京成バス千葉イースト成東営業所
京成バス千葉イースト成東営業所(けいせいバスちばイーストなるとうえいぎょうしょ)は、千葉県山武市津辺にある京成バス千葉イーストの営業所[1]。 千葉市・山武市・東金市・八街市を中心に路線を展開しているほか、山武市・八街市のコミュニティバスも運行受託している。 本項では、千葉市若葉区中野町103にある中野営業所(なかのえいぎょうしょ)[1]について扱うほか、成東営業所と中野営業所の前身であるちばフラワーバス株式会社[1][2]、さらにその前身である京成電鉄成東自動車営業所時代などについても扱う。 沿革成東営業所と中野営業所の管轄路線は沿革をたどると大正中期にまで遡り、100年以上の歴史を有する。 →「京成バス § 京成バスの生い立ち」も参照
両総自動車から京成電気軌道へ主幹路線である千葉線は大正時代(開通年は諸説ある)に両総自動車という会社が千葉 - 東金間で立ち上げた路線である(後述)。その後、1930年(昭和5年)京成電気軌道(現・京成電鉄)の路線となり、千葉営業所(当時の場所は初代・京成千葉駅近く)担当となった。またルートも若干異なり、千葉駅 - 都町間は現・国道126号線ではなく、その少し南の道路(千葉中央バスが松ヶ丘線として運行している道路)を経由していた。 →詳細は「千葉中央バス § 松ヶ丘線、ポートタワー線」;および「京成バス千葉営業所 § 千葉営業所の設置と千葉市街自動車」を参照
その後京成は1943年(昭和18年)、当時成東付近を運行していた成東自動車の買収を行い、成東営業所を設置した。これらは第二次世界大戦時の陸上交通事業調整法による鉄道およびバスの戦時統合政策で、東金・成東地区の統合事業者が京成電気軌道となったことによるもので、これにより京成は都内から九十九里浜まで路線を延ばすこととなった。 →詳細は「陸上交通事業調整法 § 東京市及びその周辺」、および「京成電鉄 § 都心延伸から終戦まで」を参照
また成東自動車は事前に佐倉自動車を買収していたので、この時点で佐倉地区のバス路線も京成の成東営業所の担当となった(なお、佐倉地区のバス路線は1971年に佐倉営業所として分離され、2000年にちばグリーンバスとして分社化されたのち、2025年に京成バス千葉イースト佐倉営業所として合流している)。 →詳細は「京成バス千葉イースト佐倉営業所 § 戦前」、および「京成バス長沼営業所 § 花見川車庫の編入と再分割」を参照
千葉都市モノレール開通以前終戦を経て、『京成電鉄五十五年史』によれば、1960年(昭和35年)に成東営業所新設とある。1943年に設置されたにもかかわらず、17年後に再び設置されていることから、第二次世界大戦の影響で初代の成東営業所をいったん千葉営業所に統合したと推測される。 戦後は成東町内と八街市内の路線の充実に努め、後述する各線の他に多数の路線の新設を行った。これとは別に千葉駅 - 蓮沼海岸を直通する急行バスなども新設され、非電化で運行本数も少なかった国鉄総武本線よりも優位に立っていた。 →詳細は「京成バス千葉イースト佐倉営業所 § 戦後の路線の拡張」を参照
しかし、1960年代から1970年代を境にこの営業所も輸送量のピークを迎えることとなった。1974年(昭和49年)の総武本線銚子駅電化、東京駅直通の特急『しおさい』の設定などで国鉄千葉鉄道管理局(現・JR東日本千葉支社)が反攻に出ると、総武本線との並行区間が多い八日市場線や、他線に比べて線形の劣る松尾線、下横地線などが次々と廃止され、前・京成千葉駅 - (町方又は吉倉) - 八街駅 - 成東駅を通しで運行していた八街線と新八街線が八街駅で分割された。 →「総武本線 § 戦後の改良」、および「しおさい (列車) § 「しおさい」の登場まで」も参照
そして1987年(昭和62年)2月26日、成東発の主幹路線だった蓮沼線と小松線を統合、同時に蓮沼方面の特急バス(国道126号経由)を廃止し、千葉東金道路を経由して成東駅に至る東金特急線(フラワーライナー)の新設という根本的なダイヤ改正が行われ、東金線以外は必要最小限度の運行本数に抑えられた。さらに1991年(平成3年)6月12日、千葉都市モノレールが千葉駅まで乗り入れを開始すると、八街線と新八街線はそれぞれモノレールの駅である都賀駅や千城台駅を発着するよう短縮された。この際に当時千葉営業所担当だった宮田線も千城台駅発着となっている。 京成電鉄から独立、ちばフラワーバスへ
