アレクセイ・スメルティン
アレクセイ・ゲンナジエヴィチ・スメルティン(Alexey Gennadyevich Smertin, 1975年5月1日 - )は、ロシア・バルナウル出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。現在はアルタイ地方立法議会の議員をしている。 来歴クラブ1975年、現ロシアのバルナウルで生まれた。1992年、地元のクラブのFCディナモ・バルナウルでサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、その後はザリヤ・レニンスククズネツキー(1994-1997)、ウララン・エリスタ(1998)などでプレーをした。 1999年にロシアの強豪FCロコモティフ・モスクワへ移籍をすると、その年のロシア年間最優秀選手に選ばれるなど活躍した。2000年、それらの活躍が認められてリーグ・アンに所属している名門FCジロンダン・ボルドーへ移籍をした。 2003年8月、345万ポンドでチェルシーFCに移籍をしたが、移籍後すぐにポーツマスFCにレンタルされた。 マンチェスター・ユナイテッドFC戦でのプレーが評価されチェルシーへ戻ったものの、フランク・ランパード、クロード・マケレレ、ジェレミ・ヌジタップ、スコット・パーカー、ティアゴ・メンデス、と言った層の厚いメンバーからレギュラーを奪うことが出来ず控えに甘んじた。 UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05のFCポルト戦では1得点を挙げチームの勝利に貢献をした。 2005-06年シーズン、チェルシーから余剰戦力とみなされチャールトン・アスレティックへレンタルされた。チャールストンでは主にレギュラーとして出場した。2006年、FCディナモ・モスクワへ100万ポンドで移籍をし1シーズンプレーした。 2007年、フラムFCと2年半の契約。再びロンドンの地へ戻ったが、怪我に悩まされ、ダニー・マーフィーやサイモン・デイヴィスとのレギュラー争いにも敗れたことから、2008年8月30日、ロイ・ホジソン監督から解雇を言い渡され、翌日退団。そしてサッカー選手として現役生活に別れを告げた。 2010年、ロコモティフのビーチサッカーチームでプレーをした。トーナメント制の試合では優勝を成し遂げた。2010年11月12日、ロコモティフの戦略方針に関するアドバイザーに就任をした。また育成のアドバイザーも兼任している。 代表ロシア代表では55試合に出場し、2002 FIFAワールドカップやUEFA EURO 2004に出場をした。2004年から2005年までロシア代表のキャプテンを務めた。後任はアンドレイ・アルシャヴィンに引き継がれた。 人物兄のエフゲニー・スメルティン(1969年生)もサッカー選手であった。 代表歴出場大会試合数
タイトルクラブ
個人
出典
外部リンク
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