ジェフ・マシス
ジェフリー・スティーブン・マシス(Jeffrey Stephen "Jeff" Mathis, 1983年3月31日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ジャクソン郡マリアナ出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 経歴プロ入りとエンゼルス時代![]() (2011年7月22日) 2001年6月5日に行われたMLBドラフト1巡目追補(全体33位)でアナハイム・エンゼルス(当時)から指名され、プロ入り。同年、早速マイナーリーグで試合に出場。パイオニアリーグのルーキー級プロボ・エンゼルスで29試合に出場して打率.300を記録した。 2002年は、A級シーダーラピッズ・カーネルズで128試合に出場。打率.287、10本塁打、73打点を記録した。 2003年は、A+級ランチョクカモンガ・クエークスとAA級アーカンソー・トラベラーズの2球団合計で121試合に出場して打率.315、13本塁打はいずれも2002年の数字を上回り、打点も68打点を記録した。 2004年は年間通じてAA級アーカンソーに所属。前年よりも少ない117試合の出場で自己ベストの14本塁打を放ったが、打率は入団以来最低の.227に終わった。また、三振も自身初100三振以上を喫した。 2005年8月12日のシアトル・マリナーズ戦で、代打としてメジャーデビューを果たした。また、この年はマイナーリーグでも111試合に出場して自身初の20本塁打を記録するなど、パワーヒッターとしての一面も見せるようになっており、当時監督のマイク・ソーシアからも期待を寄せられていた[1]。 2006年は、23試合の出場で打率.145に終わったが、いずれもメジャーリーグ初の本塁打と打点(2本塁打、6打点)を記録し、経験を積んだ。同年はAAA級ソルトレイク・スティンガーズでも99試合に出場して打率.289、5本塁打、45打点という成績を残している。 2007年は7月にメジャーリーグに昇格し[2]、更に多くの試合に出場(59試合)。だが、それまでエンゼルスに在籍していたモリーナ兄弟(ベンジー・モリーナとホセ・モリーナ)の後釜として大きな期待を掛けられていたプレッシャーからか、マイナーリーグで残していたような成績を残す事は出来なかった[2]。同年残した成績は、打率.211、4本塁打、23打点という成績であり、マイナーリーグでも66試合で打率.244に終わっている。続く2008年は、正捕手のマイク・ナポリが肩痛で故障者リストに入った影響もあり[3]、自己ベストとなる94試合に出場。打撃面では打率.194、9本塁打、42打点と、打率が.200にさえ届かなかったが、守備面ではボールブロック技術やプレート周りの守備などでナポリよりも優れた守備力を発揮した[3]。数値的な面でも実際に、捕手防御率が3.66(ナポリは4.45)、盗塁阻止率21.9%(ナポリは14.8%)と、ナポリよりも優れた数値を示した[3]。一方で、悪送球が多過ぎるという課題も出てきた[3]。 2009年、2年連続でシーズンの半数に当たる81試合以上の試合に出場(84試合)。打撃面では、打率.211、5本塁打、28打点という数字を残したが、依然として打率は.220を超えない状態が続いた。一方、守備面ではジェレッド・ウィーバー、アービン・サンタナとバッテリーを組んだ際の相性が良く[4]、ナポリとバッテリーを組む事が多いジョー・ソーンダースもマシスと組んだ時の方が好投する傾向が見られるなど[4]、前年の評価に違わぬ結果を残した。また、プレーオフでは15打数8安打(打率.533)で二塁打5本を放ち、貧打の捕手というイメージを払拭した[4]。そのため2010年は、ウィーバーやサンタナが登板する試合を中心にスタメン出場する事が予想された[4]。期待されて臨んだ2010年は、開幕3試合目から打率.300を維持するなど[5]、守備のみならず打撃面でも数字を残していた。しかし、4月19日の試合でファウルチップを手首に当てて骨折、やむなく故障者リストに入る事になった[5]。復帰までは約3月を要し、復帰後も打撃・守備両面で低迷した[5]。特に守備面では盗塁阻止率の低下や、ボールブロック能力の低下による大量のワイルドピッチ誘発などの影響が見られた[5]。 2011年は正捕手のナポリが放出されたため、ハンク・コンガーと正捕手の座を争った[5]。 ブルージェイズ時代![]() (2012年4月24日) 2011年12月3日にブラッド・ミルズとのトレードで、トロント・ブルージェイズへ移籍した[6]。 2012年は主にJ・P・アレンシビアのバックアップを務めた。また、2試合でマウンドに上がった。8月14日に総額300万ドルの2年契約[7](2015年・150万ドルの球団オプション付き)を結んだ[8]。 