エルネスト・ファリアス
エルネスト・ファリアス(Ernesto Farias, 1980年5月29日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州トレンケ・ラウケン出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。思春期の頃の、でこぼこの歯をピアノに例えて"El Tecla"の愛称で呼ばれる[1][2]。 経歴1997年、ファリアスはエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタでプロキャリアを始め、18歳の誕生日となる29日に2-2と引き分けたCAラヌース戦でトップチームデビューを果たした。3年目の1999-2000シーズン以降のゴール数は最低14得点以上を挙げ、2003-04シーズンはアペルトゥーラだけで12得点を決めた。また、チームは常に降格の恐れがない中位にいた。 ファリアスは、ほぼ2試合に1得点の割合で得点を決め、クラブ史上5番目となる得点数を記録しエストゥディアンテスを去っていった。しかし、同胞のマリアーノ・ゴンサレスと共に2004-05シーズンに加入したイタリア・セリエAのUSチッタ・ディ・パレルモでは、13試合0得点に終わった。 その後、母国に戻りCAリーベル・プレートに入団。コパ・リベルタドーレス2006でチームは準決勝まで駒を進め、ファリアスは5得点を挙げ他の13人の選手と共に得点王に輝いた。2007年7月下旬、個人的な理由からデポルティーボ・トルーカFCへの移籍が失敗した後に移籍金400万ユーロの4年契約でFCポルトに加入した[3]。 ポルトでの3シーズンは、リサンドロ・ロペス、フッキ、ラダメル・ファルカオの存在のため、ほとんどが途中出場にとどまった。そんな中でもリーグ戦23得点を含む公式戦で34得点を記録し、5つの主要タイトル獲得に貢献した。 2010年1月、クレーベル獲得の取引の一環としてブラジルのクルゼイロECへの移籍話が持ち上がった[4]が、これは最終的に頓挫した。7月下旬、ファリアスはクルゼイロに3年契約で加入[5]し、6月9日のSEパルメイラス戦で移籍後初得点を決め、3-2で勝利した。 2012年1月下旬、ファリアスはレンタルで母国に戻りCAインデペンディエンテに加入した。 代表U-20代表時代、ナイジェリアで開催された1999 FIFAワールドユース選手権に出場し、ベスト16までの間に3試合プレーした。 2005年9月3日、2006 FIFAワールドカップ・南米予選の0-1で敗れたアウェーパラグアイ戦にアルゼンチン代表に初招集され、唯一となるキャップを記録した。 個人成績
タイトルクラブ
個人
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia