モアヘッドシティ (ノースカロライナ州)
モアヘッドシティ(英: Morehead City)は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州の東部カータレット郡の港町である。2010年国勢調査での人口は8,661 人であり[3]、カータレット郡の中では最大である。2007年5月5日、モアヘッドシティは設立から150周年を祝った。クリスタル海岸と呼ばれる大西洋に面したリゾート地域に属している。 歴史1850年代初期までに、一群の投資家が、「シェパードポイント土地会社」と呼ばれる土地開発プロジェクトを結成して法人化し、当時「シェパーズポイント」と呼ばれていたニューポート川に接する半島の東端、600エーカー (2.4 km2) を購入した。そこが現在のモアヘッドシティがある場所である。シェパードポイント土地会社の目的はトップセイル入り江(現在のボーフォート入り江)の自然の水深がある水路を活かすことだった。そこはボーグ・バンクスとシャックルフォード・バンクスを分ける水路であり、モアヘッドシティ、ボーフォート、ニューポート川、沿岸内水路へのアクセスを可能にするものだった。同社はノースカロライナ州の木製品の出荷のために新たなアクセスを可能にする水深の深い港を建設し、ウィルミントンの港が置かれている負荷を軽減するために設立された。港から州の内陸部への連絡のために、1858年4月29日、ゴールズボロとニューバーンの間でアトランティック・アンド・ノースカロライナ鉄道の路線が開通した。 ノースカロライナ州知事ジョン・モトリー・モアヘッドがシェパードポイント土地会社の投資家の主要メンバーであり、彼にちなんで市名が付けられた。1858年7月に全面的な鉄道の運行が始まり、町と西、北、南の地点を結んだ。 モアヘッドシティの町は格子配列を使って区画割りが行われ、各ブロックは16に等分された区画で構成され、同じ広さとなるように決められた。市内の通りは1番通りから15番通りまで決められ、企業や住宅がその背後にある路地を使えるように「H」の字の形をした小道を備える体系になった。 モアヘッドシティは1860年にノースカロライナ州上院で正式に法人化された。当時の世帯数はわずか300世帯に過ぎなかった。 町は南北戦争まで繁栄を続けたが、1862年に北軍に占領された。この戦争は商業を阻害し、港の経済は人口と共に衰退した。半島に先端にアトランティック・ホテルが建設されたのが1880年代のことであり、鉄道が「海の傍の夏の首都」と宣伝したことで、地域は再度興隆を始めた。鉄道の駅の入口が併設され、大きな舞踏ホールがあり、桟橋もあって帆走を楽しめ、ボーグ・バンクスへの渡し船もあるこの特別なホテルの人気に乗って、夏の観光地としてのモアヘッドシティが確立された。 シャックルフォード・バンクスの島に住んでいた漁師が本土に移転し(外部のバンクから船でその家を引っ張って来ることが多かった)、10番通りから15番通りの間の地域に入り、そこを約束の地と呼んだのが、1880年代と1890年代だった。これら漁師が漁業の中核となり、現在でも町の経済の重要な部分を占め続けている。 世界恐慌と第二次世界大戦が町の性格を著しく変えた。伝統ある中心街が衰退し、新しい店舗が西側に開店し、町の古い中心街の衰退が加速された。最終的に1980年代、町は地域社会開発ブロック助成金を得て再生が始まり、古いインフラを取り換え、ウォーターフロントの外観を改良した。その後の助成金、民間資本、さらに町の予算で推進力を維持したので、新しい防潮堤、地下のユーティリティ、レンガ舗装の歩道ができ、ウォーターフロントにはプランターが並び、街路樹が並ぶ通りや、改修された家屋、新しい船着き場と新しい企業ができた。 モアヘッドシティ歴史地区とモアヘッドシティ市民ビルがアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている[4]。 今日の町![]() モアヘッドシティの経済は圧倒的に様々なエコツーリズム活動に基づいており、また退職者の町が成長している。地元経済はモアヘッドシティの港、軽工業、土地開発、小規模商業漁業、スポーツフィッシング、その他サービス関連事業に基づいている。州内のニューバーン、ハブロック、ジャクソンビル各市から容易にアクセスできる位置にある。