和光大学
和光大学(わこうだいがく、英語: Wako University)は、東京都町田市金井ヶ丘五丁目1-1に本部を置く日本の私立大学。1933年創立、1966年大学設置。 小田急小田原線の鶴川駅が最寄り駅。敷地が神奈川県川崎市麻生区岡上にまたがっている。 概観大学全体成城小学校を源流とする和光学園[1]を母体として、1966年に創立された[2]。敷地が隣接する玉川学園、玉川大学も同じく成城学園から枝分かれしたものだが、戦後すぐにコア・カリキュラム連盟(コア連、現:日本生活教育連盟)と提携したことから、タイプの全く異なる大学になっている。和光大学の初代学長は梅根悟。西洋教育史を専門とした日本教育史学の確立者であり、コア連中核メンバーの一人。コメニウス、ルソー、シュライエルマッハーらの思想に基づいた教育史の見直しをしたことで知られている。 建学の精神〜小さな実験大学〜 小さな実験大学とは、和光大学初代学長の梅根悟が言った言葉である。梅根は、その著書『小さな実験大学』で開学にあたり、これだけ数ある私立大学のなかに、もうひとつ大学を作るからには、小さくてもいいからダイヤモンドのような本物の光を放つ大学を作りたい、和光大学は一人の偉大な創立者を崇拝する大学でも、一つの教団の伝道機関としてのミッションスクール型大学でもなく、また営利大学型の大学でもない。ヨーロッパの中世大学がその始源において示したような学者教師集団(ウニヴェルシタス・マギストロールム)としての理念を活かした大学、ユニークな個性と主張をもった私立学校、それが和光大学の姿であると述べている[3][4]。 教育および研究開学以来、プロゼミ・ゼミ等の少人数教育をいち早く行っているため、教師と学生の距離が他大学に比べ近いと言われている[2]。他学部・他学科の授業も履修可能な「講義バイキング制度」を取り入れており[2]、学部・学科間の垣根が低いのも特徴である。授業内容においては、古代の発火方法を実際に体験する授業[5]など、個性的でユニークな授業が存在する。また、障害者を受け入れていることでも知られている。 学風および特色学内への入口には、大正時代に開花した自由主義教育の理論的指導者である澤柳政太郎の胸像(北村西望作)がおかれている。和光大学の学風(教育)もこの流れを汲んでおり、大学における学生の活動は自由なものとなっている。名物となっている学生同士でのフリーマーケットや焚き火(場所限定)による焼き芋などは、大学への届出の必要はない。 和光大学附属梅根記念図書館にはジャン=ジャック・ルソーの「自然を見よ、そして自然の教える道に従ってゆけ」という『エミール』からの言葉がレリーフとして掲げられている。 沿革(沿革節の主要な出典は公式サイト[6]) 略歴和光学園は、1933年に成城学園から分かれて作られ、「大学は自由な研究と学習の共同体」という理念のもとに創立された。 年表
基礎データ所在地象徴校章スクールカラー学生総数
教育および研究組織学部
大学院
附属機関
学生生活学生自治開学の時期が学生運動の高揚期と重なったため、党派(セクト)間による学生自治の主導権争いが激化し、開学当初の暫定自治会が崩壊。結果として自治会が存在しないまま現在にいたる。代わりに各サークルが所属する全学サークル連合(通称:サー連)と呼ばれる緩やかなノンセクトの自治組織があり、学生側から大学側への意見や要望などを伝える唯一の窓口となっている。 学園祭(大学祭)毎年11月に全学サークル連合が事実上主催する大学祭が開催されている。以前は3日間(72時間、オールナイト)連続の開催で和光大学の名物でもある。 大学関係者と組織大学関係者組織
大学関係者一覧→「和光大学の人物一覧」を参照
施設キャンパスワンキャンパス制をとっているため、4年間同一キャンパスで講義を受けることになる[2]。これにより学部・学科間の交流も盛んで、「講義バイキング制」も可能となっている。 町田キャンパス![]() 大学(キャンパス)およびその周辺は、野部利雄の作品『わたしの沖田くん』や、松本大洋の作品『青い春』、岩明均の作品『風子のいる店』、などの漫画作品の舞台として取り上げられた。また、1970年代後半に撮られた映画作品『下落合焼きとりムービー』の撮影舞台ともなった。2004年にOGの内藤みかが書いた恋愛小説『あなたを、ほんとに、好きだった。』では、1993年頃の大学と寮が舞台になっており、内藤の実体験であると思われる当時の世の中や大学の様子がリアルに描かれている。 1980年代に学生により学内に作られたかまどがあり、サークルおよび学部・学科を越えた交流の場として利用されている。また、多数の猫が学内に居住しており、学生・教職員に親しまれている。[8] 寮和光大学学生寮が大学キャンパス内に設けられていたが、2021年3月末に閉寮し、解体済み。管理人はおらず、学生により自主的に運営されていた。 対外関係地方自治体との協定
単位互換協定包括的連携に関する協定和光学園系列校事件2004年、入学試験に合格した松本麗華(麻原彰晃の三女)の入学をいったん許可しながら、入学手続きの書類によって麻原の三女であることが分かると入学を拒否した[9]。この措置について、2006年2月に東京地裁において30万円の慰謝料支払命令が下されている[10]。 この件について、当時の文部科学大臣・河村建夫は「義務教育段階の学校と異なり、特に私学の大学が、自ら学習環境に配慮して決めたことについて、あれこれ言う立場にありません」「平穏な学習環境を整えることは、大学にとっては大事なことだと思います」と述べた上で、「一般論から言えば、本人自身の事情を超えて、松本被告の子どもということで入学を不許可にするということはどうなのかなと思います」とコメントした[9]。 脚注注釈出典
関連項目公式サイト
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