ちばフラワーバス株式会社は、千葉県山武市津辺47にあったバス事業者。京成電鉄の連結子会社であり、京成グループの企業であった。 前述の通り成東地区のバスは路線網の縮小が続き、結局、京成電鉄は直轄による運行から、新たに設立した別会社への運行に切り替え、地域交通専業の形を取ることとした。ただし分社化の形態としては、1991年(平成3年)10月2日に設立された「有限会社冷熱サービス」を1994年(平成6年)8月2日に「ちばフラワーバス株式会社」に社名変更し、業種を変更する形とした。このため、会社の設立年とバス事業の開始年は4年ほど離れている。ニュータウン団地輸送のため補助金を目的として1970年代に会社設立された千葉海浜交通や千葉内陸バスを除けば、京成電鉄直営のバスとしては初めての分社化となった。 分社化に伴い、1995年(平成7年)4月1日に特急バスであるフラワーライナーと、成東駅発着系統(東金線成東発着便の約半数の便と八街線の東側、海岸線、武射田線)を京成から引き継ぐことでバス運行業務を開始した。これと同時に京成電鉄成東営業所は廃止され、施設をちばフラワーバスがそのまま使用することになったが、成東営業所の車庫だった中野操車場は、京成電鉄千葉営業所中野車庫となった。このため、東金線のうちJR千葉駅発中野操車場折り返し便と成東駅折り返し便の一部、八街南線、都賀線、新八街線、千城台線および宮田線が京成の千葉営業所担当となった。 さらに1998年(平成10年)4月1日、京成の千葉営業所が新宿から御成台に移転したのと同時に、千城台・都賀以東のローカル線はほとんどがちばフラワーバスに移管され、主力である東金線も中野操車場以東はちばフラワーバスの単独運行となった。また中野車庫もちばフラワーバスの所属となり、よって京成のバスは千葉営業所の「中野線」として、同所を単に折り返し場としてのみ使用することとなった。これにより、ちばフラワーバスの営業エリアはかなり広がった。そして1999年(平成11年)12月16日には、千葉線の中野操車場以西においても全便を担当するよう変更された。こうして従来は京成電鉄成東営業所が関わっていたすべての路線が、段階的にちばフラワーバスに移管された。 →詳細は「京成バス千葉営業所 § 分離子会社への移行と一般路線縮小」、および「京成バス千葉イースト新港営業所 § 沿革」を参照
京成バス千葉イーストへ2025年(令和7年)4月1日には京成グループにおけるバス事業の再編により、ちばフラワーバスは千葉交通・千葉中央バス・成田空港交通・千葉内陸バス・ちばシティバス・ちばグリーンバスと統合され、京成電鉄バスホールディングス傘下の京成バス千葉イーストの営業所となった[4][5]。 現在の成東営業所は、ちばフラワーバス時代は本社営業所の名称であったが、前述の再編の際に営業所名が変更された[1][2]。中野営業所は営業所名の変更はなく、ちばフラワーバス時代と同じである[1][2]。 営業所
PASMO・Suicaと一日乗車券について2008年3月5日からPASMOを導入した(首都圏ICカード相互利用サービスによりSuicaと相互利用)。最初に導入されたのは千葉線で、後に千葉駅 - 成東駅間路線である「フラワーライナー」に導入、一般路線の千葉線以外の路線では2009年4月1日から導入された。2014年4月1日から「シーサイドライナー」でも使用可能となった。 2012年10月1日より、海岸線で利用できる500円の一日乗車券を発売していた(現在は未発売)。 現行高速路線シーサイドライナー
成東車庫 - 丘山小学校間のみの乗車はできない。PASMO・SuicaなどのIC乗車カードが使用可能。また、平日下り便のみ、東京駅始発の深夜バス(別運賃)あり。
フラワーライナー![]() ![]()
千葉線の特急便に付与された愛称である。中間部で千葉東金道路を経由する。なお、当路線が設けられる前(1987年以前)は東金線(千葉線の当時の名称)と同じルートを急行として運行していた(東金急行線と呼称)。車両は旧・成東町の町木であるキョウチクトウの花が描かれた自家用タイプの車両が使用されている。 旧道(東金駅入口)経由のルートとバイパス(東金中学校)経由のルートがあるが、バイパス経由便は2024年4月より運休中。旧道(東金駅入口)経由の千葉駅方向については成東車庫 - 丘山小学校・東千葉メディカルセンター間の停留所での降車不可。また、千葉市内の停留所間のみの利用は不可。
幕張メッセ臨時シャトルバス![]() →詳細は「京成バス新習志野高速営業所 § 幕張メッセ臨時バス」を参照
