マウリツィオ・サンドロ・サーラ(Maurizio Sandro Sala、1958年8月27日 - )は、ブラジルのサンパウロ生まれの元レーシングドライバー。マウリシオと表記される場合もある。 愛称は「モーリス」[1]。
経歴
![[icon]](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1c/Wiki_letter_w_cropped.svg/20px-Wiki_letter_w_cropped.svg.png) | この節の 加筆が望まれています。 (2019年11月) |
少年時代からレーシングカートを開始し、1歳年下で同じサンパウロ出身のアイルトン・セナとはカート時代からの友人である。1978年にブラジル フォーミュラ・フォード 1600クラスのタイトルを獲得し、イギリスに渡る。イギリスでもセナと行動を共にすることが多かったが、ほかにも渡欧していたラウル・ボーセルや先輩のネルソン・ピケとも親交があった。1983年にイギリス・フォーミュラフォードの1600ccチャンピオンとなり、1984年には2000ccのチャンピオンを獲得し好結果を示した。
1985年にイギリスF3選手権にステップアップ、プライベイト参戦ながら第6戦ゾルダーでポールポジションを獲得、3度の6位以内入賞など奮闘し、翌1986年からエディ・ジョーダンレーシングに加入すると実力を発揮。第13戦までで5勝を挙げる活躍でアンディ・ウォレスとチャンピオン争いを繰り広げるが、第14戦からの4戦連続ノーポイントが響きランキング2位となった。
1987年に来日し、日本でのレース活動を開始。以後、全日本F3選手権、全日本F3000選手権、全日本ツーリングカー選手権、全日本スポーツプロトタイプ耐久選手権などで活躍した。ル・マン24年間レースにも1989年から参戦し、1996年まで参戦していた[2][3]。
人物
若くしてイギリスや日本に渡りレースに参戦したことで、ブラジルポルトガル語以外の外国語の習得に興味があった。来日後まもなく「ゲンキデスカー」「ダイジョウブヨー」など語句を覚え日本になじむ努力をしていたほか、明るい性格で周囲を楽しませるのが好きだったこともあり、同じレースを走っていた日本人選手がケアレスミスによるスピンを喫したりするとピットイン後に覚えたての「ダッサーイネ(笑)」という言葉を使いたいためにその選手の近くに寄っていくなど、明るいキャラクターで親しまれた[1]。
レース戦績
主な結果
イギリス・フォーミュラ3選手権
全日本フォーミュラ3選手権
(key)
マカオグランプリF3
国際F3000選手権
全日本F3000選手権
ル・マン24時間レース
脚注
- ^ a b AFTER FIVE Racing On No.022 160ページ 武集書房 1988年2月1日発行
- ^ “Maurizio Sandro Sala | Racing career profile | Driver Database”. www.driverdb.com. 2019年11月19日閲覧。
- ^ “Maurizio Sandro Sala (BR) - Racing Sports Cars”. www.racingsportscars.com. 2019年11月19日閲覧。
外部リンク
- Brasileiros na
- Pilotos brasileiros no mundial de marcas, World Motor Sports Cars
- Driver Data base
- FIA GT Championship