でか美ちゃん
でか美ちゃん(でかみちゃん、本名:仲井 優希〈なかい ゆき〉[1][3]、1991年〈平成3年〉5月3日[5] - )は、日本の歌手、タレント[6]。 三重県松阪市出身[4]。2021年12月24日、「ぱいぱいでか美」から「でか美ちゃん」に改名[7]。 音楽ライブ・トークライブを中心にDJや司会業などを行う。血液型はO型[5]。身長158.5cm[8]。 来歴幼少期から学生時代異父兄(母の連れ子)がいる[10]。幼い頃からハロー!プロジェクトの楽曲に親しみ、中学3年の頃から歌手になることに憧れていた[11]。学生時代は学級委員を務めた[12]。 高校は進学校の三重県立津高等学校[13]で学び、軽音楽部に入って活動する[14]。その後も歌手になりたい夢を諦められず、親の許可を得て専門学校へ進学を決意する[11]。 2010年に19歳で日本工学院八王子専門学校[1]へ入学し、キャンパスを同じくする東京工科大学のサークルに加入して先輩とバンド活動を始める[11]。バンドではキーボードとボーカルを務めた[11]。2012年12月12日にバンドが解散[11]し、その後はソロ活動を開始する[1]。本人はバンド活動の継続を望んでいたが、先輩がパチンコに没頭して止むを得ず解散した[11]。解散後の12月15日にソロライブで弾き語りを披露したが、自分に合わないと判断して踊りに転向する[11]。 インディーズとしてインディーズとして活動を続けてコアなファンを獲得した[15]。 2014年5月31日に、大森靖子のプロデュースでシングル「PAINPU」を発表[6]し、ジャケットに自身のヌード写真を採用した[6]。6月25日に、デビューアルバム「レッツドリーム小学校」を発売[16]してタワーレコード新宿店のオリジナル企画「NO MUSIC, NO IDOL?」コラボレーションポスター第57弾に登場、発売前日の6月24日から日本全国の9店舗にポスターが掲出され、7月10日に同店で発売記念イベントを開催[16]。 芸能界にデビュー2014年8月10日に「アイドル史上最も下品な芸名をつけてしまったこと」で『有吉反省会』(日本テレビ)に出演[17]、これがきっかけで事務所(パーフェクトミュージック)への所属が決まり、以来番組終了まで「いつもいる反省人」枠として出演していた[18]。 2016年4月20日 - 5月8日、避妊やエイズを含む性感染症予防に有効なコンドーム利用啓発のための、ラブ活推進プロジェクト「くわえゴム」キャンペーン・キャンペーンアンバサダーを務める[19]。 2017年8月に、西井万理那を中心とするアイドルユニット「APOKALIPPPS」に加入[20]して「プレイングマネージャー」として活動[21]する。 2017年10月20日に、初のイメージDVD「STAY GOLD」(竹書房)を発売した[22]。 2018年9月12日に、吉川友とのユニット「吉川友にぱいぱいでか美」を組み、「最高のオンナ」を配信開始した[23]。 2021年4月1日、所属事務所をYU-M エンターテインメントに移籍したことを発表[24]。 2022年12月23日の公演をもって、結成時から所属するアイドルユニット「APOKALIPPPS」を卒業[25][26]。 2024年3月9日、ピン芸人のサツマカワRPGとの結婚を双方のX(旧Twitter)にて発表した[9]。サツマカワとはつき合う前から、でか美ちゃんに対する好意をすごくストレートに伝えていたということで、「こんなに熱心に自分を見て追いかけてくれる人はいないことが大きかった」ということを話している[27]。 芸名芸名は、あどけない顔つきとFカップの胸に由来する[1]。本人は本名から「ユキ」として活動するものと考えていたが、専門学校時代に入っていたバンドサークルの先輩に名付けられた[11][4]。理由は「サークルの中で一番胸が大きいから」[4]。本人は「ハイ・リスク&ハイ・リターンな名前」と認識している[15]。名付けられた当時は「覚えやすくていいじゃん」くらいの軽いノリで、その先輩のことが好きで信頼関係が成り立っていたので喜んで受け入れられ、それまで胸が大きいことがコンプレックスだったが、大きい胸をチャームポイントと思っていいと考えが変わったということだったが、その後まさかタレント活動をするとは思っていなかったという[10]。