュー前にヤマハポピュラーソングコンテスト で披露し、再結成時に正式に新曲として録音した『乗り遅れた747』は前身バンド名の『きゅうてぃぱんちょす』名義を使用した。
エピソード
「きゅうてぃぱんちょす」結成とポプコン
1978年、後にオメガトライブのメンバーとなる吉田健ニは高校3年生で、アマチュアでバンド活動をしていた。吉田は、別バンドのベーシストをする兄から「12月に久保講堂 (霞が関 )でコンサートをやるから、前座をやってくれ」と言われた。この参加メンバーを集めるため、吉田はバンド仲間などに声をかけたがヴォーカル担当が見つからなかった。吉田は、歌が上手い1年先輩の杉山清貴にダメ元でヴォーカルを依頼すると、彼が「うん、いいよ」と承諾したことで17人による寄せ集めバンドができた。このバンドは上記の前座だけやって解散する予定だったため、吉田たちは深く考えずにバンド名を「きゅうてぃぱんちょす」に決めた。
その当日である1978年12月23日、ロックの聖地とも呼ばれる久保講堂でコンサートの前座として出演し、会場を沸かせた。この一日で解散するはずだったが終了後、バンドメンバーのうち杉山や吉田など数人が「もう少しバンド活動を続けよう」と言い出したことから、バンドの継続が急遽決定。後日、上記のライブ演奏の録音カセットを聴いたヤマハ のディレクターから、当時プロアーティストへの登竜門だったヤマハポピュラーソングコンテスト(以下、ポプコン)への参加を勧められた。1979年の秋、第18回大会で初出場した後、さらに練習を積んで第19回大会に出場して『GOSPELの夜』で入賞[ 注 9] 。
第20回大会にも出場してポプコン3大会連続で本戦出場したことで、トライアングルプロダクション社長兼プロデューサー・藤田浩一からプロデビューの話を持ちかけられた。藤田には当時手掛けたい音楽があり、それを具現化するヴォーカリストを探していたが、杉山は『バンドでやれない(杉山だけソロ歌手としてデビューする)ならイヤです』と断った。この杉山の意志に藤田が折れ、メンバー全員[ 注 10] でのデビューが決まった。
デビュー後の音楽活動
オメガトライブの楽曲は都会的な大人のロック「AOR (アダルト・オリエンテッド・ロック)」で、デビュー曲の作詞は康珍化 、作曲は林哲司 が手掛けることが決まった[ 注 11] 。デビューにあたり、杉山たちメンバーは当初バンド名を「ラグーン」に改名しようとしたが、直後に事務所から「『(杉山の名前を付けない)オメガトライブ』に決めたから」と告げられた。
また事務所からは、「オメガトライブ」が発表する楽曲は作詞作曲を外部の人が行い、レコーディングではプロのスタジオミュージシャンによる演奏を使うことも伝えられた[ 注 12] 。杉山はそれまでロックテイストの歌い方をしていたが、デビュー時のレコーディングの際、藤田から「声を張るな、抑えろ」と指示されるなどして歌い方を変えた。コンサートなど人前でパフォーマンスを披露する時はスタジオミュージシャンの手を借りるわけにはいかないため、観客から“レコードと演奏レベルが違う”と言われないよう、メンバー全員猛練習して演奏技術を磨いた。
1983年のデビュー直前、メンバーの知らぬ間に藤田によりバンド名を「杉山清貴& オメガトライブ」に変更されていた[ 注 13] 。また、当時世間では「トライブ」という単語が耳慣れないこともあって、しばらくの間周りからバンド名を「オメガド ライブ」と間違えられることがよくあった。
プロジェクトには明確なイメージ戦略があり、バンドに「夏」、「海」、「リゾート」、「都会」というイメージがつけられた。また、メンバーのほとんどが横浜 育ちだが、仕事で人前に出る時は上記イメージに合う“湘南 の若者 ”として振る舞うことが求められたという[ 注 14] 。
解散
その後歌番組での活躍やヒット曲に恵まれたため、周りからバンド活動は好調に思われた。しかし、メンバーはライブを重ねて演奏技術が上がったと感じて「自分たちの演奏でレコーディングしたい」と何度も直訴したが、却下される状況が続いた。1985年、これらの活動形態に杉山[ 注 15] を含めた数人が限界を感じ、ツアー中に杉山はメンバーたちに解散を切り出し、当初は反対するメンバーもいたが話合いにより解散する方向でまとまった。ただし吉田健二だけは、正式な解散を待たずにツアー途中にオメガトライブを脱退した[ 注 16] [ 注 17] 。藤田たちプロジェクト関係者は、杉山たちから解散の申し出を聞いて引き止めたが、メンバーたちの強い意志を感じて藤田側も正式に解散を決定。
