ダニエル・アルトマイアー
ダニエル・アルトマイアー (Daniel Altmaier, ドイツ語発音: [ˈdaː.njɛl ˈalt.ˌmaɪ̯.ɐ]; 1998年9月12日 - ) は、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州ケンペン出身の男子プロテニス選手。身長191cm、体重88kg。右利き、バックハンドは片手打ち。ATPランキング自己最高位はシングルス47位、ダブルス300位。 選手経歴ジュニア時代両親に薦められ、7歳からテニスを始める。2014年の実科学校卒業後にプロへ転向。以後、2020年まで主にITFフューチャーズとATPチャレンジャーツアーを回っている[1]。 2017年 ATPツアー参戦2017年5月のジュネーヴ・オープンのシングルスで、予選を勝ち抜きツアー本戦デビュー。1回戦でサム・クエリーに0-2で敗れた。同年6月のアンタルヤ・オープンでも予選決勝で敗れたものの、ラッキールーザーで本戦入りし、本戦1回戦でビクトル・エストレーリャ・ブルゴスに2-1で下し、ツアー初勝利。更に2回戦もマルセル・イルハンを2-1で下したが、準々決勝で杉田祐一に0-2で敗れた。アルトマイアーはこの準々決勝で肩を痛め、7月~10月の3ヶ月間ツアーを離脱した。年間最終ランキングは275位。 2018年 怪我による離脱2018年3月、カタールでのフューチャーズで腰を痛めて以降2018年は全休となった[2]。年間最終ランキングは370位。 2019年 復帰 トップ300復帰2019年1月のダナン・チャレンジャーで復帰するも、初戦敗退となった。だが、5月のエジプトでのフューチャーズでは準優勝となった。今季、フューチャーズ大会で4回もの優勝を果たし、通算フューチャーズ9勝目を達成した。年間最終ランキングは279位。 2020年 グランドスラム4回戦進出2019年からフューチャーズやATPチャレンジャーツアーでの活躍で2020年9月にシングルス世界183位となり、全仏オープンでグランドスラムで初めて予選入りをして、予選1回戦でタロン・フリークスポールを6-1, 6-3、予選2回戦で守屋宏紀を6-1, 6-2のともにストレートで破り、予選3回戦でリュベン・ベーメルマンスを6-3, 1-6, 6-3の下して本戦初出場を果たす。本戦1回戦ではフェリシアーノ・ロペスを7-6(1), 6-4, 6-4のストレートで勝利してグランドスラム初勝利を挙げた。さらに快進撃は続き、2回戦では第30シードのヤン=レナルト・シュトルフを6-3, 7-6(4), 6-3のストレートで、[3]、3回戦で第7シードかつ世界8位のマッテオ・ベレッティーニを6-2, 7-6(5), 6-4のストレートで下し、グランドスラム4回戦進出を果たした。4回戦では第17シードのパブロ・カレーニョ・ブスタに2-6, 5-7, 2-6のストレートで敗れた。年間最終ランキングは130位。 2021年 トップ100入り10月のBNPパリバ・オープンではATPマスターズ1000において初出場を果たし、1回戦ではサム・クエリーを6-2, 6-4のストレートで勝利し、大会初勝利を挙げた。2回戦ではグリゴール・ディミトロフに4-6, 2-6のストレートで敗れた。さらに11月15日にはATPチャレンジャーツアー大会を制して、トップ100入りを果たした。今季は通算チャレンジャー6勝目を挙げた。年間最終ランキングは84位。 2022年 トップ60入り![]() 全豪オープンとウィンブルドン選手権の本戦に初出場を果たし、さらに全米オープンでは第11シードのヤニック・シナーに7-5, 2-6, 1-6, 6-3, 1-6のフルセットの末に敗れたものの、トップ選手相手に激闘を演じ、全グランドスラム本戦出場を果たした。その他にも、今季はATPツアーに本戦から出場したことでトップ60入りをして、ランキングを上昇させた。年間最終ランキングは94位。 2023年 トップ50入り![]() 1月、全豪オープンでは第16シードのフランシス・ティアフォーに3-6, 3-6, 7-6(5), 6-7(6)で敗れ、初戦敗退。 2月、ダラス・オープンでは初戦を突破するも、2回戦ではジョン・イズナーに敗れた。デルレイビーチ・オープンではアドリアン・マナリノに6-4, 3-6, 4-6で初戦敗退。 3月、メキシコ・オープンではブランドン・ナカシマに3-6, 6-3, 1-6で敗退。マイアミ・オープンでは予選わ通過するも、イリヤ・イヴァシュカに2-6, 1-6のストレートで敗れ、初戦敗退となった。 4月、サラソタ・オープンでは決勝でダニエル・ガランを7-6(1), 6-1のストレートで下して、チャレンジャー7勝目を挙げた。 5月、マドリード・オープンでは予選敗退ふるも、ラッキールーザーとして本選出場し、快進撃を見せる。