ファーストアイランド
ファーストアイランド(英: First Island[1])とは、アイルランド生産・イギリス調教の競走馬である。主な勝ち鞍は、1996年プリンスオブウェールズステークス(G2)、サセックスステークス、香港国際カップ(G2)、1997年のロッキンジーステークス。 戦績2歳時(1994年)8月26日にニューマーケット競馬場で行われた未勝利戦でデビューするも9着に敗れ、この一戦のみで2歳シーズンを終えた[2]。 3歳時(1995年)5月23日にグッドウッド競馬場で行われた未勝利戦で勝利する[3]と続く一般競走も連勝し[4]、初重賞のG3ジャージーステークスに挑むも3着に敗れる。その後は条件戦やリステッド競走に4度出走するも勝利を挙げるこはできず、3歳シーズンを終えた。 4歳時(1996年)3月21日にドンカスター競馬場で行われたリステッド競走で勝利を収めた[5]ものの、続くG3アールオブセフトンステークスを3着、G2サンダウンマイルを5着に敗れる。しかし、次走のヨーク競馬場で行われたリステッド競走を勝利すると[6]、続くG2プリンスオブウェールズステークスでは1番人気のピルサドスキーを最後の直線で競り落とすとそのまま後続勢を1馬身差で抑えて勝利、初の重賞制覇を飾った[7]。次走はG1サセックスステークスに出走。直線では狭いスペースを突いて先頭を捕らえると、最後は2着に1馬身差をつけて優勝、初のG1タイトルを獲得した[8]。続くインターナショナルステークスでも2着に入って健闘。次走のクイーンエリザベス2世ステークスではマークオブエスティームとボスラシャムに次ぐ3着に入った。続くチャンピオンステークスは5着に凡走したものの、香港に遠征して挑んだ年末の香港国際カップでは、2着のニュ―ジーランド調教馬シ―スカイに4分の3馬身差をつけて優勝、欧州馬として初めて同レースを制した[9]。2008年に引退したジェフ・ラッグ調教師は、香港でのファーストアイランドの勝利を「非常に特別な日」だったと述懐した[10]。 5歳時(1997年)4月25日に行われたG2サンダウンマイルでは2着に敗れたものの、次走のロッキンジステークスではスピニングワールドに続く2番人気に支持され、レースではアリロイヤルに1馬身半差をつけて優勝[11]。前年のサセックスステークスに続いてG1 2勝目を挙げた。しかし、次走のロイヤルアスコット開催に向けてトレーニングを積んでいた最中の6月5日、右脚に螺旋骨折を負っていたことが判明した[12]。この怪我により競走馬としてのキャリアは断たれた。種牡馬としてのキャリアをスタートさせるべく、患部への手術が施されたがその後に疝痛を発症、6月中旬頃に安楽死の処置が施された[13]。ファーストアイランドの記念碑は、ニューマーケット競馬場のアビントンプレイスの芝生中央に設置された[14]。 脚注
外部リンク
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