サッカー中華人民共和国代表
サッカー中華人民共和国代表(サッカーちゅうかじんみんきょうわこくだいひょう)は、中国サッカー協会(CFA)によって構成される、中華人民共和国のサッカーのナショナルチームである。 アジアサッカー連盟(AFC)および東アジアサッカー連盟(EAFF)に所属。ホームスタジアムは首都・北京にある北京工人体育場。 概要FIFAワールドカップ本大会への出場は2002年日韓大会の1度である。AFCアジアカップにおいては2度の準優勝を果たしており、EAFF E-1サッカー選手権(旧・東アジアカップ)では、2度の優勝歴がある。
現行の算出方式に変更された1999年1月以降の順位。 歴史黎明期1913年に創設された極東選手権の第1回大会に参加し、フィリピン戦で初の国際試合を経験した。なお、極東選手権競技大会では10大会中9大会で優勝を果たした。FIFAワールドカップには1958年スウェーデン大会で初めて予選に参加したが、インドネシアに敗北。その後政治的混乱などの理由で1978年アルゼンチン大会まで不参加であり、1982年スペイン大会から再び予選に参加した。 1982年大会のアジア・オセアニア予選では、1次予選で日本や北朝鮮を下した。最終予選でニュージーランドと勝ち点・得失点差で同率2位となり、プレーオフで同国と対戦したものの1-2で敗れた。 1986年メキシコ大会のアジア予選ではホームの最終戦で香港に敗れ、1次予選で敗退した。1984年にはアジアカップに初出場で準優勝、世界王者・アルゼンチンに勝利するなど期待されていたが、格下に対するまさかの敗戦で、サポーターによる暴動が発生した(519事件)。 1990年イタリア大会のアジア予選では、最終予選に進出したものの、カタール戦とアラブ首長国連邦戦で共に1-0から残り数分で逆転負けするなど4位に終わり予選敗退。1994年アメリカ大会のアジア予選では1次予選グループA2位で予選敗退。1998年フランス大会のアジア予選でも最終予選に進出したが、グループA3位で予選敗退。このように、ワールドカップ出場権を逃す状況が続いた。 初のW杯出場2000年にレバノンで開催されたAFCアジアカップ2000では歴代最高タイとなる4位となった。2002年W杯日韓大会のアジア予選では、開催国として日本と韓国が予選を免除され、当面のライバルは中東に絞られることになった。アジア最終予選のグループ分けではサウジアラビア、イラン、イラクなどが全てグループAへと回り、中国はUAE、ウズベキスタン、オマーン、カタールなどと同じグループBとなった。そしてボラ・ミルティノビッチに率いられた中国代表は、アジア最終予選グループBを6勝1分1敗のトップで通過し、初の本大会出場権を獲得した。本大会では1次リーグ・グループCに入り、ブラジル、コスタリカ、トルコと対戦したが、3戦無得点で全敗しグループ最下位で敗退となった。 その後、自国開催となったAFCアジアカップ2004で準優勝した。しかし、2006年ドイツW杯のアジア予選では1次予選でクウェートに総得点でわずかに及ばず敗退となった[注 1]。予選敗退後は2008年の北京オリンピックに照準を合わせ世代交代を進め、2005年の東アジア選手権では優勝した。 2010年代2010年南アフリカW杯・アジア予選は、3次予選でオーストラリア、イラク、カタールと同じ組となった結果、最下位で姿を消した。厳しい組み合わせだった点もさることながら、途中から監督ペトロヴィッチの上に、2008年北京五輪を目指すU-23代表のドゥイコビッチが総監督として就任。自国開催の北京五輪を重視するために、フル代表が年代別代表に管掌するという前代未聞の体制となった。指揮系統も混乱し、成績不振でペトロヴィッチは解任。ドゥイコビッチも結局北京五輪前に解任され、北京五輪も1分2敗で1勝もできず敗退した。 韓国に対しては恐韓症とも称される程苦手意識を持っていたが、2010年の東アジア選手権で初対戦から32年、28試合目にして3-0で初勝利した[3]。 AFCアジアカップカタール2011では初戦でクウェートを2-0で下す好スタートを切るも[4]、1勝1分1敗ながらグループ3位で2大会連続の1次リーグ敗退という結果に終わった[5]。2014年ブラジルW杯・アジア予選も3次予選グループA3位で敗退した。2015年アジアカップ豪州大会は予選で苦しめられ、各組3位の最上位での出場権獲得と間一髪だった。