ダニエル・ティクトゥム
ダニエル・"ダン"・チャールズ・アンソニー・ティクトゥム(Daniel "Dan" Charles Anthony Ticktum, 1999年6月8日 - )は、イギリス・ロンドン出身のレーシングドライバー[1]。 マカオ市街地で開催されるFIA F3ワールドカップ(マカオグランプリ)の2017年、2018年優勝者。 レースキャリアカート![]() 2008年からカート競技のカデットクラスに出場し、2011年にはイギリス国内4タイトルを制覇(British MSA Formula Kart Stars,National ABkC Super One,Brithish Open (ABkC O Plate),British Grand Prix(GP Plate))。 2012年は国際シリーズに参戦し、WSKユーロシリーズとWSKマスターズシリーズのKF3クラスでルーキー最上位を獲得。2013年はCIK FIAヨーロッパ選手権とイギリス国内選手権のKFJクラスで2位、Andrea Margutti Trophyで優勝した。2014年はWSKマスターズで2位、WSKチャンピオンズカップで3位。この年限りでカートを卒業し、フォーミュラカーへステップアップした。 ジュニアフォーミュラ2015年2015年はMSAフォーミュラ(イギリスF4)にフォーテック・モータースポーツより参戦。シルバーストンラウンドにて、ライバルのリッキー・コラードとオープニングラップに絡んで後退すると、セーフティカー導入中に10台を抜き、コラードに報復行為とみられる接触を仕掛け、2年間のレース出場禁止(2年目は執行猶予)というペナルティを受けた[2][3]。 2016年1年間の出場停止を終え、ヨーロッパF3最終戦ホッケンハイムにカーリン・モータースポーツより出場。また、マカオ市街地で毎年行われるF3ワールドカップ(マカオGP)に初挑戦し、土曜日の予選レースで8位、決勝レースはリタイア。 2017年2017年1月、レッドブルの若手育成プログラム「レッドブル・ジュニアチーム」入りが発表された。この年はユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0シリーズにアーデン・インターナショナルより参戦し、年間ランキング7位(1勝)。GP3シリーズの終盤3ラウンドにDAMSより参戦した。 2年目のマカオGPは8番グリッドからスタートし、マキシミリアン・ギュンターとランド・ノリスを抜いて3位までポジションを上げ、その順位でフィニッシュすると思われた。が、優勝を争っていたセルジオ・セッテ・カマラとフェルディナンド・ハプスブルクが最終ラップの最終コーナーで競り合った末2台ともバリアに衝突し、ティクトゥムに土壇場で勝利が転がり込んだ[4]。年末にはイギリスの優れた若手ドライバーに贈られる「マクラーレン・オートスポーツBRDCアワード」を受賞した[5]。 2018年![]() ![]() 2018年はヨーロッパF3選手権にモトパーク・アカデミーより参戦。中盤戦までに4勝してポイント首位に立ち、シリーズチャンピオンを獲りスーパーライセンス取得に必要なライセンスポイントを確保できれば、2019年はトロ・ロッソからF1デビューするのではないかといわれた[6][7]。しかし、シーズン後半戦に調子を上げたミック・シューマッハに逆転され、ランキング2位に終わった。 シューマッハとの対決が注目されたマカオGPでは予選1回目・2回目、予選レースとも1位で通過し、決勝レースもポール・トゥ・ウィンという完全優勝を達成した。マカオGPがF3規格で行われるようになってから連覇したドライバーは、エドアルド・モルタラ(2009年・2010年)、フェリックス・ローゼンクビスト(2014年・2015年)に続く3人目となる[8]。年末にはオートスポーツ・アワードの「ナショナル・ドライバー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた[9]。 また、FIA F2選手権とスーパーフォーミュラ (SF) へダブルエントリーした福住仁嶺の代役として、ティクトゥムはチーム無限よりSF2戦にスポット参戦し、第3戦菅生はリタイア、第4戦富士は11位でフィニッシュした。また、ヨーロッパF3シーズン終了後、FIA F2最終戦アブダビにスポット参戦した。 F2 / スーパーフォーミュラ2019年F1参戦に必要なスーパーライセンスの発給条件となる「過去3年間のライセンスポイント40点」に対して、ティクトゥムは2018年終了時点で5点足りておらず[10]、2019年1-2月に開催されるアジアF3ウィンターリーグに参戦した(チャンピオンにはライセンスポイント10点が与えられる[11])。 2019年はFIA F2を選択せず、スーパーフォーミュラにチーム無限よりレギュラー参戦[12]。レッドブル・ジュニアチームの先輩ピエール・ガスリーと同じく、SFで経験を積み、F1昇格を目指す[13]。F1のインシーズンテストにも2度参加し、レッドブル・RB15をドライブした。しかし、SF序盤3戦で1ポイントしか獲得できず、パフォーマンス不足を理由にSFのシート喪失とジュニアチームからの放出を宣告された[14] [15]。 2020年DAMSからF2に参戦[16]。シルバーストーンのレース2でF2初勝利を記録[17]。モンツァのレース2で2勝目を記録したかに思われたが、車検で失格となった[18]。2020年シーズンはランキング11位で終えた[19]。 2021年カーリンへ移籍し、引き続きF2に参戦する[19]。 フォーミュラ12019年にレッドブル・レーシングの開発&テストドライバーを務めたのち、2020年からウィリアムズF1で開発ドライバーに就いたが、ニコラス・ラティフィへの侮辱発言が問題視されて契約解除となった[20]。 フォーミュラE2021-22年NIO・333・FEチームから参戦。第5戦ローマの2レース目で初入賞を果たす。 エピソード
レース戦績略歴
FIA フォーミュラ3・ヨーロピアン選手権
GP3シリーズ
(key) スーパーフォーミュラ
(key) FIA フォーミュラ2選手権
フォーミュラE
脚注
外部リンク
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