アレクサンダー・マイアー
アレクサンダー・マイアー(Alexander Meier、1983年1月17日 - )は、西ドイツ・ブーフホルツ出身の元サッカー選手[1]。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)、フォワード(FW)。 経歴クラブハンブルク育ちで、ハンブルガーSV(以下HSV)やFCザンクトパウリのユースで育つ。2002年にザンクト・パウリの選手として、19歳でHSVとのハンブルクダービーに出場、これがブンデスリーガデビュー戦となる。その後、所属のザンクトパウリの2部降格により、2002-03シーズンは2部でプレーした。2003-04シーズンには古巣HSVへ移り、再びブンデスリーガの舞台に立った。しかし、選手層の厚いHSVにおいて出場機会はなかなか得られなかった。 2004年7月、レンタルで2部のアイントラハト・フランクフルトに移籍した。ここでシーズン全試合に出場し9ゴールをマークし、フランクフルトの1部昇格に貢献した。シーズン終了後にはフランクフルトが移籍金推定65万ユーロを支払い、完全移籍が実現した。 2005-06シーズンは初めてブンデスリーガでレギュラーとして定着し、第17節を除く全試合に出場し7得点を記録した。チームは1部残留を果たした。 2006-07シーズンは新加入の高原直泰と息の合ったプレーを見せ、高原がハットトリックを決めた試合ではそのうちの2点をアシストした。 2007-08シーズンは第11節までフル出場を果たすが、怪我を負いそれ以降を棒に振った。 2008-09シーズンは怪我などで前半をほぼ棒に振ったが、後半戦は全試合に出場した。 2009-10シーズン、中盤あるいはストライカーの後方でのポジションで真価を発揮し、チームトップの10ゴールを挙げた。シーズン終了後にはチームと契約を更新した。 2010-11シーズンは24試合に出場するも2得点と振るわず、チームも8試合連続無得点など低調が続き2部降格という結果となった。 2011-12シーズンは新監督のアルミン・フェーから副キャプテンに指名されるとツヴァイテリーガで32試合17得点の大活躍を見せ、得点王に輝いた。チームも2位に着け、1年でのブンデスリーガ復帰を果たした。 2012-13シーズンは前半戦だけで11ゴールを決めるなど、29歳にして大ブレイクの年となった。新戦力のシュテファン・アイグナーらと見事な連携を見せた。最終的に31試合に出場して16ゴールを決め、ミッドフィルダーながら得点ランキング3位に入った。チームも前半戦は一時は2位になるなど好調であった。後半戦で失速し最終的には6位となったが、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。 2013-14シーズンは22試合に出場し8得点。チームで最も多くのゴールに絡んだ。2014年3月7日、フランクフルトとの契約を2017年6月まで、3年延長した[2]。年俸も所属選手中トップとなる200万ユーロ(約2億7600万円)に増加した[3]。 2014-15シーズン、2トップのフォワードのポジションに配置されると、持ち前の得点力を発揮し、前半戦だけで16試合中13得点を決めるなどゴールを量産した。また、ブンデスリーガ公式HPの前半戦ベストイレブンにも選出された[4]。シーズン終盤戦は怪我で出場できなかったが、2014-15シーズンのブンデスリーガ得点王を受賞した。 2016年7月14日、ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトとの契約を延長することを発表した[5]。契約期間は2018年6月30日までとなった。 2019年1月、ザンクトパウリにシーズン終了までの契約で復帰[6]。 2019年9月20日、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに移籍[7]。 2020年1月28日、現役引退を発表した[8]。 代表U-21代表として2試合に出場しているが、A代表には選出されていない。 プレースタイル身長196センチの大柄な体格を生かした空中戦、ボディバランスとスピードを生かした縦への突破、シュート技術に優れる。 トップ下のポジションに入った時は前線へ積極的に飛び出したり、下がってボールを受けたりと幅の広いプレーを見せる。 アルミン・フェーによって4-2-3-1のいわゆる「9.5」番を任されるようになると、空中戦の強さを生かして得点力を発揮するようになった[9]。 また、2014-15シーズンからは得点力を生かしてフォワードを務めている。 エピソード個人成績
タイトルクラブ
個人
脚注
外部リンク |
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