仙台市立秋保小学校
仙台市立秋保小学校(せんだいしりつ あきうしょうがっこう)は宮城県仙台市太白区秋保町長袋字町にある公立小学校である。太白区西部の旧秋保町地域に位置し、秋保温泉や秋保大滝などの観光資源に恵まれた環境にある。2022年(令和4年)4月の児童数は42人である[1]。 学区歴史長袋小学校は、学制にもとづき1873年(明治6年)に全国で一斉に創設された最初の小学校の一つとして、名取郡長袋村の村社諏訪神社別当院・円行院の祈祷場に開校した。長袋村・境野村・湯元村・馬場村・新川村の五か村を学区とした。学区は非常に広く、馬場村西部と新川村からの通学は困難で、夜間と休日に出張授業をした[3]。当初の教員は4人、児童は男子58人、女子17人で計76人いた[3]。当初は就学率が低く、特に女子で小学校に通う者が少なかった。1900年(明治33年)に就学率90パーセントを超えた[3]。 1876年(明治9年)に、通学の不便をやわらげるため、湯本、境野、馬場、新川に支校を置いた。1879年(明治12年)に西の馬場、東の湯元が独立した小学校になった。1886年(明治19年)に馬場小学校と湯元小学校は長袋尋常小学校の分教場になった[4]。 創設当初は寺子屋の延長のような施設だったが、1882年(明治15年)に新校舎を建築して移転した。校舎のために宮城県から払い下げれさた台原の木材は、村人が総出で運んだという[5]。1889年(明治24年)に増築した[6]。明治時代には校庭が狭く、5、6キロ離れた上ノ原や大原まで出かけて運動会をしていた[7]。校庭が拡張されたのは1922年(大正11年)のことである[8]。 1889年(明治22年)に町村合併で秋保村が発足すると、長袋尋常小学校は秋保尋常小学校に改称した[9]。以後は制度の変更で「尋常小学校」の部分が改められたり、「秋保村立」「仙台市立」などが前についたりするだけでに今に至る。 第2次世界大戦の空襲が激しくなると、1944年(昭和19年)に東京市浅草区の清島小学校(現在の台東区立上野小学校)、松葉小学校、正徳小学校から児童約千人が秋保に疎開してきた[10]。1945年9月には児童数が1300人(32学級)となった。東京大空襲の難を避けた子供たちは、戦争が終わると帰っていき、秋保はもとの小規模校に戻った。 戦後、1947年(昭和22年)に新制の中学校が義務教育で置かれると、秋保中学校が小学校に間借りして開校した。講堂を仕切ったり職員室を教室にしたりして当座をしのぎ、翌年に新築移転した。 1951年(昭和26年)に馬場小学校と湯元小学校がふたたび独立した小学校になった[11]。 長らく増改築を重ねてきた木造校舎は、1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリートで建て直された[12]。 年表
卒業後の進路
脚注
参考文献
関連項目 |
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