1985年12月24日に「杉山清貴&オメガトライブ」は解散したが事務所との契約自体は残っていたため、杉山はシンガー・ソングライターとしてソロ活動することになった。高島・西原は新ボーカルにカルロス・トシキを迎え、『1986オメガトライブ』として再出発することとなった。吉田・大島・廣石は退社・移籍を選択した。
近年のツアーでは、「Last」や「FINAL」、「FINALE」といった「これが最後」と思わせるタイトルを付けているが、杉山は『言葉遊びですよ(笑)。真剣に受け取ってしまっても、そうじゃなくても結構ですよという気持ちです。』と語っている[ 18] 。また杉山は、『オメガトライブは「解散」したが、「再結成」はしていない』と語っており、メンバーが集まった時は「再集結」と表現される事が多い。
主な制作陣
作品
シングル
スタジオ・アルバム
ベスト・アルバム
ライブ・アルバム
#
発売日
タイトル
最高順位
1
1986年3月30日
Live Emotion [ 25]
-位
2
2019年01月23日
The open air live “High & High 2018”Complete [ 26]
66位
リミックス・アルバム
#
発売日
タイトル
最高順位
備考
1
2019年1月30日
OMEGA TRIBE GROOVE
46位
DISC-1のRe-Grooved TracksはKAZ や川口大輔 、安部潤 らによるリアレンジ・バージョンを収録。部分的に杉山清貴やメンバーによるボーカルと演奏を新たにレコーディングしている。ボーナストラックはきゅうてぃぱんちょすの「のり遅れた747」。 DISC-2のRe-Mixed Tracksは林哲司 ・志熊研三 監修の元に当時のマルチテープからリミックスされた音源を収録(エンジニア:内沼映二 ・三浦瑞生 )。ボーナストラックは「君のハートはマリンブルー[1st Take Track]」。
2
2021年9月29日
AQUA CITY REMIX [ 27]
43位
第1弾。デビューアルバム「AQUA CITY」の2021年リミックス・バージョン。ボーナストラックとして林のセルフアレンジによる「SUMMER SUSPICION Re-Arranged ver.」を収録。
3
2022年3月23日
RIVER'S ISLAND REMIX [ 28]
41位
40周年プロジェクト第2弾。「RIVER'S ISLAND」の2022年リミックス・バージョン。ボーナストラックとして「SAIGO NO NIGHT FLIGHT 86」を収録。
4
2022年9月28日
NEVER ENDING SUMMER REMIX [ 29]
30位
40周年プロジェクト第3弾。「NEVER ENDING SUMMER」の2022年リミックス・バージョン。ボーナストラックとして「Never Ending Summer I Ballade Version」を収録。
5
2023年3月29日
ANOTHER SUMMER REMIX [ 30]
30位
40周年プロジェクト第4弾。「ANOTEHR SUMMER」の2023年リミックス・バージョン。ボーナストラックとして「SCRAMBLE CROSS Urban」を収録。
6
2023年9月27日
FIRST FINALE REMIX [ 31]
33位
40周年プロジェクト第5弾。「FIRST FINALE」の2023年リミックス・バージョン。ボーナストラックとして「FIRST FINALE -Reprise」を収録。
7
2024年9月11日
SINGLE'S HISTORY REMIX PLUS [ 32]
-位
40周年プロジェクト完結版となるCDボックスセット『REMIX COMPLETE BOX』に収録。「SINGLE'S HISTORY」に未収録であったシングル収録曲4曲を加えて収録。