1回戦ではオスカー・オッテを6-4, 7-5、2回戦ではヤニック・ハンフマンを7-6(3), 6-3のストレートで同胞たちを下し、3回戦ではハウメ・ムナルを6-3, 6-0のストレートで破り、ATPマスターズ1000ベスト8進出を果たした。準々決勝ではボルナ・コリッチに3-6, 3-6のストレートで敗退。ローマ・マスターズでは予選を突破して、初戦を突破する。 6月、全仏オープンでは2回戦で第8シードのヤニック・シナーを6-7(0), 7-6(7), 1-6, 7-6(4), 7-5のフルセットの接戦の末に下す大金星を挙げる。3回戦では第28シードのグリゴール・ディミトロフに4-6, 3-6, 1-6のストレートで敗退。 7月、ウィンブルドンではアレクサンダル・ブキッチに3-6, 6-7(1), 6-3, 5-7で敗れ、初戦敗退となった。ドイツ国際オープンではベスト8進出。準々決勝ではジャン・ジジェンに4-6, 4-6のストレートで敗退。 8月、オーストリア・オープンではヒュースラーを下すも、2回戦ではダニエル・ガランに敗れた。ウエスタン・アンド・サザン・オープンでは予選敗退するも、ラッキールーザーとして本選出場となる。1回戦ではアレクセイ・ポピリンに初戦敗退。 9月、全米オープンでは1回戦でコンスタン・レスティエンヌを6-7(5), 6-3, 6-1, 6-2の逆転で破り、大会初勝利を挙げた。2回戦では第12シードの同胞アレクサンダー・ズベレフに6-7(1), 6-3, 4-6, 3-6で敗れたが、大会後にはトップ50入りを果たした。 ![]() 10月、上海マスターズでは西岡良仁に、ジャパン・オープンではトミー・ポールに、エルステ・バンク・オープンではガエル・モンフィスに3大会連続で本戦出場となるも、初戦敗退となった。 11月、パリ・マスターズでは1回戦でアルトゥール・フィスを6-2, 6-4のストレートで下し、2回戦ではテイラー・フリッツの不戦勝により、マスターズ1000において3回戦進出を果たした。3回戦ではホルガ・ルーネに3-6, 3-6のストレートで敗れた。年間最終ランキングは56位。 2024年 デビス杯ベスト4マドリード・オープンでは1回戦でマルティン・ランダルーセを6-1, 7-5のストレートで下して、2回戦でアルトゥール・フィスを6-2, 6-3のストレートで破り、2年連続3回戦進出を果たした。3回戦ではホベルト・ホルカシュに4-6, 6-7(2)のストレートで敗れた。全仏オープンでは1回戦でラスロ・ジェレを5-7, 4-6, 7-6(8), 7-5, 7-6(6)の2セットダウンの逆転のフルセットで破り、初戦を突破するも、2回戦では第9シードのステファノス・チチパスに3-6, 2-6, 7-6(2), 4-6で敗れた。ウィンブルドン選手権では1回戦でアーサー・フェリーを4-6, 7-6(6), 1-6, 6-3, 6-1のフルセットで下して、ウィンブルドン初勝利を挙げた。2回戦ではデニス・シャポバロフに6-7(3), 3-6, 6-1, 7-6(3), 4-6のフルセットで敗れた。全米オープンでは1回戦でマリアーノ・ナヴォーネに6-1, 2-6, 4-6, 1-6で初戦敗退となった。年間最終ランキングは87位。 11月の2024年デビスカップではカナダ代表のガブリエル・ディアロとの第1試合を7-6(5), 6-4のストレートで破り、ドイツ代表の準決勝進出に貢献した。準決勝ではデビスカップオランダ代表と対決することとなり、第1試合のボーティック・ファン・デ・ザンスフルプ戦では4-6, 7-6(14), 3-6で敗れ、チームは決勝進出を逃し、ベスト4で幕を閉じた。 2025年 グランドスラム4回戦進出全豪オープンでは1回戦でフランシスコ・コメサーニャを6-2, 3-6, 7-6(4), 4-6, 6-4のフルセットの末に大会初勝利を挙げた。2回戦ではガエル・モンフィスに5-7, 3-6, 6-7(3)のストレートで敗れた。全仏オープンでは1回戦で第4シードのテイラー・フリッツを7-5, 3-6, 6-3, 6-1で破る金星を挙げ、2020年以来となる5年ぶりの4回戦進出を果たした。4回戦では第15シードのフランシス・ティアフォーを3-6, 4-6, 6-7(4)のストレートで敗れた。 人物ドイツ語の他、英語、ロシア語が話せる。好きなサーフェスはハードコート、ショットはバックハンド、大会はウィンブルドン選手権。憧れの選手はロジャー・フェデラーとスタン・ワウリンカ。釣りが趣味。レアル・マドリードとヘルタ・ベルリンのファン[1]。 ATPツアー決勝進出結果シングルス: 0回 (0勝0敗)
成績大会最高成績
ATPチャレンジャー・ITFフューチャーズ決勝シングルス: 18戦9勝
ダブルス: 11戦6勝
脚注
外部リンク
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