ホセ・デル・ソラール
ホセ・ギジェルモ・デル・ソラール・アルバレス=カルデロン(José Guillermo del Solar Alvarez-Calderón, 1967年11月28日 - )は、ペルー・リマ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元ペルー代表監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー(守備的ミッドフィールダー)。 経歴選手クラブウニベルシタリオ・デポルテスの下部組織出身であるが、選手として成長するためにCDサン・アグスティンにレンタル移籍し、1986年にサン・アグスティンからプロデビューした。同年末、アリアンサ・リマを破ってプリメーラ・ディビシオン優勝を果たした。 1992年から1998年はリーガ・エスパニョーラでプレーした。1992年にチリのウニベルシダ・カトリカからCDテネリフェに移籍し、アルゼンチン人のフェルナンド・レドンドと中盤センターでコンビを組んだ。チームメイトには同じペルー人のペルシー・オリバレスなどもおり、テネリフェは国内リーグ戦最終節でレアル・マドリードを破る快挙を成し遂げた。ソラール自身は30試合に出場して1得点し、クラブ史上初めてUEFAカップ出場権を獲得した。1993-94シーズンも劇的なシナリオが演出されたシーズンとなったが、ソラール自身の出場機会は減少した。1995年にUDサラマンカに移籍したが、サラマンカはシーズン終了後にセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。これにともない、1996年にセルタ・デ・ビーゴ、1997年にバレンシアCFに移籍したが、いずれもクラブでも出場機会は限られた。1998年にはトルコ・スュペルリグのベシクタシュJKに移籍し、古巣ウニベルシタリオ・デポルテスを挟み、2000年にはベルギー・ジュピラー・リーグのKVメヘレンに移籍した。2001年に再びウニベルシタリオ・デポルテスに復帰し、34歳となった翌年に現役引退した。最後の公式戦は2002年7月7日に行われたアリアンサ・リマとのローカル・ダービー (0-0) であった。 代表1986年1月28日の中国戦 (1-3) でペルー代表デビューし、1989年8月20日、1990 FIFAワールドカップ・南米予選のボリビア戦で初得点を挙げた。34歳になる20日前の2001年11月8日、アルゼンチン戦 (0-2) が代表でのラストゲームとなった。通算74試合に出場して9得点を挙げているが、得点はいずれも公式戦で記録したものである。コパ・アメリカには6回出場し、コパ・アメリカ1991では2得点、コパ・アメリカ1993では3得点、コパ・アメリカ2001では1得点した。エクアドルで開催されたコパ・アメリカ1993では準々決勝に進出した。 指導者2005年、かつてテネリフェでチームメイトだったフアン・アントニオ・ピッツィ監督の補助としてCAコロンの監督に就任したが、就任後3連敗を喫して両者は解任された。2005年にはスポルティング・クリスタルの監督に就任し、プリメーラ・ディビシオンで優勝した。2007年にはウニベルシダ・カトリカの監督に就任し、アペルトゥーラ2007ではCSDコロコロに次ぐ2位となった。2007年8月3日、フリオ・セサル・ウリベ監督の後任としてペルー代表監督に就任した。2010 FIFAワールドカップ・南米予選に挑んだが、わずか2勝で10ヶ国中最下位に終わり、2009年12月に退任した。 個人成績代表での得点
タイトル選手時代
指導者時代
指導者成績
脚注外部リンク
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