メリル・ケリー
ケネス・メリル・ケリー(Kenneth Merrill Kelly, 1988年10月14日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン生まれ、アリゾナ州スコッツデール育ち[2]のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのテキサス・レンジャーズ所属。 経歴プロ入り前2007年のMLBドラフト37巡目(全体1112位)でボルチモア・オリオールズから指名されたが、この時は契約せずにヤバパイ短期大学へ進学した。 2009年にはMLBドラフト22巡目(全体665位)でクリーブランド・インディアンスから指名されたが、この時も契約しなかった。 プロ入りとレイズ傘下時代アリゾナ州立大学在学時の2010年、MLBドラフト8巡目(全体251位)でタンパベイ・レイズから指名され、プロ入り。契約後、傘下のA-級ハドソンバレー・レネゲーズでプロデビュー。A級ボーリンググリーン・ホットロッズでもプレーし、2球団合計で12試合(先発3試合)に登板して1勝2敗、防御率4.30、29奪三振を記録した。 2011年はA+級シャーロット・ストーンクラブズでプレーし、25試合(先発23試合)に登板して8勝7敗、防御率3.28、70奪三振を記録した。 2012年はAA級モンゴメリー・ビスケッツでプレーし、32試合(先発9試合)に登板して8勝3敗、防御率3.57、61奪三振を記録した。 2013年はAA級モンゴメリーとAAA級ダーラム・ブルズでプレーし、2球団合計で25試合(先発23試合)に登板して8勝7敗、防御率3.28、70奪三振を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、ソルトリバー・ラフターズに所属した。 2014年はAAA級ダーラムでプレーし、28試合(先発15試合)に登板して9勝4敗、防御率2.76、108奪三振を記録した。 SK時代2014年12月18日にKBOリーグのSKワイバーンズと契約した。 2015年は30試合(先発29試合)に登板して11勝10敗、防御率4.13、139奪三振を記録した。 2016年は31試合に先発登板して9勝8敗、防御率3.68、152奪三振を記録した。 2017年は30試合に先発登板して16勝7敗、防御率3.60、189奪三振を記録した。 2018年は28試合に先発登板して12勝7敗、防御率4.09、161奪三振を記録した。この年限りで退団した。 ダイヤモンドバックス時代2018年12月4日、2年総額550万ドルのメジャー契約でアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[3]。 2019年4月1日のサンディエゴ・パドレス戦にて先発登板でメジャーデビューすると、6回を3失点の投球でメジャー初勝利を挙げた[4]。 2021年は27試合に先発登板して7勝11敗、防御率4.44と軒並み悪化した[5]。ただ、奪三振の数はキャリアハイとなる130個だった[5]。 2022年はリーグ最多の33試合に先発登板し、13勝8敗だった[5]。 2023年はシーズン開幕前の2月10日に第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアメリカ合衆国代表に選出された[6]。 ワールドシリーズ第2戦では歴史的な投球を見せた。7回を投げ、9奪三振、無四球、被安打3で1失点に抑えた。ワールドシリーズ史上で7回を投げ、ここまで多くの三振を奪い四球を出さなかった選手は他に7人しか存在しなかった。最終的にチームが勝利したことにより、ワールドシリーズと韓国シリーズの両方で勝利を収めた初の選手となった。ポストシーズンでは4先発で3勝1敗、防御率2.25だった[7]。シーズンでは30試合に先発登板して2年連続の2桁となる12勝(8敗)、防御率3.29、キャリアハイを更新する187個の奪三振を奪った[5]。 2024年もローテーションの一角として開幕を迎え、最初の4試合の先発登板で防御率2.19だった。4月23日に右肩大円筋の筋肉損傷により故障者リストに登録された[8]。5月2日に60日間の故障者リストに移され、1カ月以上の離脱が発表された[9]。8月11日に復帰を果たした[10]。この年、最終的には前述の故障の影響などで13試合に先発登板したが5勝1敗に留まり、防御率4.03と3年ぶりに悪化した[5]。また、奪った三振の数も63個と自己最小に終わった[5]。 2025年は後述のトレード前までに22試合に先発登板して9勝6敗、防御率3.22、121奪三振と復活を遂げていた[5]。 レンジャーズ時代2025年7月31日にコール・ドレイク、ミッチ・ブラット、デビッド・ハガマンとのトレードで、テキサス・レンジャーズへ移籍した[11]。 詳細情報年度別投手成績
ポストシーズン投手成績
WBCでの投手成績
年度別守備成績
表彰
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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