ボックス・セット
#
発売日
タイトル
最高順位
備考
1
2002年3月6日
EVER LASTING SUMMER COMPLETE S.KIYOTAKA&OMEGA TRIBE [ 33]
-位
2
2020年4月15日
7inch Singles Box [ 34]
-位
3
2024年9月11日
REMIX COMPLETE BOX [ 32]
34位
合同オメガトライブ・アルバム
#
発売日
タイトル
最高順位
備考
1
1991年2月21日
Good-bye OmegaTribe 1983-1991
29位
杉山清貴&オメガトライブ、1986オメガトライブ、カルロス・トシキ&オメガトライブの3バンドによるベスト・アルバム
2
2009年
杉山清貴/オメガトライブ スーパー・ベスト [ 35]
-位
杉山清貴&オメガトライブと杉山清貴のベスト・アルバム
映像作品
#
発売日
タイトル
備考
1
1984年7月21日
SINGLE VACATION
VHS /LD 。2018年発売の『杉山清貴&オメガトライブ 35TH ANNIVERSARY オール・シングルス+カマサミ・コング DJスペシャル&モア』にてDVD化された。
2
1986年1月21日
FIRST FINALE CONCERT [ 36]
VHS/DVD (2004年2月11日再発)
3
2004年7月22日
FIRST FINALE2 [ 37]
DVD 再結成ライブコンサートを収録。権利関係の調整がつかず、「オメガトライブ」名義が使えなかった。代わりに杉山清貴名義で発売され、ジャケットにはメンバー6人の連名で表記された。
4
2018年8月21日
The open air live “High&High 2018"
DVD,Blu-ray [ 38] [ 39] [ 40]
5
2019年7月3日
Last Live Tour 2019
DVD,Blu-ray[ 41] [ 42]
6
2019年12月11日
The open air live “High&High 2019"
DVD,Blu-ray[ 43] [ 44] [ 45] [ 46]
7
2021年8月15日
The open air live “High & High” 2020-2021"
Blu-ray[ 47]
8
2025年5月28日
杉山清貴&オメガトライブ〜FIRST FINALE TOUR 2024〜"LIVE EMOTION""
DVD,Blu-ray[ 48] [ 49] [ 50]
コンサート
日程
ツアータイトル
会場・備考
1983年6月2日
無料ライブ[ 51]
1983年9月21日
イベント[ 51]
1983年11月2日
ファースト・ライヴ[ 51]
1984年3月21日 - 6月1日
DOMESTIC TOUR '84[ 51]
1984年11月23日 - 1985年3月6日
SUMMER SUNSET CONCERT TOUR '84~'85[ 51]
1985年10月4日 - 12月24日
FIRST FINALEツアー[ 51]
45会場52公演
10月4日 藤沢市民会館
10月5日 宇都宮市文化会館
10月7日 佐賀市民会館
10月8日 長崎市公会堂
10月9日 九州厚生年金会館
10月11日 宮崎市民会館
10月12日 鹿児島市民文化ホール
10月14日
福岡サンパレス 10月15日
大分文化会館 10月16日 熊本市民会館
10月18日 沼津市文化会館
10月19日 茨城県立県民文化センター
10月21日 千葉県文化会館
10月22日 越谷市民ホール
10月23日
八王子市民会館 10月25日 群馬音楽センター
10月26日 桐生産業文化センター
10月29日 練馬文化会館
10月30日
山梨県民文化ホール 11月1日 新宿厚生年金会館
11月2日 新宿厚生年金会館
11月5日
新潟県民会館 11月6日 新潟県民会館
11月8日 厚木市民文化会館
11月11日
北海道厚生年金会館 11月12日 北海道厚生年金会館
11月15日 浜松市民会館
11月18日 新宿厚生年金会館
11月20日
長野県民会館 11月21日
