ミッチ・エヴァンス
ミッチェル・ウィリアム・エヴァンス(Mitchell William Evans, 1994年6月24日 - )は、ニュージーランド・オークランド出身のレーシングドライバー。 2010、11年のトヨタ・レーシングシリーズ、および、2012年のGP3シリーズのチャンピオンであり、2017年よりジャガー・レーシングからフォーミュラEに参戦している。 2019-20年のジャガー・Iペイス e-トロフィー王者であるサイモン・エヴァンスは実兄。 マスメディアによっては「ミッチ・エバンス」と表記されることが多い。 経歴初期の経歴2007年にフォーミュラ・ファーストに参戦し、四輪レースのキャリアを開始した。2008-09年のニュージーランド・フォーミュラ・フォード選手権でリッチ・スタナウェイに次ぐ2位となった。2009年にはオーストラリア・フォーミュラ・フォード選手権にも参戦し、この選手権でもニック・パーキャットに次ぐ2位となっている。 フォーミュラ3/トヨタ・レーシングシリーズ2010年、エヴァンスはオーストラリアで開催されたオーストラリア・ドライバーズ選手権にチーム・BRMから、ニュージーランドで開催されたトヨタ・レーシングシリーズにジャイルズ・モータースポーツから参戦した。前者ではベン・バーカーに1ポイント差で敗れて2位となったが、後者では3勝を挙げてチャンピオンを獲得した。 2011年も同チームからトヨタ・レーシングシリーズに参戦し、1レースを除いてすべて表彰台に登る安定感を見せて、2年連続のチャンピオンに輝いた。また、第4ラウンドのニュージーランド・グランプリで優勝し、グランプリにおける最年少優勝者となった。 GP3シリーズ2011年2月、エヴァンスはヨーロッパに活動の場を移し、この年よりマーク・ウェバーが経営に加わったアーデン・インターナショナルからGP3シリーズに出場することとなった[1]。彼は3戦目のカタロニアでのフィーチャーレースで初のポールポジションから勝利を飾り、序盤戦でポイントランキングの首位に立った。ニュルブルクリンクでも2回目のポールポジションを獲得したものの、後半戦はノーポイントのレースが続き、9位でシーズンを終えた。 2012年も同じ体制でGP3に参戦を続けた。開幕戦を含む3度の勝利と、シーズンの半数にあたる4度のポールポジションによって速さを示し、シーズンの全般に渡ってタイトル争いをリードした。21.5ポイント差の首位で迎えた最終ラウンドのモンツァでは、ポールポジションを獲得したものの、決勝ではレース1, 2で共に他車との接触によりノーポイントに終わった。しかし、タイトル争いの権利を有するダニエル・アプトとアントニオ・フェリックス・ダ・コスタがそれぞれ2位と5位でフィニッシュしため、アプトに対して2ポイント差でチャンピオンを獲得することに成功した[2]。 GP2シリーズ![]() GP3でチャンピオンに輝いたエヴァンスは、翌年もアーデンへの所属を継続しながらGP2へとステップアップを果たした[3]。エヴァンスはセパン・インターナショナル・サーキットで行われた初戦のスプリントレースで3位表彰台を獲得し、GP2シリーズにおける最年少表彰台記録を更新した。この年、合計4度の表彰台を獲得してランキングは13位となった。 2014年、エヴァンスはiスポーツ・インターナショナルが運営を行うロシアン・タイムに移籍し、チームメイトは前年にドイツ・フォーミュラ3選手権を走ったアルテム・マルケロフとなった[4]。第5戦シルバーストーンのフィーチャーレースではジョリオン・パーマーを抑えて初優勝を飾った[5]。続くホッケンハイムでも勝利を挙げたほか、後半戦でも安定した成績を残し、ランキングは4位へと躍進した。 続く2015年もエヴァンスはロシアン・タイムから参戦を行ったが、チームの運営はヴィルトゥオーシ・レーシングに移った[6]。前半戦は低迷したものの、エンジニアが交代した後半戦は復調し、モンツァとバーレーンで2勝を挙げてランキングは前年に比べて1つ下がる5位となった。 2016年にエヴァンスはカンポス・レーシングへと移籍した[7]。第4戦レッドブル・リンクのフィーチャーレースでは、悪天候により赤旗が出される混乱の中、チームメイトのショーン・ゲラエルと共にワンツーフィニッシュでレースを制した[8]。一方で、表彰台はシーズンを通してこの1回にとどまり、ランキング12位で最後のGP2シーズンを終えた。 スポーツカー2015年3月、Jotaスポーツはアウディでのレースを優先したフェリペ・アルブケルケの代役として、エヴァンスをFIA 世界耐久選手権(WEC)のスパ戦とル・マン24時間レースで起用することを発表した[9]。