アルフォンソ・ペレス
アルフォンソ・ペレス(Alfonso Pérez, 1972年9月26日 - )は、スペイン・ヘタフェ出身の元サッカー選手。スペイン代表であった。ポジションはフォワード。 リーガ・エスパニョーラで307試合に出場して84得点を挙げた。スペイン代表としては1度のFIFAワールドカップと2度のUEFA欧州選手権に出場している。 クラブ経歴マドリード郊外のヘタフェに生まれ、18歳だった1990年にレアル・マドリードからデビューした。エミリオ・ブトラゲーニョやイバン・サモラーノなどのスター選手が在籍していたためにレギュラーポジションを獲得することはできなかったが、1994-95シーズンにはリーグ優勝に貢献。1995年夏にレアル・ベティスに移籍すると、1996-97シーズンには25得点を挙げてクラブの最多得点記録を塗り替え、4位躍進の立役者となった。 2000年夏にはFCバルセロナに移籍したが、2000-01シーズンにはわずか2得点しか挙げられず、2002年1月にはオリンピック・マルセイユにレンタル移籍したが、この試みも失敗に終わった。2002年夏には古巣レアル・ベティスに完全移籍したが、負傷を繰り返してコンディションを落とし、2004-05シーズンは10試合に出場して無得点に終わった。2005年6月に契約が満了して現役引退した。 代表経歴1992年にはU-23スペイン代表としてバルセロナオリンピックに出場した。 1992年9月9日、サンタンデールで行われたイングランドとの親善試合でスペイン代表デビューした。同年12月16日、1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のラトビア戦 (5-0) で代表初得点を決めた。1996年にはUEFA EURO '96に出場するメンバーに選ばれ、グループリーグのブルガリア戦 (1-1) では途中出場してわずか1分後に同点弾を決めた。1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では5得点し、特に1996年9月4日のフェロー諸島戦ではハットトリックを達成している。1998年にはフランスで開催された1998 FIFAワールドカップ本大会に出場した。 代表では通算11得点を挙げているが、もっとも重要な得点はUEFA EURO 2000のユーゴスラビア戦 (4-3) の得点であろう。グループリーグ突破のためには勝利が必要であったが、スペイン代表は90分が過ぎて2-3と劣勢だった。このままではノルウェーとの順位争いに敗れて敗退が決定するところであったが、ロスタイムにペナルティーキックのチャンスを得て、ガイスカ・メンディエタが同点ゴールを決めた。さらにこの後、アルフォンソがスペクタクルなボレーシュートを決め、突破が絶望的な状態から首位での決勝トーナメント進出を決めた[2]。 人物ヘタフェ出身である。ヘタフェCFでプレーしたことはなかったが、ヘタフェCFのホームスタジアムは彼の名前を冠して「コリセウム・アルフォンソ・ペレス」と名付けられていた[3]。しかし2023年10月、ペレスが女子サッカーについて性差別的な発言をしたことが問題となり、当スタジアムから彼の名前が外されて「コリセウム」へと改称することとなった[4][5]。 弟のイバン・ペレス・ムニョスもレアル・マドリードの下部組織出身のサッカー選手である。ポジションはフォワードであり、1998-99シーズンの1シーズンのみレアル・ベティスで一緒にプレーしたことがある[6]。 代表歴出場大会試合数
得点
タイトルクラブ
代表
脚注
外部リンク
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