キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(King George VI and Queen Elizabeth Stakes)とはイギリスのアスコット競馬場で開催される競馬の競走で、格付けは最高格のG1に位置付けられている。イギリス国内の平地競走としては、ダービー(150万ポンド)、チャンピオンステークス(130万ポンド)に次いで、125万ポンドを出す高額賞金競走(2018年現在)で、ヨーロッパを代表する中長距離の競走のひとつである。 夏に行われ、3歳と古馬の一流馬がクラシック距離(12ハロン=約2400メートル)で対戦する。中長距離の競走としては、凱旋門賞やダービーとならんでヨーロッパの最高峰のレースの1つとみなされている。 しばしば「KGVI & QES」とも略記される[注 1]。競走名は20世紀中盤のイギリス国王ジョージ6世とその王妃エリザベス・ボーズ=ライアン(エリザベス2世の両親)に由来している。 歴史競馬の発祥国であるイギリスでは伝統的に、サラブレッドの競走は年齢別に行われており、古い時代には3歳や4歳の馬は十分な成長を遂げていない若馬とみなされ、7歳や8歳になってようやく一人前と考えられてきた。しかし3歳馬による競走(ダービーなど)や2歳馬による競走が行われるようになって、7歳や8歳馬による4マイルや6マイルの長距離戦よりも、若い馬による2マイル(約3200メートル)や1マイル半(約2400メートル)の競走に人気が移ってきた。 3歳馬と古馬が対戦する大レースとしては、19世紀の終わりにエクリプスステークスが当時の最高賞金競走として創設されたが、初夏の若馬にも分があるように10ハロン(約2000メートル)で行われた。3歳の秋はセントレジャーを走り、そのあとはジョッキークラブステークスで1年を終え、翌年古馬になるとゴールドカップ・グッドウッドカップ・ドンカスターカップといった長距離のカップ戦を目指すのが一流馬の王道だった。 第二次世界大戦が終わって国際間の競馬が復活すると、イギリスではアスコット競馬場が1946年の9月にキングジョージ6世ステークスを創設し、ヨーロッパの一流3歳馬を集めて2マイル(約3200メートル)の距離を争った。このレースには、この年のイギリス、アイルランドのダービー馬やフランスのパリ大賞典優勝馬が出走し、ヨーロッパ3歳チャンピオンを決めるに相応しいレースになった。しかしこのレースの日程は、フランスがヨーロッパ最大の競走を目論んで行っている凱旋門賞と1週の差しかなく、一流競走馬を奪い合って競合することになった[2]。 フランス側は、はじめはイギリス競馬界へキングジョージ6世ステークスの日程変更を申し入れたが断られ、1949年に凱旋門賞の賞金を当時世界最高額となる3000万フランに増やすことで対応した。アスコット競馬場ではこれに対抗できる賞金を出すことができないため、凱旋門賞と競合することを断念し、1951年からキングジョージ6世ステークスを9月から夏へ時期を変更し、1948年より毎年夏に行われていたクイーンエリザベスステークス(1マイル半≒2400メートル)と統合することにした[3]。 1951年は大英博覧会100周年の年で、国をあげて英国祭(en:Festival of Britain)が行われた。これにあわせて、キングジョージ6世ステークスとクイーンエリザベスステークスを統合した新レースは「フェスティヴァル・オブ・ブリテン・ステークス」と銘打ち、賞金を増やしてイギリス国内ではダービーに次ぐ2番めの高額賞金として行われた。凱旋門賞と競合しない国際大レースの創設はフランス競馬界からも歓迎され、前年の凱旋門賞優勝馬タンティエームを空輸で送り込んだ[注 2]。この「フェスティヴァル・オブ・ブリテン・ステークス」が、現在は第1回キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスとみなされており、翌1952年からは「第2回」キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスと名を変えて行われている[3][4][5][6]。 以来、イギリスの夏競馬を代表する高額大レースとして定着したが、1972年からはダイヤモンド会社のデビアスがスポンサーになった。そのため、エリザベス2世の承諾を得て、1975年からはレース名が「キングジョージ6世&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークス(King George VI and Queen Elizabeth Diamond Stakes)」と改称されている。デビアスは2006年を最後にスポンサーから撤退したため、2007年と2008年は「ダイヤモンド」がつかない「キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス」で行われた。2009年からはベットフェアー社(イギリスのインターネット・ブックメーカー会社)がスポンサーとなり、賞金を積増しして100万ポンドの大台に乗せた。賞金額では、チャンピオンステークスとイギリス国内2位の座を争っている[4]。 近年はチャンピオンステークスやブリティッシュ・チャンピオンズシリーズを中心にイギリス国内の競馬体系の再編が行われており、2014年からはカタール資本のQIPCO(Qatar Investment & Projects Development Holding Company)がスポンサーとなっている[4]。 沿革
できごと
前哨戦
歴代優勝馬2006年から2008年までの3年間は3歳馬が1頭も出走しなかった。2010年は当年の英国ダービー馬でのちに凱旋門賞も制するWorkforceが出走したが5着に敗れているが、2011年はNathanielが出走して勝利を飾っている。
日本調教馬の成績脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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