現行一般路線千葉線![]() ![]()
![]() 主幹路線であり、京成電鉄(京成電気軌道)時代に遡れば最も古い路線の一つである。千葉と成東を東金経由で結ぶ。京成電鉄が運行していた頃は東金線と名乗っていた。また、千葉駅から坂月橋までは千葉中央バスと競合になっており、2023年(令和5年)3月16日付で共通定期券の販売が開始された[17]。 →詳細は「千葉中央バス § 東金線、北大宮台線」;および「京成バス千葉営業所 § ちばフラワーバスへ移管された路線」を参照
昭和50年代頃までは中野操車場折り返し便が少なく、『千葉中央駅(当時の名称は京成千葉駅) - 成東』の通し便が多くを占めた(但し、当時は宮田線などの並行する路線がいくつかあった。)。その後、中野操車場折返便が増便され、昭和60年代頃までに『千葉駅(千葉中央駅) - 中野操車場』が15分定間隔運行となった。一方、『千葉駅 - 成東』間は昭和60年代以降30分間隔を保っていたが、2005年に60分間隔に半減されてしまった。但し、『千葉 - 東金・成東』の移動に関して言えば、先述のフラワーライナー(特急)の方が所要時間が短い。2012年時点では、『千葉駅 - 中野操車場』間が毎時4本、『中野操車場 - 成東駅』間が毎時1本であったが、2014年5月16日のダイヤ改正で日中のみ中野操車場発着の一部が平和公園発着(平日のみ)と中田スポーツセンター発着に振り向けられた。 なおこの路線は、千葉市、東金市、山武市以外に、中野操車場から先の辺りでほんの一部八街市内を通る。 当路線とフラワーライナーは『千葉 - 東金市内』及び『千葉 - 旧・成東町内』でその運賃が対キロで算出される金額よりも低めに設定されている。 2007年4月1日よりちばシティバスいずみ台線の千葉駅発着便が廃止された事に伴い、中野操車場折り返し便の一部が五社神社・いずみ台ローズタウン経由に変更された。これにより、新たにバスが走る事になった区間(大草 - 五社神社 - いずみ台ローズタウン)は、京成の京葉ゴルフ場線時代の末端部の路線とほぼ同じルートである。
八街線
![]() 八街駅を起点に山武支所前までと埴谷を経て成東駅までの2地点へ向かう路線である。最盛期には千葉 - 八街 - 成東を直通運転しており(新八街線も同様)、埴谷経由成東便はその当時のルートの一部である。 山武支所(旧・山武町役場)前発着便は元々日向線として成東駅 - 日向駅間で開業し、その後八街側への延長がなされたが、利用者が少なく、2007年4月1日より八街駅 - 山武支所前間に短縮された。廃止区間のうち日向駅を中心とする地域は、山武市基幹バスによって交通が確保されている。 2018年7月2日、山武市がホームページ上で八街線に対し、国や千葉県・八街市が年間で総額1000万円超の補助金を支出している事実を公表した上で、ちばフラワーバスより赤字幅の拡大を理由に路線廃止の申入れがあったと発表し、八街市民に路線存続の為の協力を呼びかけた[21]。
海岸線
![]() 成東駅から向渡入口まで同一ルートで進み、向渡入口から先は蓮沼南・南浜・作田海岸を循環する便と、蓮沼南非経由の京塚・作田海岸循環便で構成されている。かつて、当路線用の1日乗車券が発売されていた。(現在は未発売。) ![]()
八街循環線
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植草学園大学線![]()
休日運休。また、平日も学校休校日や植草学園試験日は運休や土曜ダイヤで運行する事がある。
コミュニティバス八街市ふれあいバス中コース、南コース、西コースを運行受託。詳細は「八街市ふれあいバス」の記事を参照。 山武市基幹バス詳細は「山武市基幹バス」の記事を参照。 シャトルバス海岸臨時バス(夏季のみ)
![]() 蓮沼ウォータ-ガーデンの営業期間(7月中旬‐9月中旬)に限って運行される臨時バス。 ZOZOマリンスタジアム 臨時直通バス
![]() →詳細は「京成バス新都心営業所 § マリンスタジアム臨時バス」を参照
幕張ビーチ花火フェスタシャトルバス
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→詳細は「千葉海浜交通 § 臨時シャトルバス」を参照