最初、両親にはバンド名は伝えていたが、さすがに芸名までは伝えられなかったという。しかし20歳頃の時に、三重県でライブを行った時に自分は実家に泊まり、「もう隠し通せない」と思ってその時に両親に伝えたところ、「面白いな」などと意外にあっさり受け入れてくれ、近所に宣伝までしてくれたという[10]。 元来グラビアアイドルやエッチなものは好みで、キャラとして周りから定義付けられて生きやすくなったという[28]。 ある番組に出演した際、芸名が下品だと指摘され、「四畳半襖子(よじょうはんふすまこ)」と改名するのはどうかと提案された。 ゲッターズ飯田に占い師ではなく放送作家の立場から「(その芸名のため)テレビのゴールデン帯で、ぱいぱいでか美を起用するのは難しい面がある」と指摘されたことから、下品な芸名の先輩・玉袋筋太郎[注 1]に「「玉ちゃん」のように別名でも発信していくほうが良い」とのアドバイスを受け、以後「「でか美ちゃん」と呼んでもいいよ」とアピールしている[30]。 2021年12月24日、記者会見を行い「でか美ちゃん」に改名することを正式に発表した[7]。大森靖子からのLINEが改名の後押しになったと猫舌SHOWROOM「豪の部屋」で語っている[31]。 人物職業ライブアイドル活動をしているが、自分自身が想像しているアイドル像であるハロー!プロジェクト(ハロプロ)からかけ離れているため、アイドルとは自称していない[32]。 趣味・嗜好嗣永桃子との出会いがきっかけで、ハロプロを心の支えとしている[1]。一番好きなアルバムはBerryz工房の「5(FIVE)」[33]。テレビっ子である[33]。 2017年の目標は6月30日で芸能界引退が決まっている嗣永と仕事で共演すること[34]であった。直接共演することは叶わなかったが、彼女への気持ちを綴った曲『桃色の人生!』を2017年4月5日に発表[35]、同年6月16日に放送された「ミュージャック」(関西テレビ)に出演した際、サプライズで嗣永桃子本人がVTRでコメント出演、嬉しさのあまり涙を流して喜んだ[36]。 なお、中学生の頃は浜崎あゆみや倖田來未、ロックやパンクにも興味を持っていた[37]。 高校生の時には三重県を中心に活動するバンド・at Anytimeと出会い、地元を大事にする精神を学んだと語っている[37]。 交友関係「大森靖子の弟子」を自称しているが、「師匠」である大森との出会いも、「ぱいぱいでか美」の存在を知っていた大森がでか美のTwitterのプロフィールに「嗣永桃子が好きです」と書いてあったのを見て、「ハロプロ好きなら悪い人じゃない」と大森の方からフォローしたことが始まりである[38]。 大森からの信頼は厚く、『有吉反省会』に出演したピエール中野(凛として時雨)が大森と結婚していることを発表した際には、収録当日に「今日ダンナが有吉反省会に行くらしい よろしく!」とLINEが届いたり[39]、大森が「共犯者」を務めるZOCの新メンバーに福田花音(元アンジュルム)が「巫まろ」として加入する際も、ZOCメンバーの西井万理那よりも先に加入を伝えられ、「西井が(福田の加入を)言いそうな素振りがあったら止めてほしい」と依頼されていた[40]。 「30代になってからの目標は、昔からの友達であったファーストサマーウイカに追いつく」「憧れの存在。かっこいいな、かわいいな。なんでも出来て」と思っていることを赤江珠緒たまむすびで述べている[41][42]。 免許・資格高校を卒業する前の2010年に、[要出典]普通自動車第一種運転免許をマニュアルで取得している[3]。 SNSTwitterでは積極的にエゴサーチを行っており、自身に関するツイートに対して「いいね」を日常的に行っている。このことについて、本人はいわゆるコミュニケーションの一種として捉えている[30]。 出演太字は、現在出演中 テレビ
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アルバム
作詞提供曲
映像作品執筆書籍
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