フェノーメノ
フェノーメノ(欧字名:Fenomeno、2009年4月20日 - )は、日本の競走馬・種牡馬[1]。 2013年、2014年と天皇賞(春)(GI)の連覇を果たした。その他の勝ち鞍に2012年の青葉賞(GII)、セントライト記念(GII)、2013年の日経賞(GII)。漆黒の怪物と呼ばれた[8]。 馬名の意味はポルトガル語で超常現象、怪物[2]。ニックネームは「マメチン」[9] 経歴2011年10月30日の東京の新馬戦芝2000m戦。先行抜け出してデビュー戦を飾った。次のホープフルステークスは1番人気に推されるも直線伸びきれずに7着に敗れる。
2012年1月29日の東京の500万下を先行抜け出して2勝目をあげる。しかし皐月賞トライアルの弥生賞は6着に敗れて皐月賞出走はならなかった。そしてダービートライアルの青葉賞は1番人気に応えて3勝目を飾った。そして迎えた東京優駿は最後の直線追い込むもディープブリランテにハナ差及ばず2着に惜敗した。 夏場は休養に当て、秋緒戦として9月17日のセントライト記念に出走。レースは1番人気に応えてスカイディグニティに1馬身差をつけての勝利となった。菊花賞を回避して天皇賞(秋)を目指すこととなった。天皇賞(秋)は1番人気に推されたが、最後は内から抜け出したエイシンフラッシュに詰め寄ったものの、1/2馬身及ばず2着に敗れた。ジャパンカップは5着だった。
2013年4ヶ月の休み明けだった日経賞は最後の直線で先に抜け出したカポーティスターを差しきって重賞3勝目を飾った。その後、3200mの天皇賞(春)に挑戦、2番人気に推された。レースでは道中7番手で中団につけ、3コーナーから徐々に位置取りを前に詰め、4コーナーから直線入り口で先頭に立つと、2番手以降の追走を許さずそのまま押し切って勝利、初のGI制覇となった。この勝利により、サンデーレーシングは八大競走完全制覇を達成した。しかし宝塚記念は道中ライバルのゴールドシップやジェンティルドンナよりも後方の競馬となり、直線追い込むもライバル2頭や先行したダノンバラードの後塵を拝し、4着に敗れた。 宝塚記念の後、秋緒戦として10月27日の天皇賞(秋)に出走する構想であったが、10月1日の調教後に左前脚の違和感が判明、診療所での検査の結果、左前脚繋靱帯炎を発症していることが判明したため、出走ローテーションを白紙に戻して茨城県のムラセファームに放牧に出されて休養に入ることとなった[10]。
2014年日経賞(5着)を叩いて迎えた天皇賞(春)は人気のキズナとゴールドシップが後方からとなり、フェノーメノはそれよりも前での競馬となり、道中は内に位置をとり、最後の直線で抜け出すとウインバリアシオンやホッコーブレーヴ、キズナの追撃を振り切り、メジロマックイーン、テイエムオペラオーに次いで史上3頭目の天皇賞(春)連覇を果たした[11][12]。その後は秋に専念するため宝塚記念を回避し休養に入った[13]。 秋は天皇賞(秋)から始動。天皇賞春秋連覇を狙ったが、レース前に激しいイレ込みを見せ、終始後方のまま14着に敗れた[14]。 次走のジャパンCでは主戦騎手の蛯名正義がイスラボニータへ騎乗することからクリストフ・ルメールと初コンビを組む予定だったが、[15]予定していたルメールが落馬負傷したため、[16]岩田康誠を鞍上にジャパンカップへと挑むこととなった。[17] 単勝は9番人気と3番人気だった前走の天皇賞秋よりも人気を落とした。道中後方のまま直線伸びてこなくなり8着に終わった。 秋三戦目となる有馬記念では既に岩田騎手がゴールドシップに騎乗することが発表されていたため、[18]新たに鞍上に田辺裕信を迎えて挑むこととなった。[19]この年に行われた有馬記念の枠順抽選では9番目の抽選で10番目の枠順を選択した。[20]レースは10着に終わり、秋の三戦をすべて着外で終えた。
2015年日経賞(8着)から天皇賞(春)3連覇を目指していたが、右前脚の炎症により天皇賞を回避[21]。後日検査を行った結果、右前脚に繋靱帯炎、左前脚に重度の屈腱炎を発症していることが判明し引退が決定[22]。5月28日付けで競走馬登録を抹消された。引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬になる[23]。 競走成績
引退後引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となった。 2018年12月、社台スタリオンステーションからレックススタッドに移動した[24]。 2021年をもって種牡馬を引退、種牡馬引退後は生まれ故郷の追分ファームで功労馬として余生を送る[25]。 その後去勢され、2022年8月に追分ファームにてリードホースとしてデビュー、生活している[26]。 主な産駒
血統表
脚注
参考文献外部リンク
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