ベルト・ファン・マルワイク
ベルト・ファン・マルヴァイク(ファン・マルバイク、ファン・マルウェイクなどとも、Bert van Marwijk、1952年5月19日 - )は、オランダ東部のデーフェンテル出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。娘婿は元オランダ代表のマルク・ファン・ボメルである。 経歴1969年、ゴー・アヘッド・イーグルスでプロデビュー。ミッドフィルダーとして活躍し、オランダ国内のクラブを転々とした。1975年にはユーゴスラビア代表との親善試合に出場し、代表キャップ1試合を記録した。 MVVマーストリヒトに所属していた1982年、現役の選手でありながら同チームのユースチームコーチを任され、指導者としての道を歩み始める。1986年にフォルトゥナ・シッタートに移籍後、現役を続けながらアマチュアクラブSVメールセンのユースチームの監督を兼任した。監督業に専念するため1988年に引退、国内外のアマチュアクラブの監督として3チームを渡り歩いた。 1997年にはフォルトゥナ・シッタートの監督に就任。マルク・ファン・ボメル、ヴィルフレート・ボウマ、ケヴィン・ホフラントといった後のオランダ代表選手を育て上げると、1999年にKNVBカップで決勝までチームを率いた手腕が評価され、翌2000年にフェイエノールトの監督に就任。国内リーグを制することはできなかったが、2002年に小野伸二、ヨン・ダール・トマソン、ピエール・ファン・ホーイドンクらを率いてUEFAカップを制した。 2004年、ボルシア・ドルトムントの監督に就任したが2006年シーズン半ばで辞任。翌年から再びフェイエノールトの監督を務め、KNVBカップを制覇。2008年8月よりマルコ・ファン・バステンの後任として、オランダ代表の監督に就任。 2010年のFIFAワールドカップで準優勝に導く。しかし2012年のUEFA欧州選手権ではグループリーグを3戦全敗に終わり、契約期間が2016年まで残っていたが、この責任を取り6月27日に辞任した[1]。 2013年9月、ハンブルガーSVの監督に就任[2]。しかし順位が降格圏に突入するなど成績不振のために2014年2月15日に解任された[3]。 2015年8月25日、サウジアラビア代表監督に就任。2006年以来のワールドカップ本大会出場を決めたが、マルク・ファン・ボメルやアドリー・コスターといった契約が終了したテクニカル・スタッフが解任され、自身も本大会に向けての契約延長交渉の中で「月に23日間国内に留まり、国外に出る場合は許可を得なければならない」という条件を出されたことで、延長を拒否し即退任を決めた[4]。 2018年1月24日、サッカーオーストラリア代表の監督に就任した。 2018年7月14日、サッカーオーストラリア代表の監督を退任した。 2019年3月20日、サッカーアラブ首長国連邦代表の監督に就任した。 2022年6月28日、古巣のクラブMVVマーストリヒトのコーチングアドヴァイザーに就任[5]。 エピソード2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会の抽選会場で、同じグループEになった日本代表の岡田武史監督と会話した際、本人に向かって「ところで日本の監督ってだれなの?」と発言した[5]。また、同大会の試合前に岡田が握手を求めたのに対し、握手には応じたが憮然とした態度でオランダ語で「お前は面倒な奴だ」と言い放ちその場を去ったと報道された。この行為に対し中国で「アジア人を見下している」などの非難が相次いだ。のちにファン・マルワイクは「握手は(わずか)2、3秒で、岡田監督がそこにいたとは思わなかった。岡田監督を見下しているわけではない。私はどんな人にも敬意を持っている」と釈明した[6]。 代表歴試合数
監督成績
脚注
外部リンク
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