アプト・スポーツライン
![]() ![]() アプト・スポーツライン(Abt Sportsline GmbH)は、ドイツ・バイエルン州ケンプテンに拠点を置くレーシングチームおよびチューニング会社である。主にアウディとフォルクスワーゲングループのブランド(フォルクスワーゲン、シュコダ、セアト)を取り扱う。スポーツタイプのサスペンション、エンジン出力のアップグレード、軽量ホイール、空力コンポーネント変更などを行っている。 歴史ヨハン・アプト(1935年12月生)は、家業の蹄鉄製造を継ぎ、1970年までアバルトのファクトリーチームに所属しオートバイレースやヒルクライムに参加していた。彼は後に自らのチームでレースに参加し、「トロフィー・ド・ラヴニール」やその他のシリーズで勝利を挙げた。ヨハン・アプトの父は、1896年に最初のアプト社(Auto Abt)を設立した。 1991年、アプト・スポーツライン GmbH が設立された。 ヨハンは2003年に死去し、100名以上の従業員を抱える会社は息子のハンス=ユルゲン・アプト(1962年生)とクリスチャン・アプトの兄弟によって経営が引き継がれた。2011年以来、ハンス=ユルゲン・アプトが会社を経営している。 レース活動
ツーリングカー1999年、クリスチャン・アプトがアウディ・A4でドイツ・スーパーツーリング選手権でタイトルを獲得した後、翌年からドイツツーリングカー選手権(DTM)へアウディのセミワークスとして参戦した。2000年はアプト・アウディ・TT-Rの開発時間の不足もあったが、2002年にローレン・アイエロがドライバーズタイトルを獲得した。 2003年、前年のADAC VWルポ・カップシリーズのタイトルを獲得した19歳のペーター・テルティングにTT-Rをドライブするチャンスを与えた。アプトはこのような試みに活発である。 その後もDTMで2004年、2007年、2008年、2009年にタイトルを獲得するなどドイツのレースシリーズで活躍した。2004年以来、アウディスポーツ・チーム・アプト・スポーツラインの名前で、アウディのワークスチームとなった[1]。 フォーミュラE2014年から新たに始まったフォーミュラEに、アウディスポーツ・アプト・フォーミュラEチームとしてルーカス・ディ・グラッシとダニエル・アプトを擁して2014-15年シーズンに参戦した[2]。2016-17年にディ・グラッシがドライバーズタイトルを[3]、2017-18年にチームタイトルを[4]それぞれ獲得している。 2015-16年からは、チーム名を「アプト・シェフラー・アウディ・スポーツ」として参戦。2017-18年以降はアウディのワークスチームとして、「アウディ・スポーツ・アプト・シェフラー」に名称を変更しエントリーした。 2020年5月23日、新型コロナウイルスの影響で中断されていた2019-20年シーズンの代替レースとして開催された、フォーミュラEレース・アット・ホーム・チャレンジ第5戦において重大な不正行為を行い失格となった[5]、身内のダニエル・アプトに対してアウディは、契約解除という厳格な処分を下すことを発表した[6]。その後チームは、再開後の6戦並びに翌2020-21年に向けアプトの後任として、DTMなどで活躍するレネ・ラストを起用すると発表した[7]。 2021年限りでアウディがフォーミュラEから撤退した為、2021‐22年の参戦は無かったが、2022‐23年シーズンから復帰した。セアトのブランド名であるクプラと提携し、チーム名を当初の「チーム・アプト」から「アプト・クプラ・フォーミュラEチーム」へ変更して参戦した[8]。パワートレインはマヒンドラを使用。 2024年-25年より、ローラ・カーズとヤマハ発動機から新たにパワートレインの供給を受け、チーム名を「ローラ・ヤマハ・アプト・フォーミュラEチーム」として参戦する。 アフターマーケットアプトはレースで培った技術を一般車にうまくフィードバックさせ、フォルクスワーゲングループの車種(アウディ、セアトを含む)のチューナーとして成功を収めている。標準モデルよりも空力性能を高めたボディキットの、フロントリップスポイラー、サイドスカート、テールゲートに取り付けられたスポイラー、アプトブランドのフロアマット、アルミホイール、ミラーキャップ、スポーツスプリング、スポーツエキゾーストシステムなどがある。 代表車種![]()
参照
外部リンク
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