本大会ではグループリーグを3戦全勝し3大会ぶりにベスト8に進出したが、準々決勝でオーストラリアに0-2で敗れた。 EAFF E-1サッカー選手権2017では初戦で恐韓症とも称される韓国と対戦。前半9分に韋世豪のゴールで先制するも、直後に逆転を許したことが響き、76分にユー・ダーバオのゴールで追いつくも2-2で引き分け。第2戦の日本戦はスコアレスで粘りを見せていたが、試合終盤に2点を奪われるなどして1-2で惜敗した。最終戦の北朝鮮戦も28分に先制するも、試合終盤の81分にセットプレーから失点して1-1で引き分けとなり、未勝利で大会を終えることとなった。 2018年ロシアW杯・アジア予選では、本大会に出場した2002年大会以来4大会ぶりに最終予選まで進出した。グループA5位で予選敗退となったものの、第6節で韓国をホームで1-0で破った。なお、中国は最終予選は4節終了時点で勝ち点1しかない状況だったが、2006年ドイツ大会でイタリアを優勝に導いたマルチェロ・リッピが監督に就任してから残りの6試合は、前述の韓国撃破など3勝2分1敗と好調だった。この躍進もあり、2017年10月に発表されたFIFAランキングでは、1993年の開始以来初めて韓国を上回った(中国57位、韓国62位)[6]。 EAFF E-1サッカー選手権2019では初戦の日本戦は29分、70分に失点を喫し、90分にドン・シュエシェンのゴールで1点を返すも同点に追いつくことはできず1-2で惜敗した。第2戦の韓国戦も13分にキム・ミンジェにゴールを決められてそのまま0-1で敗れ、最終戦の香港戦で2点を奪ってようやく初勝利を手にして大会を終えた。 2020年代2022年カタールW杯・アジア予選では最終予選に進出。初の国外出身選手であるブラジル出身のエウケソン(艾克森)[7]、アラン(阿兰)、アロイージオ(洛国富)、イギリス出身のブラウニング(蒋光太)、イェナリス(李可)、香港出身の戴偉浚らが招集され話題となったが、中国のゼロコロナ政策の影響でホームゲーム開催ができなかった(カタール・ドーハで開催)こともあり、全10試合でわずか1勝に留まり予選敗退となった。 2021年12月28日、中国国家体育総局はサッカー代表選手に対し、タトゥーの除去を勧告と新たに入れることを禁止する通達を出した。また、既にタトゥーを入れている選手に対し、「特殊な状況」下で行われる練習や試合中はタトゥーを隠すよう指示した[8]。2021年時点でブラジルなどから帰化選手も増えており[9]、その対応の一環である。 中国がCOVID-19対策を理由として開催を返上、日本開催となったEAFF E-1サッカー選手権2022では、主にU22代表を派遣。1勝1分け1敗となり3大会連続でのグループ3位という結果に終わった[10]。 本来は2023年6~7月に中国で開催予定も、COVID-19対策を理由に開催を返上、2024年1~2月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2023においてはグループステージで3試合0得点、2分け1敗の3位、他グループとの比較で3位チームの6チーム中4位以内に入れず、グループステージで敗退した。大会後、監督ヤンコヴィッチは退任。後任にブランコ・イバンコビッチが就任した。 2026年北中米W杯・アジア予選では2次予選から苦戦し、タイと勝ち点・得失点差で並び、直接対決の成績で上回っての最終予選(3次予選)進出と間一髪であった[11]。最終予選も極めて低調で、第9節のアウェイ・インドネシア戦に敗れて2勝7敗となり、予選敗退が確定した[12]。この予選でブラジル出身のセルジーニョが帰化し、中国代表デビューを果たしている。 成績FIFAワールドカップ
AFCアジアカップ
AFCソリダリティーカップ
極東選手権競技大会
アジア競技大会
EAFF E-1サッカー選手権
歴代監督
歴代選手→詳細は「Category:サッカー中国代表選手」を参照
W杯の大会メンバー主な代表選手
歴代記録出場数ランキング
水色は現役代表選手
得点数ランキング
水色は現役代表選手
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク |
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