マーリンズ時代![]() (2015年6月18日) 2012年11月19日にジョシュ・ジョンソン、マーク・バーリー、ジョン・バック、エミリオ・ボニファシオ、ホセ・レイエスとのトレードで、ユネル・エスコバー、アデイニー・エチェバリア、ヘンダーソン・アルバレス、ジャスティン・ニコリーノ、アンソニー・デスクラファニー、ジェイク・マリスニックと共にマイアミ・マーリンズへ移籍した[9]。 2013年は、正捕手ではないが、チームの捕手陣では中心格の存在として73試合に出場。バッティング面では、相変わらずの低打率.181だったが、5本塁打、自己2位の29打点を記録した。守備面では1失策、守備率.998、DRS+5というハイレベルな成績を残した。 2014年は64試合に出場し、打率.200、2本塁打、12打点を記録。守備は失策・守備率・DRS全てで前年と同等の値を記録した。オフの10月31日にマーリンズが150万ドルの球団オプションを行使した[10]。 2015年は出番が大幅に減少し、ここ9シーズンでは自己最少の32試合の出場に留まった。打率は.100台に逆戻りして.161だったが、本塁打と打点は前年と同数だった。オフの11月2日にFAとなったが、12月19日にマーリンズと1年150万ドルで再契約を結んだ[11]。 2016年もJ.T.リアルミュートの控え捕手という立場で41試合の出場に留まった。オフの11月3日にFAとなった[12]。 ダイヤモンドバックス時代![]() (2018年8月11日) 2016年12月5日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと2年総額400万ドルで契約を結んだ[13]。 2018年7月9日のサンディエゴ・パドレス戦では、先発で出場しながらも、同点で迎えた延長16回からは投手として登板した。しかしエリック・ホズマーに勝ち越しの本塁打を浴び、敗戦投手となってしまった[14]。同年は63試合でマスクを被ったが、フィールディング・バイブル・アワードに選出された。レギュラーシーズン終了後の10月18日にFAとなった[12]。 レンジャーズ時代2018年11月16日にテキサス・レンジャーズと2年契約を結んだ[15]。 ブレーブス時代2021年2月にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んで[17]スプリングトレーニングに参加していたが、3月24日に自由契約となった[18]。 その後、3月30日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[19]。5月2日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[20]。5月19日にDFAとなり[21]、翌20日にマイナー契約で傘下のAAA級グウィネット・ストライパーズへ配属された[22]。マイナーリーグに回されてからは試合に出場することなく、シーズン終了後にフリーエージェントとなった[23]。この年限りで現役を引退した。 選手としての特徴打撃においては通算打率、通算出塁率、通算OPS+などの指標でメジャーリーグ歴代ワーストランキングの上位に顔を出している[24][25][26][17]。例えば通算打率(.194、2020年シーズン終了時点)は、通算3000打席以上のメジャーリーグ選手の中ではビル・バーゲン(.170)に次いで史上2番目に低い[17]。こうしたことから「史上最低の打者の一人」("one of the worst hitters of all time" [24], "one of the worst hitters in baseball history" [26])、「歴史的にひどい打者」("historically awful hitter" [25])などと評されている。 守備においては、フレーミングやショートバウンドした投球のブロックが巧みである[25][26]。またリード("game-calling")、つまり配球の面で所属チームの投手やコーチから特に高い評価を得ている[25][26][27]。ただし現状では、捕手のリード力の巧拙を客観的に評価できる統計的指標が存在しない[26]。マシスの捕手防御率は同じチームの他の捕手よりも優れている[26][27]ものの、セイバーメトリクスで捕手防御率は捕手のリードを評価するための信頼性の高い指標と見なされていない[26]。こうしたことからマシスは、「統計では真価を判断できない選手」("the ballplayer who cannot be judged by statistical evaluation" [27])であるとも評される。 詳細成績年度別打撃成績
年度別投手成績
年度別守備成績
受賞歴
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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