群馬県民会館 11月25日 新宿厚生年金会館
11月26日 静岡市民文化会館
11月27日 名古屋市民会館
11月28日 名古屋市民会館
11月30日 広島郵便貯金会館
12月1日
島根県民会館 12月3日 富山市公会堂
12月4日 福井市文化会館
12月5日 金沢市観光会館
12月7日 松本社会文化会館
12月9日 宮城県民会館
12月10日 郡山市民文化センター
12月11日
岩手県民会館 12月13日 青森市文化センター
12月14日 秋田県民会館
12月15日 松山市民会館
12月17日
高松市民会館 12月18日 高知県民文化ホール
12月20日 神戸国際会館
12月21日 大阪厚生年金会館
12月22日 大阪厚生年金会館
12月24日
横浜文化体育館
2004年2月11日 - 2月15日
FIRST FINALE 2
3会場3公演
デビュー20周年を記念して同窓会的に行われた
[ 37] 。
2018年5月3日
The open air live "High & High 2018" Pre Live[ 52]
2018年5月5日
The open air live "High & High 2018"[ 52]
2019年2月2日 - 4月21日
2019 Last Live Tour[ 53] [ 54]
12会場13公演
35周年で行われた、「杉山清貴&オメガトライブとしての最後のコンサートツアー」
[ 55] として行われたツアー。神奈川公演は、WOWOWにて生中継にて放送された
[ 56] [ 57] 。
2019年5月5日
SUGIYAMA, KIYOTAKA The open air live "High & High 2019"[ 54]
2019年11月8日
林哲司 作曲家45周年記念 SONG FILE SPECIAL[ 59]
1会場2公演
杉山、高島、吉田の3人で「杉山清貴 / オメガトライブ・メンバー」として出演
[ 60]
2020年4月28日 - 5月5日
SUGIYAMA, KIYOTAKA The open air live "High & High 2020"[ 61]
2021年5月3日 - 5月10日
SUGIYAMA, KIYOTAKA The open air live "High & High 2021"[ 62]
2会場2公演
5月3日 大阪城野外音楽堂 5月5日 神奈川県民ホール
5月9日 立川ステージガーデン(無観客配信ライブ)
5月10日 立川ステージガーデン新型コロナウイルス の影響により、大阪と立川2日目は中止。神奈川は有観客、立川初日はWOWOWによる生配信ライヴを実施
[ 63] 。高島は体調不良により欠席
[ 注 19] 。
2023年11月5日
~林哲司 作曲活動50周年記念 オフィシャル・プロジェクト~ ザ・シティ・ポップ・クロニクル 林哲司の世界 in コンサート[ 64]
1会場1公演
廣石がオメガトライブのメンバーとして出演した最後のライブとなった
[ 65] 。
2024年3月9日 - 6月8日
~FIRST FINALE TOUR 2024~ “LIVE EMOTION”[ 66] [ 67]
27会場31公演 (ゲネプロを含む)
デビュー40周年ツアー。1985年に行われたFIRST FINALEツアーに吉田がいなかった為、「6人でFIRST FINALEツアーをやりたい」と思い、企画された
[ 18] 。サポートメンバーは、大阪哲也(key)、Juny-a(per, sax)。廣石は体調不良の為、全公演出演を見合わせ。代役として小川幸夫が担当
[ 72] 。ツアータイトルに「LIVE EMOTION」とある様に、ライブアルバム『LIVE EMOTION』の曲順を基本としたセットリストとなった。5月31日の東京公演が、
歌謡ポップスチャンネル にて放送された
[ 73] 。
2024年9月15日 - 16日
SOUND ALIVE presents 杉山清貴&オメガトライブ The end of 40th anniversary 〜えっ、またやるの!?オメガトライブ〜[ 74]
1会場2公演