アメリカ海兵隊チェリーポイント航空基地が市の北西17マイル (27 km) 、ハブロック市内に、同じく海兵隊キャンプ・レジューン基地が市の西30マイル (48 km)、ジャクソンビル近くにある。 リン酸塩を輸出していたノースカロライナ州の港として、現在も残っている2港の1つである。港には225,000トンを収蔵できる倉庫と、広大な屋外保管施設があり、貨物取扱ができる。 市内にあるカータレット総合病院はカータレット郡ではカータレット郡公共教育学区に続く第2位の大規模雇用主である。 市内では毎年「禿は美しい」大会が開催され[5]、アメリカの禿頭男性組織の本部がある[6]。 高等教育と海洋研究カータレット・コミュニティカレッジは、主に貿易とサービス業種に特化した2年制准学士資格を提供している。地域にはノースカロライナ大学の海洋科学研究所[7]、ノースカロライナ州立大学海洋科学技術センター[8]、デューク大学海洋研究室[9]など、世界に通用する研究組織がある。 市内にはノースカロライナ州政府の組織として海洋漁業部の研究と順守支部もある[10]。 沿海と沖合のレクリエーション・フィッシングモアヘッドシティと周辺地域はあらゆる種類の釣りに優れた環境にある。自然のままの三角江があり、大陸棚やメキシコ湾流にも近いことで、レクリエーション・フィッシングのための多くの機会が得られる。メキシコ湾流は大西洋のフロリダ半島の先端に発し、アメリカ合衆国東部の海岸に沿って北上し、ニューファンドランド島に達して大西洋を横切る強力で温かく速い潮流であるので、ニシクロカジキなどのカジキを含む大型魚種を海岸近くまで連れてきている。 ビッグロック・クロカジキ選手権は1957年に始められ、毎年大型のクロカジキを見るために、あらゆるタイプの釣りファンの大群衆をモアヘッドシティに惹きつけている[11]。 スキューバダイビングスポーツフィッシング産業の隆盛に加えてモアヘッドシティと周辺地域はスキューバダイビングで人気のある場所となっている。ノースカロライナ州海岸沖の海域は「大西洋の墓場」とも言われることが多く、世界中からダイバーを惹きつける遺産がある。モアヘッドシティ住人のジョージ・ピュリフォイがその一部を発見したドイツの潜水艦U-352など有名な多くの難船が直ぐ近くの海岸に沈んでいる[12]。 ![]() 伝統的なスポーツ大学野球の夏季リーグであるコースタル・プレーン・リーグに属するモアヘッドシティ・マーリンズがモアヘッドシティを本拠地にしている。市内のオニール・フィールド・アット・ビッグロック・スタジアムで試合を行い、2010年のシーズンから参入している。 青少年スポーツとしては、リトルリーグ野球、サッカーリーグ、バスケットボールリーグがある。 地理モアヘッドシティはカータレット郡の中心から南西に位置し、座標では北緯34度43分40秒 西経76度44分48秒 / 北緯34.72778度 西経76.74667度 (34.727700, -76.746748)にある[13]。南はボーグ・サウンド、北と東はニューポート川に接する半島の上にある。川を越えて東はボーフォート町、ボーグ・サウンドを越えて南はアトランティック・ビーチになっている。 アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、町域全面積は8.5平方マイル (22.1 km2)であり、このうち陸地6.8平方マイル (17.7 km2)、水域は1.7平方マイル (4.3 km2)で水域率は17.75%である 人口動態
交通高規格道路
鉄道アムトラックがウィルソンまで乗り継ぎバスを運行しており、そこで「パルメット号」に乗り換えれば、北のニューヨーク市、南のジョージア州サバンナに行くことができる[17]。 病院
教育小学校
中学校
高校
高等教育機関
私立学校
メディア新聞「カータレット郡ニューズ・タイムズ」は週3回発行される地方新聞であり、カータレット印刷社が所有している[18]。 テレビモアヘッドシティはグリーンビル・ニューバーン・ジャクソンビル・テレビ市場に属しており、ニールセン・メディアリサーチに拠れば、2007年時点で国内第109位である。以下のテレビ局がある
ラジオ
脚注
外部リンク |
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