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デイヴィダス・スタグニウナス Deividas Stagniunas |
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生誕 |
(1985-04-28) 1985年4月28日(40歳) ソビエト連邦 カウナス |
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身長 |
182 cm |
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選手情報 |
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所属クラブ |
Baltu Ainiai |
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引退 |
2014年5月2日 |
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ISUパーソナルベストスコア |
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デイヴィダス・スタグニウナス(リトアニア語: Deividas Stagniūnas, 1985年4月28日 - )は、ソビエト連邦リトアニア共和国カウナス出身の男性元フィギュアスケート(アイスダンス)選手。パートナーはキャサリン・コペリー、イザベラ・トバイアスなど。
2014年ソチオリンピックリトアニア代表。
経歴
ソビエト連邦リトアニア共和国カウナスに生まれ、5歳のころにスケートを始めた。ジュニア時代にはアメリカ出身のケーラ・ニコル・フレイとカップルを結成し、2004-2005シーズンよりジュニアグランプリシリーズに参戦。2005年世界ジュニア選手権にも出場したが、ともに表彰台に上ることはなかった。
2006年、同じくアメリカ出身のキャサリン・コペリーと新たにカップルを結成、同年のゴールデンスピンでは3位となり、欧州選手権および世界選手権にも出場するなど躍進する。2007-2008シーズンからはグランプリシリーズにも参戦を果たし、欧州選手権では前年よりも大きく順位を上げ12位となった。
2009年3月の世界選手権の成績によってリトアニアのバンクーバーオリンピック出場枠を獲得したが、2009年10月、パートナーのコペリーが希望していたリトアニア国籍取得について憲法裁判所は不可能であるとの認識を示し、当該国の国籍が必要になるオリンピックにコペリーとのカップルでの出場は不可能となった。これ以降にエントリーしていた競技会はコペリーの怪我を理由に出場を取りやめた。またシーズン終了後にはコペリーが競技引退し[1]カップルを解散した。
2010年にイザベラ・トバイアスとカップルを結成、国際競技会2戦目となったNRW杯で表彰台に立つ。
2011年スケートアメリカで3位となり、自身初のISU主催の国際大会では初のメダルを獲得。2012年6月にはイーゴリ・シュピリバンドに付いて、練習拠点を移した[2]。2012年スケートアメリカは負傷の影響で欠場。パートナーのトバイアスが2013年1月、リトアニアの国籍取得を目指していたが、リトアニア大統領のダリア・グリバウスカイテによりその可能性を否定された[3]。
2013年12月、トバイアスにリトアニアの市民権の付与が決定した[4]。ソチオリンピックでは17位、世界選手権では15位に入った。トバイアスがイリヤ・トカチェンコのトライアウトを行ったとの報道がある中、沈黙を貫いていたが5月2日に、怪我による競技からの引退を発表した[5]。
主な戦績
詳細
プログラム使用曲
脚注
- ^ http://www.ice-dance.com/copely-stagniunas/web/news.htm
- ^ Lithuanians Tobias, Stagniunas follow Shpilband
- ^ Lithuanian president refuses citizenship to ice skater Isabella Tobias
- ^ Ledo šokėja Isabella Tobias jai Lietuvos pilietybę suteikusiai prezidentei pažadėjo: „Aš nenuvilsiu Lietuvos“
- ^ Lietuvos ledo pasaka baigėsi: Isabella Tobias čiuožia su rusu, o Deividas Stagniūnas baigia sportininko karjerą
- ^ バンクーバーオリンピック最終予選。国際スケート連盟主催。
参考文献
外部リンク