サポートメンバーは、大阪哲也(key)、Juny-a(per, sax)、小川幸夫(dr)、吉澤達彦(tp)、半田信英(tb)、木戸泰弘(Cho)、比山貴咏史(Cho)。但し、木戸、比山は16日のみ出演。廣石は引き続き、出演見合わせ。サプライズゲストとして、16日に林哲司がアンコールで出演した
[ 75] 。16日の公演は、
WOWOW にて生中継、生放送された
[ 76] 。
2025年7月19日
杉山清貴&オメガトライブ お~い、ヒロイシ!![ 77]
1会場1公演
7月19日 日比谷野外音楽堂
廣石惠一追悼ライブ。サポートメンバーは、大阪哲也(key)、Juny-a(per, sax)、小川幸夫(dr)。ゲストドラマーとして
椎野恭一 、もんち(森もんち隆晴)、
吉浦芳一 、サプライズゲストとして林哲司がアンコールで出演した
[ 78] 。公演は、
WOWOW にて生中継、生放送された
[ 79] 。
2025年9月12日 - 11月28日
続・お〜い、ヒロイシ!!〜野音ツアー全国行脚編〜[ 80]
10会場21公演
7月の日比谷公演のチケットが取れなかったとの反響を受けて実現した、追悼ライブの全国ツアー
[ 80] 。サポートメンバーは、大阪哲也(key)、小川幸夫(dr)
[ 80] 。
1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ
メンバー
過去に在籍したメンバー
略歴
1986年、前オメガトライブに在籍していた高島信二(ギター)、西原俊次(キーボード)に加え、新たに日系ブラジル人 のカルロス・トシキ と、菊池桃子 のバックバンドや岩崎宏美 のバックバンド(パイナップル・カンパニー )でギターを担当していた黒川照家を迎え、プロデューサー藤田浩一 の第2弾プロジェクト『1986オメガトライブ 』(ナインティーンエイティシックス - )としてデビュー。
1987年に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」 』のコンサート(国営昭和記念公園 特設ステージ)で、杉山清貴とのジョイントが実現(杉山のソロアルバム「realtime to paradise 」収録「THE DREAM」を歌唱。アコースティック楽曲のため、バンドメンバーは演奏せず)。
1988年3月、黒川がバンドを脱退。グループ名を『カルロス・トシキ&オメガトライブ 』に変更する。
改名の理由として、「黒川が脱退した以上、1986オメガトライブではなくなった」こと、「(1986という)ネーミングが古くなってきた」ことが挙げられている。
なお、改名に当たりスタッフとしては「もっとカルロスを全面に押し出したい」という意向があったが、本人たちは「あくまでも3人のバンド」と考えていたため、スタッフの思惑通りにはいかなかったようである。
1988年7月、レコーディングにコーラスとして参加していたジョイ・マッコイが正式に加入する。
1990年、ワーナー・パイオニア へ移籍[ 注 21] 。松任谷由実 が作詞・作曲した「時はかげろう 」を発表後、ファイナルツアーを行ない、1991年3月16日日清パワーステーション でのライブを最後に解散。1990年12月14日放送の『ミュージックステーション 』(テレビ朝日 系)にて解散発表を行った。
2005年3月9日、ファンサイト『カルロストシキUNOFFICIAL WEBSITE 』(管理人HIROAKI、シンイチ、ゆうちゃん)の呼びかけを中心とした署名活動により、発売された楽曲[ 注 22] が全曲[ 注 23] 収録されたCD+PVや『歌のトップテン 』に出演した時の映像を納めたDVDを収めた『COMPLETE BOX "Our Graduation"』を発売する。
代表曲は「君は1000% 」(1986オメガトライブ)「アクアマリンのままでいて 」(カルロス・トシキ&オメガトライブ)など多数。
主な制作陣
作品
シングル
1986オメガトライブ
カルロス・トシキ&オメガトライブ
アルバム
1986オメガトライブ
オリジナル・アルバム
コンピレーション・アルバム
カルロス・トシキ&オメガトライブ
オリジナル・アルバム
#
発売日
タイトル
最高順位
備考
1
1988年4月6日
DOWN TOWN MYSTERY