サマーソニックシャトルバス![]() 2000年から幕張メッセで行われてきたサマーソニックの規模拡大に伴い、2018年(平成30年)から京成グループがシャトルバスを担当することになった。ちばフラワーバスは2019年から京成の各営業所や千葉海浜交通と共に参戦している。 →詳細は「京成バス新習志野高速営業所 § 貸切・特定バス」を参照
千葉厄除け不動尊参詣バス
![]() 正月三が日のみ運行される初詣参拝者専用の無料シャトルバスで、千葉厄除け不動尊構内に設けられた臨時停留所と最寄り駅であるJR誉田駅間を約20分で運行する。
廃止路線高速バスレイクサイドライナー
2013年(平成25年)3月31日限りでちばフラワーバスが撤退し、九十九里鉄道単独運行となった。 →詳細は「九十九里鉄道 § 急行 レイクサイドライナー・レイクサイドヒル線」を参照
幕張新都心 - 酒々井プレミアム・アウトレット線
白子 - 東京線![]()
小湊鉄道と共同運行。東京駅始発⇒大網駅止まりの深夜バスあり(毎日運行・別運賃)。ICカード(PASMO・Suica)対応路線。 東京 - 千城台・八街・成東線(マイタウン・ダイレクトバス)
ICカード(PASMO・Suica)対応路線。専用車運用時は、時事通信社の文字ニュースが、車内前方のモニターに、テロップで流れる。 →詳細は「マイタウン・ダイレクトバス § 千城台ルート」を参照
特急海幕線(ストロベリーライナー)
路線バス小間子線
千葉駅と八街を乗り換えなしで結んでいた『新八街線』の後継。千葉都市モノレール開通と同時に千城台駅発着となり、2003年には内小間子と八街駅の間が廃止になる。そして、若葉区コミュニティバス『おまごバス』へ移行のため2005年(平成17年)8月31日限りで廃止となった。 →詳細は「千葉中央バス § 千葉市・おまごバス」を参照
宮田線
元々は千葉中央駅から(JR千葉駅を経由せず)国道126号線を走り、宮田で左折して川崎十字路へ至る路線だった。千葉都市モノレール千葉駅延伸で運行頻度の少ない路線は千城台駅発着に変わり、この路線もそうなった。この時に国道126号線経由から泉高校経由となり、宮田停留所は通らなくなった。その後、乗客は定着せず、1997年3月1日の改正では川崎十字路より朝1本のみの運行となった。その後、1往復に増便されたり、1998年4月に当社に移管されたりもしたが、ほとんど運行されていないという状況は変わらなかったため、若葉区コミュニティバス『さらしなバス』の事業拡張に伴い千城台線と合わせて廃止されることになり、2005年(平成17年)8月31日限りで廃止された。さらしなバスはその後、ルートが泉高校・グリーンタウン側に拡大されている。 →詳細は「千葉中央バス § 千葉市・さらしなバス(田園都市更科線)」を参照
千城台線
千葉都市モノレール2号線の千葉駅延伸と同時に新設された路線である。千城台駅 - グリーンタウン - 中田町間は宮田線と同一経路であり、なおかつ開業当初はグリーンタウン経由と大草経由が存在、同年当時は2路線合わせて1時間に1本程度の運行だった。しかし、国道126号線上を並行して走る千葉線(京成電鉄時代の名称は東金線)が10 - 15分間隔と圧倒的に本数が多く乗客の転移が進まなかった。その影響で、1997年(平成9年)3月に大草経由が廃止となり、残ったグリーンタウン経由に加えて宮田線も大幅に減便され、廃止直前の本数はわずかに7往復(平日)だった。なお、開通当初は中野操車場が終点だったため、千城台駅を発着する各線の出入庫便の様になっていた。若葉区コミュニティバス『さらしなバス』の事業拡張に伴い、2005年(平成17年)8月31日限りで廃止。さらに2008年(平成20年)からは別経路のコミュニティバス『いずみバス』の運行も始まった。 →詳細は「千葉中央バス § 千葉市・いずみバス」を参照
都賀線
都賀駅と八街駅の間を佐倉街道・町方経由で結ぶ路線。千葉、四街道、佐倉、八街の4市に跨って走り、佐倉市内の区間では佐倉営業所所管の神門線西御門発着便と並行している。幹線道路を比較的まっすぐに走っていく路線で、沿線にはDIC(旧・大日本インキ化学工業)総合研究所・DIC川村記念美術館があるが、住宅の多い地域ではないため、利用者は少なかった。 →「京成バス千葉イースト佐倉営業所 § 神門線」も参照 佐倉自動車の支線として戦前に千葉 - 八街間で開通し、最盛期には千葉中央駅 - 八街駅 - 成東駅間の直通運転を行っていたが、その後規模を縮小し、1991年の千葉都市モノレール千葉延伸時に都賀駅発着となった。