スパ・フランコルシャン6時間レースではサイモン・ドゥーラン、ハリー・ティンクネルと共にクラス優勝を飾り、ル・マンでは序盤に発生したトラブルの修復のためにクラストップから3周遅れとなったものの、2位にまで挽回する走りを見せた[10]。 エヴァンスはこの年の11月に行われたWECのルーキーテストでLMP1車両の走行を担当する若手ドライバーの1人として選出された。また、それに先立つポルシェのプライベートテストにも参加し、共にポルシェ・919ハイブリッドのハンドルを握った[11]。 フォーミュラE![]() 2016年-17年2016年-17年のフォーミュラEから新規参戦を始めたジャガー・レーシングは最初のシーズンのドライバー候補としてエヴァンスをはじめとする4人を選出し、8月に行われたプレシーズンテストで評価を行った[12]。その結果、翌月、アダム・キャロルと共にエヴァンスがレギュラードライバーとなることが発表された[13]。第4戦メキシコシティでエヴァンスは終盤のクラッシュを切り抜けて4位でフィニッシュし、ジャガーに初のポイントをもたらした[14]。エヴァンスはシーズンを通して4度の入賞を果たし、チームメイトのキャロルを大きく上回る成績を残した。 2017年-18年チームメイトはネクストEV・NIOから移籍した元チャンピオンのネルソン・ピケJr.となった[15]。第2戦香港ではトップでフィニッシュしたダニエル・アプトがMGUの規定違反のためにレース後の車検で失格となり、4位だったエヴァンスが繰り上がることによって自身初の表彰台を獲得した[16]。第7戦ローマでは予選3番手から勝利を争ったものの、バッテリーの問題で終盤に失速し[17]、第10戦チューリッヒでは自身初のポールポジションからトップを走ったが、ペナルティで後退して7位でレースを終えた[18]。前年に続いてチームメイトをポイントで上回り、ランキングは7位へと上昇した。 2018年-19年ピケJr.とのコンビが継続されたが、第6戦の後にピケJr.がチームを離脱し、残りのシーズンはアレックス・リンがハンドルを握った[19]。エヴァンスは開幕から安定してポイントを積み重ね、第7戦ローマではポールポジションからスタートしたアンドレ・ロッテラーとの首位争いを制して初優勝を飾った[20]。さらに、エヴァンスは第11戦ベルン、第12戦ニューヨークと連続でトップと僅差の2位表彰台を獲得し、チャンピオン争いの権利を最終戦まで残していたが、最終戦では同じくタイトルを争うルーカス・ディ・グラッシとの接触により入賞圏外となり[21]、シーズンを5位で終えた。 2019年-20年チームメイトがジェームス・カラドへと変わった。第3戦メキシコシティではスタートでポールポジションのロッテラーを交わしてトップに立つと、そのまま首位を譲らず、自身2勝目を達成した[22]。続くマラケシュ戦では予選タイムを記録できず、最後尾からのスタートを余儀なくされたものの、6位まで順位を回復する活躍を見せた[23]。新型コロナウイルスの感染拡大による一時中断時点において、エヴァンスは首位のアントニオ・フェリックス・ダ・コスタに対して11ポイント差の2位につけていたものの、ベルリンで集中的に6戦を開催する形でシーズンが再開されると、チームが開発で遅れを取ったために成績が低迷。エヴァンスは6戦で15ポイントしか獲得できず、最終的に選手権の順位も7位に落ち込んだ。 2020年-21年チームメイトがカラドが耐久選手権をメインに参戦のため、サム・バードに変わった。開幕戦ディルイーヤの1レース目では表彰台に立ったが、2レース目では衝突事故によりリタイアとなった。 2021年-22年前年に引き続き同体制で参戦。第4・5戦ローマで2シーズンぶりの優勝、また第6戦モナコではポールポジションを飾った。初開催となる第9戦ジャカルタではジャン=エリック・ベルニュとの接戦の末、僅かなタイム差で5度目の優勝を達成した。総合ランキング2位でシーズンを終えた。 2022年-23年同体制で参戦予定。 レース戦績略歴
* Season still in progress. GP3シリーズ
GP2シリーズ
ル・マン24時間レース
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ
(key) フォーミュラE
脚注
外部リンク
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