3位
カセット・DAYLIGHT VERSION、レコード・CD・NIGHT TIME VERSIONの2種類あり、曲のミックスダウン が異なっている。
2
1989年2月8日
be yourself
9位
3
1989年9月21日
BAD GIRL
11位
オリジナルアルバムでは唯一、ジャケットにメンバーの写真が使われている。
4
1990年7月25日
natsuko
13位
バップからワーナー・パイオニアへ移籍後初、また唯一のアルバム。
ベスト・アルバム
ライブ・アルバム
合同オメガトライブ
ベスト・アルバム
ボックス・セット
その他
1986オメガトライブ
24時間テレビ 「愛は地球を救う」 (日本テレビ )
9(1986年8月16日)テレビ新潟 からの出演
10(1987年8月22日)SAVE THE CHILDRENコンサート
OMEGA TRIBEの青春1000%(1986年10月12日 文化放送 )
カルロス・トシキ&オメガトライブの今日もBe With You!!(文化放送)
書籍
1986オメガトライブ
ブランニュー・オメガトライブ (BRAND NEW OMEGA TRIBE/BNOT)
メンバー
1993年、かつてパル で活動、ソロとして『機動戦士ガンダムΖΖ 』の主題歌「アニメじゃない -夢を忘れた古い地球人よ- 」を担当した新井正人 をボーカルに迎え、プロデューサー藤田の第3弾プロジェクトとしてスタート。第3弾「オメガトライブ」はバンドの形はとらず、新井のソロプロジェクトであり、藤田浩一 プロデューサーの指揮の下、第1弾、第2弾制作陣が脇を固める構成となっている。
主な制作陣
シングル
#
発売日
タイトル
カップリング
最高順位
備考
1
1993年8月2日
愛さなくていいから
好きだから言えなかった
-位
フジテレビ 系「北野ファンクラブ 」エンディング・テーマ
2
1994年1月25日
Marry Me
Paradise In The Snow
-位
アルバム
#
発売日
タイトル
最高順位
備考
1
1994年2月10日
Beach Hippies
-位
BNOT 名義で発売された。
番外オメガトライブ「D.O.M.E.」
メンバー
略歴
1992年、三上哲をボーカルに迎え、オメガトライブ生え抜きメンバーの高島信二、西原俊次の3名により結成する。「ドーム」と読む[ 84] 。英語表記では「D econstructed O MEGA by M ints E ntertainment」の略称とされていた。シングル「女神達に逢える日」とアルバム『DOME』を、NECアベニュー からリリースした。その間、高島はビーイング でプロデューサー・ディレクターとしての活動を始めていた。
シングル
#
発売日
タイトル
カップリング
最高順位
備考
1
1992年5月1日
女神たちに逢える日
誰よりも僕が
-位
フジテレビ 系ワイドショー『TIME3 タイム・スリー 』エンディングテーマ
アルバム
#
発売日
タイトル
最高順位
1
1992年5月21日
DOME
-位
番外オメガトライブ「WEATHER SIDE」
メンバー
略歴
1994年、高島・西原は高取秀明をボーカルに迎え、「WEATHER SIDE」を結成する。1996年に解散するまでアルバム・シングル各3枚をリリースした。作詞は高取が、作曲は高島・西原が、編曲は亀田誠治 が中心となっていた。
シングル
#
発売日
タイトル
カップリング
最高順位
1
1994年4月21日
風を抱いて
Still I Love You
-位
2
1994年9月21日
いいのさ、君のままで
世界よ 二人のために回れ
-位
3
1995年5月19日
夏だから
それでもあなたは嘘をつく
-位
アルバム
#
発売日
タイトル
最高順位
1
1994年5月20日
Driving A Go Go
-位
2
1994年10月21日
HAPPY GO LUCKY
-位
3
1995年6月21日
30℃
-位
番外オメガトライブ「Wオメガ」
メンバー
略歴
ブランニュー・オメガトライブのボーカル新井正人と1986オメガトライブのギター黒川照家にて結成したユニット。2009年に自主制作アルバム『Again』を発売した。