かつては、千葉市から佐倉街道方面に向かう並行路線として千葉線(千葉中央駅 - 京成佐倉駅)や吉岡線(千葉中央駅 - 四街道駅)があったが、これらが都賀駅までの短縮を経て千葉内陸バスに移管されたり区間廃止されるなどした末に、最後に残った当路線が、ちばフラワーバスに移管されて存続した。 →「京成バス千葉イースト四街道営業所 § 千葉四街道線」、および「京成バス千葉イースト佐倉営業所 § 本佐倉線」も参照 しかし川村記念美術館へはもともとJR佐倉駅・京成佐倉駅と結ぶ会社側用意の無料送迎バスがあり、加えて2010年にマイタウン・ダイレクトバス佐倉ICルートが開通したため当社は撤退可能と判断し、2014年(平成26年)3月31日限りで廃止となった。 →詳細は「DIC川村記念美術館 § 交通」、および「マイタウン・ダイレクトバス § ユーカリが丘ルート」を参照
山武市実証実験運行路線:さんむ成田線(さんむウイングライナー)![]()
さんむ成田線は、山武市が2015年10月に策定した、「山武市まち・ひと・しごと創生総合戦略」の一環として始めた成田国際空港への就業強化への取り組みへの推進事業として、山武市から成田市までの路線バスの実証実験として開始した路線である。実証実験期間は、2018年10月13日から2021年3月末までとなっている[31]。使用車両は専用のラッピングを施したノンステップ車両で、1日10往復を11通りのルートで運行する。また、快適性を重視し全便快速運転となっている。 千葉幕張線(ツインシティライナーちばまく号)
千葉幕張線は、幕張メッセで開催されるイベントの来場者などを京葉線の乗り入れない千葉駅周辺への呼び込みを目的に開設された路線であった。トランク等の大きな荷物を持ち込むことを前提に運行されていた為、一般路線であるが、高速バスタイプの車両が充当されていた[33]。 車両京成電鉄成東営業所時代の車種選択を引き継ぎ、日野自動車の車両をメインに導入している。社番は京成バスと同じ表記で、千桁には「6」を表記する。 一般路線車は、千葉線を中心に使用される ![]() 日野・ブルーリボン(ブルーリボンシティ、ブルーリボンII)を中心とする大型車、その他のローカル線で使用される日野・レインボーを中心とする中型車、小型車は日野・リエッセ1台、山武市のコミュニティバス「山武市基幹バス」用の日野・ポンチョが配置されている。
かつては京成バスから譲受したブルーリボンやレインボーも在籍したが、自社発注車の新製投入が続いたことで譲受車はいったん順次置き換えられた。しかし2014年ごろから再び京成バスからの譲受車である日野・レインボーHR(10.5m車)が導入され、2016年には京成バス研修センターより日野レインボーRJ1台、京成バス松戸営業所よりブルーリボンとバッジエンジニアリングの関係であるいすゞ・エルガ1台が移籍した(一般路線車でのいすゞ車の導入はこれが初めてとなる)。これ以降も京成バスからの移籍が相次いでおり、現在は市川営業所、新都心営業所から移籍したエルガとブルーリボンIIをはじめ、新都心営業所から移籍した長尺・4枚折戸仕様のブルーリボンIIや、松戸営業所から移籍した三菱ふそう・エアロスターノンステップなども在籍している。 現行車両の塗装は1995年10月に採用されたもので、運行エリアである山武市出身の文豪・伊藤左千夫の作品「野菊の墓」の「野菊」からイメージを得たものである[34]。菊の若葉・広大な野原を緑色で、花・太陽を黄色でそれぞれ表現し、花びらが風になびく様子をデザイン化した[34]。 高速車は日野自動車製を中心に三菱ふそう製、いすゞ自動車製(いすゞ車は京成バスからの移籍車のみ)を使用しており、「フラワーライナー」や「シーサイドライナー」の専用塗装を施している車両もある。近年導入された車両および京成バスからの移籍車は京成グループ統一カラーを用いている。「シーサイドライナー」は全てトイレ付き車両で運行されるが、他の路線はトイレなし車両で運行する場合がある。このほかに日野・リエッセIIなど貸切車が配置されている。 ナンバープレートは千葉ナンバーの地域であったが、2006年(平成18年)のご当地ナンバー第1弾導入後、本社営業所に所属する車両は成田ナンバーとなった。中野営業所に所属する車両は引き続き千葉ナンバーとなっている。 →詳細は「千葉運輸支局 § 陸運部門」、および「ご当地ナンバー § 応募地域」を参照
脚注
関連項目外部リンク |
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