ジョン・トシャック
ジョン・トシャック MBE(John Toshack MBE, 1949年3月22日 - )は、ウェールズ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 経歴トシャックは16歳の時にカーディフ・シティFCで選手経歴を開始し、1970年にリヴァプールFCへ移籍、数日後に行われたマージ-サイドダービーで初ゴールを挙げた[1]。リヴァプールでは8シーズン間に246試合に出場96得点を記録、特にケヴィン・キーガンとのコンビネーションの良さは有名で[2]、共に数多くのタイトル獲得に貢献した。1975-76シーズン、9月チャンピオンズカップ、ハイバーニアンFC戦ではハットトリックを達成した[3]。1977-78シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝、ボルシア・メンヒェングラットバッハ戦で負傷し、翌1978年2月にクラブを退団した。2006年にはリヴァプールFCのファンが選ぶファンに衝撃を与えた選手の選出で第34位に選出された[4]。 1978年にスウォンジー・シティAFCへ移籍し、選手兼任監督を務め、1983年に現役を引退した。 ウェールズ代表としては、1969年から1980年の間に国際Aマッチ40試合に出場し12得点を記録。また1979年のブリティッシュ・ホーム・チャンピオンシップ、スコットランド戦ではハットトリックの活躍を見せた[4]。 1984年以降は監督業に専念し、スペインのレアル・マドリードやデポルティボ・ラ・コルーニャ、ポルトガルのスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルなどの監督を歴任。2004年11月にウェールズ代表監督に就任し[5]、通算53試合で22勝7分け24敗の成績を残したが、UEFA EURO 2012予選の初戦に敗れた後に辞任した[6]。2011年8月、ミルサド・ヨヌス監督を解任したマケドニア共和国代表監督に就任したが[7]、8試合で采配を振って1勝しかできず、マケドニアサッカー協会と双方合意の上で2012年8月に辞任した[8]。 リヴァプールの監督就任要請は1982年、1988年と2度あったが、いずれも就任を拒否した[9]。 タイトル選手時代
選手兼指導者時代
指導者時代
関連項目脚注
外部リンク
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