関連項目
オメガトライブ関連
杉山清貴&オメガトライブ関連
1986オメガトライブ / カルロス・トシキ&オメガトライブ関連
BRAND NEW OMEGA TRIBE関連
WEATHER SIDE関連
亀田誠治 (シングル・アルバム全曲でWEATHER SIDEと共同編曲)
脚注
注釈
^ 現在は、オメガトライブの元メンバーである高島信二が制作スタッフに参加している。
^ 1981年デビューの角松敏生は、話題性を狙ったレコード制作及びそのセールス・プロモーションで活動拡大を図りたい事務所側と、バンドを組んでのライブハウス出演など草の根的なライブ活動をしたい自身との活動方針の相違により、アルバムとシングルをそれぞれ2枚発表した後の1982年に事務所を移籍することになり、その後釜的存在として事務所に入ってきたのが杉山清貴&オメガトライブであった。
^ 菊池桃子の初期アルバムのジャケット写真は、他のアイドルのような顔の大写しやバストショットではなく、AORアーティストのような情景の中に全身の姿が溶け込んで写っているショット(故に顔が写っている範囲の比率も小さい)で、その顔も水に浸かっていたり、影に覆われていたりして目立たないのだが、それが逆に話題になった。また、1985年の日本武道館 でのファーストコンサートでは、エイブラハム・ラボリエル とアレックス・アクーニャ らロス の一流ミュージシャンによるフュージョン 系バンドのコイノニアがバック・バンドを務めた。
^ 歌番組などでバンド名の由来を尋ねられた際に「最終民族」では重い印象を与えるため「最後の仲間」などと説明をしていた。
^ 実際にはきゅうてぃぱんちょす時代の『フラフラ夏陽気』を『渚のSea-dog』に改作の上でシングル『SUMMER SUSPICION』B面に収録するなどの一定の配慮が行われた。
^ 実際には藤田の意向もあり杉山・高島・西原も曲作りに参加させ、審査を通過した曲がアルバムやシングルB面で若干採用された。これらの楽曲は編曲家によって林の作品に近いカラーでのアレンジが行われた。また、1986~カルロス・トシキの時期には、藤田自身も作詞にしばしば参加した他、メンバーによるオリジナル曲の採用が増加していた。
^ 1986~カルロス・トシキの時期は、リズムセクションを正式メンバーに持たないため、必然的に外部のミュージシャンを中心とする演奏となった。
^ ボックスセット『EVER LASTING SUMMER COMPLETE S.KIYOTAKA&OMEGA TRIBE』ブックレットより。
^ 実はこの直後にレコードデビューの話も出たが、杉山によると「デビュー曲ってバンドの代表曲になるじゃないですか?メンバーでの話し合いで、僕らは本来ロックバンドなのに“ゴスペルでデビューするのは違うんじゃねえの?”ということになって、その時はお断りしたんです」とのこと
^ 先述の通りきゅうてぃぱんちょすのメンバーは変遷しており、藤田からデビューの話をされた時点のメンバーは、杉山、高島信二、西原俊次、廣石恵一、大島孝夫、吉田健二だった。
^ 杉山は後年、「本来ならきゅうてぃぱんちょすのオリジナル曲でデビューしたかったんですけど、『バスルームから愛を込めて 』の作詞家である康さん、『真夜中のドア 』の作曲家である林さんですから、お二方が作る曲なら“絶対いい曲に決まってんじゃん!”って思いましたよね。それに僕らだけではAORを作るには、力量が足りないと分かっていましたから、もうこっちから飛び付いたような感じでした」と述懐している
^ 吉田健二によると、「デビュー当時、自分たちでレコーディングの演奏をやらせてほしいと抵抗もしたんです。だけと実際にスタジオミュージシャンの方々の演奏を聴いたら、自分たちとのレベルの差が歴然で、鼻をへし折られた気分でした。でもやはり、レコーディングで自分たちで演奏できないのはショックでしたね」と回想している
^ 吉田健二によると、「このバンド名変更については、当時杉山君本人が一番嫌だったと思います。杉山君はデビューが決まってテレビ局やラジオ局に挨拶に行くと、いつも『(本人の名前なしの)オメガトライブ』ですって自己紹介していました」とのこと
