マティアス・フェルナンデス
マティアス・フェルナンデス(Matías Ariel Fernández Fernández, 1986年5月15日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の元サッカー選手。元チリ代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 生い立ち父親はチリ人であり、母親はアルゼンチン人である。アルゼンチンの首都ブエノスアイレス郊外のカバリート (Caballito) に生まれ、4歳の時にチリのラ・カレハ (La Calera) に移住した。ふたりの弟がいる。物心が付く前に生誕地のアルゼンチンからチリに移住したため、マティアスは自身をチリ人だとみなしている。 クラブCSDコロコロ12歳の時にCSDコロコロの下部組織に入団し、2004年8月1日、ウニベルシダ・デ・チレ戦でトップチームデビューを果たした。その1週間後、CDコブレサル戦で初得点を含む2得点を挙げた。同じシーズンのCDオヒギンス戦では、"Matigol"(マティゴル)というあだ名の由来となるゴールを決めた。クラウスーラ2004では8得点し、優秀な若手選手として知られるようになった。アペルトゥーラ2006ではチーム創設以来24度目のリーグ優勝に貢献し、同年のコパ・スダメリカーナでは6試合で9得点を挙げて決勝に進出したが、決勝でメキシコのCFパチューカに敗れた。2006年は国内リーグで前後期完全優勝を果たし、ボカ・ジュニアーズのロドリゴ・パラシオやフェルナンド・ガゴらを抑えて、南米年間最優秀選手賞に選ばれた。チリ人としては1997年のマルセロ・サラス以来の受賞であった。CSDコロコロで通算112試合出場・57得点という記録を残した。 ビジャレアルCFレアル・マドリードやチェルシーFCが獲得に興味を示していたが、2006年10月後半、彼が南米年間最優秀選手賞を受賞する前に、同郷のマヌエル・ペジェグリーニ監督が率いるスペインのビジャレアルCFと契約を結んだ[1]。CSDコロコロには移籍金870万ユーロ(約13億7500万円)が支払われ、違約金は5000万ユーロと高額に設定された。 12月27日にスペインのバレンシア空港に降り立ち、2007年1月7日のバレンシアCF戦 (0-1) でデビューした。バレンシアCF戦の3ヶ月後のヒムナスティック・タラゴナ戦 (3-0) で移籍後初得点を決めた。2006-07シーズンのレアル・マドリード戦ではマルコス・ガルシアの得点をアシストし、クラブ史上初めてとなるレアル・マドリードからの勝利に貢献した。2007-08シーズンは30試合に出場して3得点し、クラブ最高の成績となる2位に貢献した。2009年5月10日、すでにリーグ優勝を決めていたFCバルセロナ相手にペナルティキックを決め、3-3の引き分けに持ち込んだ[2]。しかし、2シーズン半で70試合の出場(そのうち先発出場は30試合)に終わり、期待に見合う活躍をしたとはいえなかった[要出典]。 スポルティングCPエルネスト・バルベルデ新監督はマティアスを余剰戦力だと考えていたため、2009年7月1日、ポルトガル・スーペル・リーガのスポルティングCPと契約を結んだ。移籍金は365万ユーロ(ただし、出場試合数によって50万ユーロが加算される可能性がある[3])で契約期間は4年[4]。10月27日のヴィトーリア・ギマランイス戦 (1-1) で初得点を決め、その1週間後のCSマリティモ戦 (1-1) でも得点した。UEFAヨーロッパリーグ決勝トーナメント1回戦・エヴァートンFC戦セカンドレグ (3-0) ではロスタイムに得点し、2試合合計4-2で勝ち抜けを決めた[5]。 フィオレンティーナ2012年7月12日、ACFフィオレンティーナへ移籍した。契約は4年間で移籍金は250万ユーロ[6][7]。 ミラン2016年8月31日、恩師ヴィンチェンツォ・モンテッラ率いるACミランへのレンタル移籍が決定[8]。 ネカクサアトレティコ・ジュニオール2019年2月4日、アトレティコ・ジュニオールへ移籍した[10]。 代表世代別代表世代別代表としてはU-17チリ代表とU-20チリ代表に招集されている。2005年にはU-20チリ代表のキャプテンとして2005 FIFAワールドユース選手権に出場し、ニコラス・カナレス (Nicolás Canales) 、カルロス・ビジャヌエバ、ホセ・ペドロ・フエンサリーダ (José Pedro Fuenzalida) などと一緒に戦った。7-0と大勝したU-20ホンジュラス代表戦では1得点を決めた。2回戦のU-20オランダ代表戦に敗れたが、マティアスは全体的に良いプレーを見せた。 A代表2005年8月17日、ペルー代表戦でチリA代表デビューを果たした。2006年10月8日、パシフィック・カップのペルー戦では代表初得点を含む2得点を挙げた。2007年にはコパ・アメリカ2007に出場したが、グループリーグ3位でかろうじて決勝トーナメントに進出し、準決勝ではブラジルに1-6で大敗した。2010 FIFAワールドカップ・南米予選では、ペルー戦(ホーム)、コロンビア戦、ペルー戦(アウェー)で得点し、チリ代表の本大会出場に貢献した。南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップ本大会にも選出され、グループリーグのホンジュラス戦 (1-0) とスイス戦 (1-0) に出場した。チリ代表はスペインに次いで2位でグループリーグを通過したが、決勝トーナメント1回戦のブラジル戦に敗れてベスト16に終わった[11]。 人物・エピソード
代表歴出場大会試合数
得点
タイトルクラブ
代表
個人
脚注
外部リンク
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