^ 杉山によると、「当時はテレビ番組や雑誌の取材で、例えば“今朝は何を食べられましたか?”と聞かれたら、実際はメザシ と納豆だったとしても、僕らは『クロワッサンとカフェオレです』って答えていましたね(笑)」と回想している
^ 杉山は後年、「ファンに対して“レコーディングでは、僕らは演奏していません”とは言いたくないし、だからと言って“僕らが演奏しています”と嘘もつきたくない。そういう状況をいつまで我慢するのか?って悩むようになって」と述懐している。
^ 吉田は後年、「杉山君が解散を言い出した時に、僕は賛成しました。話合いで解散は決まったけど、メンバーによっては心の中でまだ思うところもあったかもしれない。あの状態でオメガを続けていたら絶対に衝突もあるだろうし、メンバー間に亀裂が入るのは嫌だったし、僕だけ先に脱退したんです」と回想している
^ また杉山は、「当時僕らは25~26歳でした。話合いで『30歳という一つの区切りを見据えた時に、あと4~5年ある。その間に、例えば作曲家になりたければ作曲を、プロデューサーになりたければプロデュースを、それぞれがやりたい勉強をしようよ。音楽の世界で行きていくなら、30歳までに生き方を決めたいよね』という話をしたことを覚えています」と述懐している
^ CT とCD のみのリリース
^ 高島はライブ開催前に、吉田所属のバンドNight OwlのYouTube配信にて、ソーシャルディスタンスにおけるライブや配信ライブについての意見を述べたことがある『NightOwlの悪あがき*リモート 八回め 』(YouTube)NightOwlの348TV、2021年1月29日、該当時間: 1h46m31s。https://www.youtube.com/watch?v=P2OqFVE1Buw&t=3158s=1h46m31s 。2025年3月26日閲覧 。
^ カルロス・トシキのみ日系ブラジル人 で、ブラジル連邦共和国 パラナ州 マリンガ 出身である。
^ a b “カルロス・トシキ&オメガトライブ”名義で発売された全楽曲は、代表原盤権がワーナーミュージック・ジャパンに移管された。
^ リミックスされた音源も含む。
^ アルバム『DOWN TOWN MYSTERY』の「DAYLIGHT」と「NIGHT TIME」の2バージョン曲、一部の楽曲のカラオケなども含む。
^ 詳細は記載されていない。
出典
参考文献
「人間ドキュメント「40年たった今だからこそ出せる僕らの音~杉山清貴」」『週刊女性』2024年3月26日号、主婦と生活社、2024年3月12日、36-42頁、JAN 4910203640346 。
梶田昌史・田渕浩久 『杉山清貴&オメガトライブ35年目の真実 林哲司が作り上げた哀愁サウンドの秘密』DU BOOKS、2018年8月20日、ISBN 978-4-86647-069-6
外部リンク
杉山清貴&オメガトライブ:杉山清貴 - 高島信二 - 西原俊次 - 大島孝夫 - 廣石恵一 - 吉田健二 1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ:カルロス・トシキ - 黒川照家 - 高島信二 - 西原俊次 - ジョイ・マッコイ BNOT:新井正人 DOME:三上哲 - 高島信二 - 坂内聖一 - 西原俊次 - 池田通久 WEATHER SIDE:高取秀明 - 高島信二 - 西原俊次 シングル
杉山清貴&オメガトライブ 1986オメガトライブ カルロス・トシキ&オメガトライブ BRAND NEW OMEGA TRIBE,BNOT DOME WEATHER SIDE
アルバム
オリジナル
杉山清貴&オメガトライブ 1986オメガトライブ カルロス・トシキ&オメガトライブ BRAND NEW OMEGA TRIBE,BNOT DOME WEATHER SIDE
ベスト
杉山清貴&オメガトライブ 1986オメガトライブ カルロス・トシキ&オメガトライブ 合同オメガトライブ
映像作品
関連項目
^ 杉山清貴&オメガトライブの楽曲は無し。杉山清貴、カルロス・トシキのソロ楽曲も収録。
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